2012.11.15(木)
04:25〜05:10/ストレッチ・軽く筋トレ
05:15〜06:00/ウォーキング3キロ
06:00〜06:30//入浴、ストレッチ・正座
外は暗くても、寒くても、ウォーキング(^∀^)

政治に期待する、政治家に期待する(^∀^)


3年前の衆議院選挙、ボクは、自分の参政権を行使するにあたり
さんざん考えた結果として、小選挙区と比例代表をそれぞれ別々の政党に投票した。
その真意は、マニフェストにある公約と政権交代を求めたものであったこと、
そして同時に、公約通りに実現するのか、という大きな疑問と不安を感じていたこと。
ボクの1票は人間ひとりの責任がある。 そのことを、ボクは反省しなければいけない。

政治と政治家、官僚と官僚組織について、ほとんど圧倒的に批判報道ばかりだ。
ときの権力に対する批判報道は、均衡、矯正と是正、暴走への抑止力として必要である。
したがって、批判すること自体は必要な行為であるし、大いに結構なことである。
しかし、いまのような極端な報道姿勢に対して、ボクは危うさを感じざるを得ない。
(報道姿勢=キャスター、コメンテエター、評論家 等々)

どこが政権をとっても変わらない、期待できない、国民のことなど考えていない。
選挙しか考えていない、みんな呆れている、政治家、政治屋、天下り官僚・・・・・等々。

日本経済の低迷は、多くの国民に対して、先の見えない閉塞感と失望を与えている。
その原因として、その不満として、その矛先が政治家と官僚に向けられている。
しかし、極端な報道は、いつの間にか、日本人の均一性と等質性に働きかけている。
そのことは、政治不信と無関心の世論を増長させることになっていないか。
無関心の大衆は、結果的には、一部の既得権益を擁護することになってしまう。

ボクは政治家になりません、政治家になれません。
政治家にはなれないから、政治家の皆さんに、政治をお願いします。
もちろん選挙に行きます。
政治家の皆さん、頑張って下さい、応援しています!

平均的日本人のつきあいは、同業、同窓、同郷の三つだけに
限られてしまうそうだが、日本文化の均一性や社会の等質性は、
実は、このあたりからきているらしい。
こういう社会は、支配し、コントロールし、操るには一番楽なはずである。
日本の政治が貧困で政治家の資質が低いのはそのためで、
選挙などは、このあたりのコツがわかっていれば
信念や政策など何もいらないのである。

藤井康男(龍角散3代目社長、1930〜1996)

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