2013.5.21(火)
05:00〜05
:55/ストレッチ・軽く筋トレ・ゆる体操
05:55〜06:20/入浴、ストレッチ・正座
08:30〜09:30/経絡治療院

授業中の広角打法は、もちろん、”喝(かつ)”である

大きい小さい、細い太い、垂れる上がる、三角丸い、高校生は、それぞれ自分だけ
の瞳を持っている。瞳の形状と勉強ができるか出来ないか、との因果関係はない。
しかし彼らには、共通する眼を持っている。勉強のできる優等生は、眼球の輝き
と透明性、眼力が同質であり、それは僕たちの瞳とは決定的に違っている。

休み時間と昼休みに、高校生の眼球の違いを認識するのは難しい作業である。
しかし、いったん授業が始まれば、その違いは一目瞭然、とても簡単に判明する。
優等生の視線は、たった2つ(種類)しか焦点(視線距離)を合わせていないのだ。
1つは先生(黒板)であり、もう1つは教科書(ノート)である。これ以外に視線を向けたり
他の場所に自分の焦点を合せることはない。たった2つの焦点、それは彼ら(優等生)
の意志だ。 2つだけで3つ目がないのは、無駄だと考えた、彼らの結論である。

ところが、僕たちの視線(視線距離)は2〜3どころではない、全方位に飛んでいく
広角打法である。それは3000本安打の張本選手の現役時代のように。ただし、授業中
の広角打法はもちろん、”喝(かつ)”である。 僕たちの視線は、まず先生の顔と口元を
見ているが、ここから、やたらと落ち着かない。やたらと視線が多方面へ飛んでいく。

先生のネクタイ(センスがない)、黒板の文字(下手くそ、人のこと言えないけど)、
前席の奴の後頭部(ヘアカット)、窓の外を見る(なんとなく)、下向いている奴(居眠り)
優等生の顔(真剣さ)、自分の前髪(引っ張ってみる)、廊下の気配(誰かが歩いた)
ノートにELTON・JOHN(書いてみる)、あわてて教科書をめくる(パシャッの音で気付く)
うしろを振り返る(ヤル気ない奴をみて安心)、時計を見る(あと30分かよ)、耳の穴
(人さし指を入れたり出したり)、先生のくち癖=要するに(だから要するに何だよ)
先生が自分を見たら(すぐに視線を外す、下を向く)。

こうやって視線を動かすたびに、その都度、そこにあるものに対して思考が飛んで行く
のだから、その結果として、授業から意識が遠く離れることになる。この状態について、
先生の言葉を借りたら、お前たちは集中していナイ、やる気がナイ、危機感がナイ、
分かってナイ、NAI-NAI-NAI 恋じゃない(NAI-NAI16 シブがき隊)、
NAI-NAI-NAI 勉強じゃない、つまりボクは”はなまる”、じゃナイ、”はなくそ”なんだ。


視線が下を向くとき、思考も内面や過去に向かっている。
視線を真正面からやや上方に向ければ、人は自然に、
近未来の自分や社会に思いを馳(は)せやすくなる。

香山リカ(精神科医・著述家、1960〜)『貧乏クジ世代』