2012.11.29(木)
05:25〜06:30/ストレッチ・軽く筋トレ・ゆる体操
06:35〜07:10/入浴、ストレッチ・正座
08:30〜09:30/職場近くの経絡治療院


ちょっとあんた、これで3回目じゃないか、いい加減にしてくれ(`・д・´)

役者魂を燃焼させる職場、そこは真剣勝負の場所、それが舞台である。
その演じている人間と同化するために、その役になりきるために、
舞台人は自分というものを、きれいさっぱりと、かなぐり捨てる。
そして、その役の魂を求めて、探して引っ張り出して、喚起させてくる。
そこに自分の魂を点火させる。それを舞台で燃焼させる。燃焼させて魅せる。
このような舞台を観ている観客は、おのずと、舞台・舞台人と一体化していく。

魂の舞台を目の当たりにしている観客に、無駄話は有り得ないこと。
そこに一言の私語はない。 鼻をすすること、咳払いさえ遠慮する。
簡単に言ってしまえば、舞台と観客の一体化、ということである。

このような素晴らしい一体化の舞台中に、有り得ないようなことが発生した。
すべての観客が舞台に集中しているときに、ひとりの観客の言葉が聞こえてきた。

ちょっとあんた、これで3回目じゃないか、いい加減にしてくれよ(`・д・´)
ボクの座席の斜め前列のお爺さんは、後ろに座っている大柄のお爺さんに向かって
シーンとしている舞台中に、いきなり発した言葉である。

いきなり叱られた大柄のお爺さんは、突然の言葉にビックリした様子だったが、
すぐに事情を飲み込んだらしく、ひょこひょ
こっと、頭を2〜3回続けて下げていた。

この状況を推察すると、後ろの大柄のお爺さんが座り直しているときに
その足が前列の座席を触って(蹴った?)いたらしい。
そのことを、前席のお爺さんは不快に感じていた、じっと我慢していた。
その行為が3回目になったときに、我慢の限界を超えてしまった、ということだろう。

舞台中に、声に出して文句を言ったお爺さんの気持ちは、ボクにはよく分かる。
じつは、ボクの右隣に座っていた年輩の紳士は、肘掛けに左肘を乗せていた。
年輩の紳士がお尻を浮かせるたびに、その左肘は、ボクの右腕に触っていた。
だけどそのことを、ボクは気にしていなかった、気にしないようにしていた。

以前は、元々は、そういうことを気にするタイプの人間だった。
例えば、新幹線や映画館などの隣席、前後席など。
スーパーのレジ待ちで後ろの人のカゴが触ったりすることなど。
しかし今は、ほとんど
気にしないように、気にならなくなってきている。
そういうことを気にすることは、じつは、意味のないことだから。
そういうことを気にすることは、自分をコントロールできないことだから。
そういうことを気にしないように、自分を制御できるようになってきたから。

感情に流されること、それは、物事の本質を見失っている証拠だ。
観客は何のために舞台を観に来ているのか、これが最重要の本質。
無神経な観客にイライラするために、その観客に文句を言うために
わざわざ少なくないお金払って、時間を要して、観劇にきたのではない。
それにその場所は、そのような個人的な感情を、自由に吐き出せる場所ではない。
自宅でのDVD鑑賞とは、状況が全く違うことを、しっかりと自覚しなくてはいけない。

もしイライラしたら、よく考えてみるといい。
イライラしたことによって、どれだけ失敗をしてきたことか。
怪我、交通事故、喧嘩等のトラブルを、どれだけ誘引してきただろうか。
どれだけの後悔と反省を、どれだけの悲劇を、いままで繰り返してきただろうか。

感情をコントロールする、本質を考える、・・・・・お勧めの2冊です(^∀^)
アラン「幸福論」、失敗の本質(中央文庫)

正当化しようとしてはいけません。
単純明快に、本質を読み取ればよいのです。

アインシュタイン(20世紀の理論物理学者、ノーベル物理学賞受賞、1879〜1955)

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