KAZUの完全復活を目指して

平成23年1月1日元旦の午前1時 年越しJOGの途中で転倒して大怪我をした。 大腿部と手首の骨折〜救急車の搬送〜2回の入院と手術を経て2月9日に退院。 そして退院後のリハビリ通院は79回をもって、平成23年6月29日に終了した。 さぁこれから、ここから、どこまで出来るのか、本当に復活(完全)出来るのか? 本気でヤルのか、情熱を注げるのか、そして過去を超えられるのか? 質問と疑問に対して、正々堂々と、決して逃げずに、答えを出してみよう。 こういう人生を、こういう生き方を、思い切り楽しんでみよう。 KAZUさんよ、タイトルに負けるなよ!

総武線の車内にて

2017.3.18(土)総武線各駅停車 千葉行き

結局わたしは、亀戸駅〜平井駅までの時間を無駄
にした。人生をたびたび無駄にする男の本領発揮。


つり革やら、指やら、どうでもいいものを見たり、余計
なことを考えているあいだに、寡黙な各駅停車は寡黙
に走り、平井駅に着き、平井駅を定刻通りに発車した。
わたしの思考と電車の進行に、因果関係はないのだ。

電車が平井大橋に並列する鉄橋を渡れば葛飾区だ。
寅さんの帰る場所、両さんの勤務地、わたしの故郷
わたしの住まい、わたしの職場、わたしの葛飾区。

JR新小岩駅に電車が到着してドアが左右に開いたら
私は降りる。職場へと帰還する。鳩小屋に戻る疲れた
鳩のように。もし、マリリン・モンローのように目を見張る
女性が車内に突然駆け込んできて、貧血をおこしてわ
たしの胸の中に倒れ込んで来たときに、わたしが職場
へ戻るかという質問に対しては、ノーコメントだ。ときと
場合と相手によって、わたしの行動はコロッと変わる。

とにかく、わたしは急がなけらばいけなかった。寝起き
の悪いナマケモノみたいに、モタモタしている暇はない。
駅のベンチに座ってラインをしたり、「時間よ、とまれ」
と、祈る時間も、口ずさむ余裕もなかった。

焦りのスパイラルの中で、わたしの目はくるくる回った。
浴槽の栓を抜いて、排気口の中に渦となって飲み込
まれていく古湯になった気分だった。

そのときに、ある式典の一場面が鮮明に浮かんだ。
2年前の2月、テクノプラザかつしか大ホールだった。
パリッとした濃紺スーツの年配男性が、来賓の挨拶
をしたときの、冒頭の場面だった。

その挨拶の一文(ひとこと)は衝撃的だった。突然、
池のど真ん中に、巨大な隕石が落下した。衝撃と
どよめきの波は、もの凄いスピードで会場の壁に
到達して跳ね返り、今度は反対側の壁にぶつかる。

「わたしの名前は青木です」と手話をしたのは葛飾区
の青木区長だった。区長さんは(わたし・名前・青・木)
この4つの手話単語を、必死に覚えたに違いない。
その努力は無駄ではなかった。そこにいるすべての
人たちに、その思いはしっかりと、確実に伝わった。

会場にいた聴覚障碍者(聴こえないひと)にとっても
わたしにとっても、区長さんの手話挨拶は、まったく
想定外だった。予想と実態の差は、感情の振り幅に
直結する。あの区長さんが、手話で挨拶しているぞ!

会場にいた聴覚障碍者(聴こえないひと)の多くから
驚きと喜び、拍手(手をひらひら)が一斉に沸き起こる。

わたしの胸にグッとこみ上げるものがあった。それが
何であるかは分からなかった。ときにわたしは、感情
の自己分析が上手にできないことがある。

私はまた、昨夜の飲み会を回想した。2軒目に行った
居酒屋の2杯目の焼酎以降は別として、思い出したい
ことは、天然カラーデジタル画像で完璧に再現できた。

青砥のイタリアン(飲み会)での最後だった。椅子の
上に颯爽と立ち上がったのは、YN先生(手話講習会
の講師)。小さな巨人の身長は2メートルになった。

「みなさん、手話の上手下手は問題ではありません」
と先生は言った(手話)。ピカ〜と七色の後光がさして
いる先生を、わたしは下から、拝むように見上げた。

「聴こえない人と話したいという気持ちが一番大事
なんです」 その一瞬で、そこらへんに雑然と漂って
いた空気は澄みきった。 強力な空気清浄機が稼働
したように。見る人の心にしっとりと浸透する保湿性
の優れた癒しの手話だ。

