左足の痛みは、少し減少してきたようだ。
この痛みは、筋肉や骨ではなく、股関節の辺りの関節炎、炎症だと思う。
いわゆる、ジョグをした筋肉痛とは全く違う種類の痛み。
強いて例えれば、首を寝違えて痛めるように、ボクシングの踏み込み時に
大腿部の骨回りを、ギクッと寝違えた、いや、踏み間違えたような感覚である。
原因は、いろいろ複合的な要因が重なった結果だと思うが、
主たる要因は、左足の筋力不足と柔軟不足だと、考えている。
レントゲンを撮るまでは、とても不安だったし、とても怖かった。
シャド−ボクシングで踏み込んだだけで、骨が折れたり、ヒビ入る訳ない。
と考える一方で、どうして、こんなに痛いのか、改善されないのか?
くしゃみ、しただけで、肋骨を骨折する人、高齢者もいるようだ。
プロ野球選手が、空振りして、骨折したこともあった。
そう考えると、左足を踏み込んで、骨がどうにかなっても、不思議じゃないか・・・
いつもながら、調子の良くないときの、自分の弱さを痛感する。
頑張った結果がダメならスパッと切り替えるが、頑張ることが出来ない、のは辛い。
しかし、本当のどん底で喘いでいる時は、内にこもり無口になる。
弱い、辛い〜という言葉が言えるようになったときは、どん底を脱しているようだが。
苦しみ・不幸から立ち直り強くなる人もいれば、
堕落し、さらに不幸になってしまう人もいます
不幸な時ほど、その人の真価が発揮されるのかもしれません
苦しみは人間を強くするか、それともうち砕くかである。
その人が自分のうちに持っている素質に応じて、どちらかになる。
カール・ヒルティ 「幸福論」より
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- 50〜51歳・リハビリ
大震災の時に、「疾風、勁草を知る」という言葉を知りました。風の強いときこそ草の根の強さがわかると言うことから、困難に遭ってはじめてその人間の本当の価値、本当の強さが分かるということ、困難がその人間の奥底に秘める意志や信念の堅固さを見分けるという意味だそうです。万国共通の教えですね。
地震で被災した工場の従業員に向けられた言葉ですが、私もこの言葉を聞いてから少し苦しみに負けずに立ち向かう気持ちが強くなりました。
ま、僕の苦しみはまだまだ大した事ないですが。