2013.7.22(月)
04:20〜05
:15/ストレッチ・軽く筋トレ・ゆる体操
06:20〜07:05/入浴、ストレッチ・正座
08:30〜09:30/経絡治療院

大玉ころがしで転んでしまったお父さんのような大きな悲しみ

工場で捕まえてきたゴキブリをパクパクと食べた雀(すずめ)は、目に見えて
元気になってきた。ダンボールの中でぴょんぴょん跳ねる、おしりをプリッと
突き出すようにして小さなフンを落とす。ゴキブリを追い掛けまわすことに飽
きたらパクッと食べる。雀はゴキブリを飽きない。そして同じように、ボクは、
すずめを飽きない。それに素早いゴキブリ採りの方だって手馴れてきた。

家の中に雀がいる生活が嬉しかった。そんな毎日がとっても楽しかった。
それまでの気持ちとは大きく変わった。こんな気持はもちろん初めてだった。
世界から手を差し伸べてもらう、お世話(救済)をしてもらう、そんな一方通行
の受け身だったボクが、拾ってきた雀を守るために、助けるために、超速の
ゴキブリを毎日つかまえた。その小さな手でギュッと押さえつけるようにして。

あのころ、自分の内側からロックしていたドア(自我)が、雀を守る行動に
よって強い刺激を受けると、 富士桜(突貫小僧)の突っ張りのように外側に
向かって勢いよくパッと全開した。それまでの「与えられる・助けてもらう」こと
しか知らなかったボクが、「与える・助ける」ことを体感して、一方通行から
相互通行に変わった。感情を受ける、感情を出すことができるようになった。
こうして、自閉症のようだった幼稚園児は一変に元気になる。

ただ幸福の時間というのは、いつの時代だって、黄色いバナナが黒くなる
ように、そんなに長くは続かない。葛飾区に在住する幼稚園児だって例外
ではなかった。雀とボクの幸福の日々がいったい何日続いたのか。その
辺りの記憶は、いちばん薄い色のスモークをフロントガラスに貼りつけた
中古のシビック(ホンダ)のように、もやもやとしていて不透明である。

たとえば10日間と言われたら「そうだったか」、3日間なら「やっぱり」なのだ。
しかし、それでもあの日のことはハッキリと覚えている。それは、夫婦げんか
でお母さんが泣いたように衝撃的だったし、大玉ころがしで転んでしまった
お父さんのような大きな悲しみだった。

ボクが幼稚園から帰ってきたら、すずめのダンボールがない。玄関、応接間、
台所、どこにもない。えっ!どこなの?首降り人形のように、ボクがきょろきょろ
していたら、そのときになって初めて、母がこのように言ったのだ。
「すずめは元気になって飛んで行ったのよ」   ボク「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「飛んで帰れたから、 これで良かったのよ」   ボク「・・・・・・・ひっく・・・ひっく・・」

大人だったら、そういうことを理屈として理論として、または理解として分かる。
その内容を分析して、構成比率51対49を比較して、その結果(多数)に準じる。
しかし、しょっぱいと甘いを合わせた塩大福が美味しいと感じるのは大人だけで
子どもの場合は白か黒か単独の味覚しかない。いくら汗をかいてたって、ビール
は、顔が崩れるほどに苦すぎて飲めやしない。三角形のコーヒー牛乳ならまだ
良いけど、恋の季節(ピンキーとキラーズ)のような夜明けのコーヒーは飲めない
(飲んではいけない)。 なぜなら、医学的には子どもにカフェインは良くないし、
生活的には、夜ふかしはバイオリズム(体内時計)を狂わしてしまうのだ。

安くないKIHACHIより、不二家かコージーコーナーの単純に甘いだけを主張する
ケーキのほうが子どもは好きである。 文明堂のカステラ、ひよこまんじゅう、泉屋
のクッキー。子どもは、もちろんそのほうが良いし、そうでなければいけない。
淹れたてのエスプレッソを飲みながら、東京スポーツと週刊実話を小学生が読む
べきではない。それが子どもの管理規約と使用細則、それが世界の黄金律だ。

子どもの感情に判定勝負はない。白か黒のどちらか1つでも多いほうが勝利する
オセロではない。幼稚園から帰宅して、ただいまの雀がいなくなった瞬間に、1つ
の白が黒に裏返しになると、それまでの幸福の白が絶望の黒に取って変わった。
黒一色に泣きだしたら、みんなが慰めてくれた。こういう慰め方は初めてだった。

これで良かったんだよ、すずめはね、家の中にいるものではないんだ。
大空を自由に飛ぶものなんだ。両手で数えてごらん、寂しいことは49個だね。
だけど良いことは51個あるんだよ。良いことが多い。だから喜んであげようね。

ボクは泣いた。最初は、すずめがいなくなった現実が悲しくて、寂しくて泣いた。
泣いているのに、いままでのように父は怒らなかった。泣くなとは言わなかった。
どうしてだろうか、泣きながら考えた。自分の弱虫で泣いているのではない。
すずめのことを考えて、泣いているんだ。こういうときは泣いてもいいのだ。

それでもボクは泣き続けたけど、途中からは、嬉しくなって泣き続けた。
父と母に慰めてもらえる、その気持ちが嬉しくて、ボクは泣いていたのだ。


(自分の)子供たちを見ていると、
3〜4歳の頃の感性がいまだに残っている。
この時期に覚えたものは、理屈ではなく体でじかに
感じ取ったもので、絶対に忘れない。
大人になって教えようとしてもできない。 
 

宮里優(プロゴルファー宮里聖志・優作・藍の父)


DSC_0002DSC_0001





日替ランチ、コーヒー、800円 やるき茶屋