2013.7.7(日)
04:20〜05
:15/ストレッチ・軽く筋トレ・ゆる体操
05:20〜06:05/入浴、ストレッチ・正座

お地蔵さんみたいにコチコチに固まってしまった

雀(子ども)の命を繋ぐために、走りまわる、逃げ回るゴキブリを素手で
捕まえた。そのことを父から褒められたボク(幼稚園児)は、それまでの
青白い顔色から、お酒をまったく飲めない下戸のひとがウイスキーボン
ボンを1つ食べたときのように上気した赤ら顔になった。

自我の目覚めについて、理数系をとことん避けてきたボクに、生物学的
脳医学的な説明と論説などこれっぽっちも出来ないけれど、あのときに
赤ら顔になった瞬間がひとつの転機(変容)だったことは間違いと思う。

あの大きなゴキブリを素手で捕まえたとき、父から投げかけられた言葉
を理解したとき、それまで通っていなかった毛細血管の中にボクのAB型
の血液と酸素が、はじめて勢いよく、ドクドクと流れ出したのである。

ボクは弱い人間だった。いちばん弱い人間だった。いつでも世界という
ものはボクの外側にあった。ボクの内側にはボクしか存在しない。
ひとりぼっちの外に世界があった。困ったとき、泣いたとき、病気のとき
には、外の世界のひとがやってきて、いつだってボクを助けてくれた。

ボクがいちばん弱いのだから、誰かに助けてもらうのは当然だし、それ
しか生きるすべがないと思っていた。強者は大勢の弱者を守る。弱者は
自分より弱い者だけを守る。そして、いちばん弱い者だけは誰も守らない。
最弱には、はなっから守るべき意志と能力が欠落しているからだ。

ボクはよく泣いた。泣くことは弱いことの証明であり、弱者の自衛手段で
あり、弱者の知恵だった。ジンマシンが出来たときに、病院へ向かう車中
で、”ボクは死にたくないよぉ〜”といって、おいおいと泣き続けていた。
たくさん泣いたら助けてくれる、たくさん泣いたらボクは死なないと思った。

そんなボクを大人のひとは心配した。風邪ばかりひいている虚弱体質は
仕方ないとしても、こんなに泣いてばかりいるのは、赤ちゃんみたいに
泣き癖がついているんじゃないか、男の子なんだから、もっと厳しくしない
といけない。”男のくせにそんなことで泣くな!”いつも怖い父に怒られた。

ボクには分からなかった。泣きたくなること、泣いてはいけないこと。それを
どうしたらいいのかではなく、それがどうにもできなかったのだ。工場で働い
ている父は一番怖かった。仕事中に怒鳴ることも頻繁にあるし、たまには、
家の中でも大声で怒る。父ほどではないけれど母だって相当に怖かった。
それに母には、力道山の空手チョップのような必殺技があった。”お父さん
に言うからね”と言われたら最後、ボクはお地蔵さんみたいにコチコチに
固まってしまった。そういうやり方は、子どもながらに”ずるい”と思ったけど、
その不本意を主張するだけの言葉を、当時は持ち合わせていなかった。

人間の気持ちは、その時々に変化する。
今が幸せであれば、過去の全てはバラ色に、
有意義に目に映る。
しかし、今が不幸であれば、過去は全て灰色で
無意味に思えるものである。
その意味では、過去を笑うべきではないし、
過去を泣くべきではない。

大原健士郎(精神医学者、自殺や依存症研究で有名、1930〜)
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