そうだ。それだ。先生のいう通り、気持ちなんだ。

そのとき突然、電車内に何かしらの変化が起こった。
気ままに浮遊していた車内の空気が突然集まり、僅か
な気流を発生させて、それが私の背中を優しく押した。

わたしは、わたしの右手を、三人の前に差し出した。
ゆっくり、ひらひらと。


↑ これは「ねぇ〜ねぇ〜」という相手に呼びかける
話しかける(手話べり)ときに使う、日常的な手話です。
もちろん、聴こえるひと同士でも、よく使います。


85cb73017087ff0974bd8fd97ef17998





総武線の車内にて

2017.3.18(土)総武線各駅停車 千葉行き

三人のろう者に、話しかけよう(手話)とした。

三人の手話を見ながら、いまか、いまかと話しかけるタイミ
ングを計った。くるくる回る大縄跳びに飛ぶ込む(入る)よう
に、最初の入りが肝心だ。最初にスっと入る。あとはタイミン
グを合わせる。無駄な力は入れず、焦らずに、リラックスしな
がら軽くジャンプ。1〜2〜3〜ぴっよん〜1〜2〜3〜ぴっよん。

しかし三人の楽しそうな手話は、いっこうに止まらなかった。
グッドタイミングは見つからない。いや、それは違うだろう。
はなっから、タイミングなんてものは存在しない。

幽霊と同じだ。あると言えばあるし、ないと言えばない。別な
言い方をすれば、タイミングは探すものではなく、自分で作り
だす、あるいは、自分の中から発生してくるものだ。

それにたとえ手話を切り出す(会話に参加する)ときの、はじ
めのタイミングが良くなかったとして、その後の手話(会話)
でフォローすればいいのだ。普通の会話で考えたら分かる。
そんなことを、いちいちわたしが説明するまでもない。子ども
だって分かる。子どもなんか、お構いなしではないか。

ヘタレ爺、しっかりしろよ。その手を動かせば良いのだ!

一寸の虫にも五分の魂。わたしだって人間。些細なものだ
が、心がある。わたしが話しかけた(手話)ときに、果たして
三人のろう者がどういう反応をするかは、分からないのだ。

優秀な気象予報士だって、そんな予測はできやしない。
話しかけた結果は、新春の雪解け水かもしれない。冬の
路面凍結により、大いに滑って転倒するかもしれない。

しかし、宇宙の果てのように、まるで分からないことをいくら考
えたところで、結果は分からない。分からないことを不安に感じ
たり、まして行動を躊躇するなんて馬鹿げている。ナンセンスだ。
ある意味、わたしの存在自体が大いに馬鹿げているのだが....。

とにかく、この手を動かすんだ!わたしは、10本の指を見た。
男にしては、キレイな指だ。ささくれは別としても、綺麗な爪だ。
ただし、爪は長すぎた。しかし、ここで爪を切るのは、マナー
が悪いし、タイミングが悪すぎた。爪を切るのは、今夜の風呂
上りだ。もちろん、そのことを忘れていなければだが..。

いや、爪のことは、いま、ここで考えることではなかった。
いま、わたしが考えること、いま、わたしがやること。

わたしは、右手を前に、ゆっくりと、ひらひらと、差し出した。

e14a2175

総武線の車内にて

2017.3.18(土)総武線各駅停車 千葉行き

わたしの正面に三人座席があり、そこに三人が座っていた。
三人は手話を使っている。三人はろう者(聴こえない人)。
その正面の座席の右端に、わたしはひっそりと座っていた。
息を潜めて、自分の正体を隠そうとする不審者のように。

