アンパンマンは甘いアンコを包み込むように、ただニヤッと微笑んだ

(すみません、間違えました。道玄坂じゃなくて渋谷センター街でした)

まるで工場見学のベルトコンベアーを見ているようだった。渋谷の夜は行き交う
人の流れが途切れることがない。渋谷駅という名の人間ポンプから排出された
色とりどりの生き物が、道玄坂、センター街、井の頭通り、公園通りなどに蜘蛛
の子を散らすように四方八方に散っては消えて行った。上空の雨雲のマスプロ
アンテナのセクシーな神様(ヒョウ柄を着衣)がこの様子をじっと眺めていたら、
”ひとが多すぎちゃってェ〜困ァるのォ〜”、と悩ましく唄っただろう。

どうしてこんなに人が多いのか。いったいどこからやってくるのだろうか。
そういうボクは、下高井戸駅(京王線)から新宿駅(国鉄線)で乗り換えて
乗り越し精算してまで、わざわざやって来た。いったい何しにきたのか?
もちろん、それは未知との遭遇を求めてのことだ。新しい、シ・ゲ・キ。
闘いを求める剣豪の如く、おのれの身体ひとつでの路上勝負だった。

渋谷駅から歩いて行くとセンター街の右手に、”カチン・カチン・カチン”という
踏切の警報音が鳴っていて、そこに赤と青の電気がチカチカと点滅していた。
ここが居酒屋、酔い所(よいしょ)の外看板で階段を降りた地下1階がお店だ。

さきほど声を掛けた女性二人(女子大生風)を連れて、ボクたち4人が階段を
降りて行くと、その店内はスポットライトを浴びているような明るさだった。
ちょっと明る過ぎる。ここは地下の居酒屋だけど決して怪しい所ではありません
と正当化しているような照明だった。そして、思いのほか店内は広々としていた。
段差を結んだ2つのスペースが”ひょうたん”のように連なっていて、ダンス教室
の初級者クラス・中級車クラスが同時に練習できるくらいの広さだった。

ここの経営者の趣向なのか、お店のコンセプトだろうか、店内には駅の鉄道に
関連する看板などが、ところ狭しと無造作に、べたべたに貼り付けてある。
宗谷、福岡、宮崎、宇都宮、石川、熱海、鶯谷、その他にボクの知らない駅名
が嫌になるほど沢山あった。そこにはプロ野球の公式ボールのような統一的な
ものは存在していない。そればかりか、期限切れの定期券がうんざりするほど
壁いっぱいに貼り付けてあった。お正月の神社の絵馬が重なり合うように。
「新小岩〜下高井戸、S56.4.1〜9.30迄、佐藤馬鹿哉(21歳) 金54,110円」
どうやら、お客さんが好き勝手に自由に貼っているようだった。

”そうか、なるほど、そういうことか”、ボクは、お店の意図するところが分かった。
東京の大都市、渋谷でお酒を飲んでいるのは都会人だけではなく地方出身者が
沢山いる。現住所だって壁の定期券の通り、遠距離通勤、遠距離通学をしている
ひとがいっぱいいる。そういう人たちが都会の灯り求めて、寂しい心にお酒を浸して
”本当は田舎者なんだ、こう見えても実は孤独なんだ、何だ、俺たち一緒じゃないか
寂しいのは君だけじゃないいんだよ”、こういう価値観を共有したり、慰め合うために
この店にやってくるのだろう。そのように、お客さんと店員さんの顔に描いてあった。

そこは大勢の男女でごった返して、がやがや、がちゃがちゃと騒々しかった。
ありとあらゆる種類の全体的に30%増量された男女の声が店内の隅々まで
無軌道に飛び交って人や壁などにぶつかり、まるでピンボールゲームのように
ビンビン〜ガンガン〜ダンダン、あっちこっちに跳ね返っていた。

20代後半くらいのアゴの長い店員さんが、苦い薬を口に入れたような顔をして
「すみません。ご覧のとおり混んでいまして、こちらの大テーブルしか空いてない
んです」と言うので”まぁ〜仕方ないよねぇ”という感じでボク達はそこへ向かった。