わたしは唇の端を噛み、ひとしきり三人の手話を見た。

三人は、目まぐるしく手は動き、表情は変化し、身体の向きは
小刻みに揺れていた。その表情は楽しそうに見えたし、真剣
そうにも見えた。三人のろう者は、何かのために(目的)、どこ
かへ行くために(場所)、この電車に乗車した(手段)のは間違
いないだろう、というのが、わたしの見立て(推測)だった。

車内をぐるりと見回した。その三人を見ていたのは私だけだ。
そこのだれ一人として、三人のろう者に関心を寄せていない。

ほとんどの人は、わたしが大好きとは言えないスマホ画面
に穴を空ける為の尖った視線を、せっせと突き刺していた。
しかし、スマホは傷つかない。消耗、損傷、劣化、酷使に
より支障をきたすのは、スマホではなくて眼球のほうだ。

文庫本を読んでいるひとは、一人もいなかった。あるいは
スマホの電子書籍を読んでいたのかもしれない。どちらに
しろ、わたしを含めて、そこにいる人たちの多くは、慎重さ
と配慮と礼節に欠けた顔だった。「東北のほうで良かった」
と言った前復興大臣のように。

条例で読書感想文を書くことを強硬採決したら、気を失うか
気がふれてしまうか、すべてを投げ捨て無人島に移住した
ほうがマシだと主張しかねない面々だった。心配無用だ。
日本には意外と無人島が多いらしい。

となり同士の席で肩を寄せてコソコソ相談中の男女がいた。
おそらくは、銀行強盗の企てでもしているのだろう。映画
「明日に向かって撃て」をレンタルしたのかもしれない。
(できたら「ロッキー」あたりにして欲しかったが)

その男女の様子は、その会話内容に関わらず、豊かな表情
とは言えない代物だった。温かくなく、冷たくなく、美味しく
なく不味くない、すべてが中途半端なコーンスープのように。

口をヘの字にして目を閉じている男は、寝ているように見えた。
人生の苦難を逆怨みしているようにも見えた。ゲーム機の操作
に夢中の男の子は、将来の日本を任せられる人材として推薦
するには、いささかの不安を覚えた。

わたしが見回した車内は、ところどころに微妙な温度差が
生じていた。それは窓際だからとか、通気口に近いなどの
理由ではない。乗車した人の体温、体脂肪、年齢、年収
でもない。温度差は、実際に測定するまでもないし、測定
できるものでもない。ではいったい、それは何だろう。

わたしは腐敗中の頭を2回叩いた。温度差について考えた。
回答のない問題(難解な難問)の回答を、わたしは考えた。
活字として表現するのは、なかなかの困難だったが....。

人間にとって話すとは、会話するとは、どういうことで(趣旨)
なんのためで(目的)、そこに何を望む(期待)のだろう.......。
結果はともかくとして、わたしはそれをやってみた。

温度差の正体とは、その人の表現力であり、
その人の気持ちであり、その人の優しさである。
表現力の一部は表情であり、同時に、その大部分でもある。

昨夜の夕飯の問いに対して、答えに窮するだけでない。
何かにつけて鈍いわたしではあるが、その温度差はだけは
はっきりと分かった。自信を持って答えられた。

三人のろう者の座席、そこだけは、ほんわりと温かいのだ。
鳩が卵を温めている、あの木屑の温かさだった。

そこで、あらためて考える。そして、新たな疑問が湧いてくる。

あなたは「ありがとう」という言葉を使っているだろうか。
あなたは「ありがとう」というとき、あなたの顔は
「ありがとう」という表情をしているのだろうか...。

わたしたちの会話に、果たして、本当に、本心の
心模様を、その顔の表情に現れているのだろうか?
また、しっかりと表しているのだろうか.....。

94918a2c






記事検索
livedoor プロフィール
TagCloud
livedoor × FLO:Q
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