そこは10〜12人くらいは座れる楕円形の木製のでかいテーブルだった。
ボク達はその空いている椅子に、女・女・自分・Mくんという順番に縦に一列
に連なって座った。と言うより、なかば強引な店員さんの誘導で座らされた。
まぁ仕方ない。お店側はお客さんをまず座らせて、飲ませて気持ちよくさせて
気持ちよくお金を出させるのが商売だし、こっちはこっちで、彼女たちの気が
変わらないうちにタイミングよく入店することがボク達の魂胆なのだから。

もちろん、ここは相席だった。向かい側には安っぽいスーツを着たサラリーマン
風の三人が(たぶん30代)ラガービール、ホッピーを飲んでいた。三人そろって
同じようなネズミ色のスーツだった。ひとりはキツネを連想させる吊り上った目。
ひとりはアンパンマンみたいにポッチャリとして、もうひとりは、肝臓の良くない
トカゲみたいだった。ときどき、キツネ目のサラリーマンと視線がぶつかった。

キツネ目の瞳は、ゆで太郎の冷やしきつね蕎麦のように、冷たくてさっぱりと
していた。”お前たち、そんなことして楽しんでいられるのは今のうちだけだぞ”
キツネ目はそう語っていた。キンキンに冷えたラガービールのような視線で
”あんたみたいなサラリーマンだけは、なりたくないんだ”とボクは瞳で返した。
すると今度はトカゲが、”君たちも、いずれ分かることだから”と視線を送ると、
となりのアンパンマンは甘いアンコを包み込むように、ただニヤッと微笑んだ。

”これはダメだぁ〜”とボクは思った。2つ目の壁を突破するには条件が良くない。
未知との遭遇をノンフィクションに変更するには大きな3つの壁が越えなければ
いけない。まず最初の壁はもっとも厳しくて10%、つまり最初のトライの90%は
”ごめんなさい”でゲームオーバー。そして次の第2の壁を突破できるのが50%。
ここでは、お互いの腹の探り合いと同時に、会話が盛り上がるか否かによって
全てが決まる。会話が弾まなければ次はないから、ここでの酒代(さけだい)は
無駄銭(おごり)になる。そして第2を超えて第3までくると・・・・今回は省略しよう。

とにかく最初に入ったお店が騒々しくて、さらに輪をかけて会話しにくい席なので
ボク達のテンションは、負け試合の敗戦処理に登板したピッチャーの気分だった。
ところがこのあとに、ヒッチコックにも想像できない大どんでん返しが待っていた。
まず向かい側に座っていた三匹のサラリーマンが、お会計をして出て行った。
相席の若者4人が大声で話しているのが嫌になってお店を変えるかもしれない。

彼らは帰宅するのだ。もしくは帰宅しないのだ。いや、やはり帰宅せずにもう一軒
どこかへ行くのだ。締めのラーメンかもしれない。ゲームセンターに立ち寄って
インベーダーゲームで500円使うかもしれない。あるいは、帰りの山手線の網棚
に捨ててあった東京スポーツを読んでいるうちにムラムラしてきて、目黒駅で途中
下車してから、指名料込5000円のお店で濃密な40分間を楽しむのかもしれない。

まぁ〜どちらにしても関係ないことだった。つまり、見ず知らずのサラリーマンが
まっすぐ帰ろうが、くねくね曲がって帰ろうが、ハシゴしようが、どこかでズボンを
下ろそうが、そんなことは、その時のボク達には、どうでもいいことだった。
ただ1つの歓迎すべき事実は、相席の向かい側の席が空席になったことだった。

ところが、それからものの5分と経たないうちに、空席はすべてキレイに埋まった。
新しく入って相席になったひとは、ボク達と同じように男女4人組(女2・男2)だった。
ただしボク達と決定的に違うことは相席4人の中にひとりの大スターがいたことだ。

それはびっくりした。あまりに驚いてボクは口をぽか〜んと開けていた。
最初の壁を超えたけれど、2つ目の壁で苦しんで敗戦の覚悟をしようとしていた
その矢先に突然パアーッと世界が開けたのだ。
いや、世界が大きく変わろうとしていた・・・・・。

壁はいくつもあるけれど、同じ曲を何十回、何百回と弾き続ける中で、
突然パアーッと青空が開けたような瞬間が来る。
その時、自分の力が一段と飛躍した感覚になって、
面白くてたまらなくなりますよね。
諏訪内晶子(ヴァイオリン奏者、1972〜)

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