東京タワーの蝋人形のように、とても冷たくて美しい表情だった

民主主義、人権主義を掲げる超大国のプロスポーツには、ルールブック
に記載されない黄金律という能動的な規則、いわゆる暗黙の了解がある。
なにも難しくない。限定された特殊なマニアックな世界の話しでもない。
小学校1年の先生が道徳の時間に話す内容である。相手の立場になって
考えなさい、わが身をつねって人の痛さを知れ、イジメはダメなんですよ。

では、具体的に列挙してみよう。大量リードしたチームのスチール(盗塁)
三振した打者に向かって吠える、ホームランを打っての露骨なガッポーズ
などは相手への侮辱行為、侮蔑行為、あるいは挑発行為にあたる。
そしてこの暗黙の了解を破ったそのときには、尊厳を踏みにじられたと
感じた彼らは、猛然と立ち上がって、断固とした報復行動に打ってでる。

つまり、民主主義における感情表現の自由裁量は、時と場所を選択する
という制約の上に成立する。笑う門には福来る。もちろん笑うこと然りだ。
人間が幸福を感じる代表的な感情の1つは笑うことであり、それこそ我々
が目指すべきものであり、生きるための術であり、平和の象徴でもある。
ただし笑って良い場合があるのと同じで、笑っては絶対ダメな場合がある。

顔面にぶつけて(デッドボール)負傷した相手に、怒って興奮している相手に
負傷に激しく動揺している相手にボクは笑ってしまったのだ。挑発するように。
そしてそのことは、ことの当然の成り行きとしての報復行為へ展開していく。
24連勝の無敗投手から、元メジャーリーガーが報復ホームランを打ったように。

「おっお前が殴ったんだ、暴行罪で訴えてやる、おまえ〜笑っている場合か!」
寒い夏日のプール少年のように、ぷるぷると震えるぽっちゃりくんがまた怒鳴る。
ボクは、また笑いたくなったが、今度は下唇を歯で噛んで何とか我慢して言った。
「ぽっちゃりくん、嘘は泥棒の始まりだよ。ママに叱られるから正直に話そうよ。
最初に手を出してきたのは、ぽっちゃりくんだったよね、ねぇ〜そうだよねぇ?」

ぽっちゃりくんの目に困惑と焦りの色が浮かんだ。顔の中心の鼻はぐにゃっと
曲がり、そこを起点にして外側に向かって、皮膚の青黒い変色が進んでいた。
人体実験を目の当たりにしているようで、興味深くて、感動的な変化だった。
愛と感動に包まれた南アフリカの温かい満月のように、このときのボクは心が
満たされた気分だった。「ダーウィンが来た!」の最後に流れてくる平原綾香の
歌声にうっとりするように。ところが、この目の前の男(ぽっちゃりくん)ときたら
ボクとはまったく正反対の感情が、頭からプシュ〜と勢いよく吹き出していた。
それはまるで、きかんしゃ(機関車)トーマスのゴードンみたいな蒸気だった。

「なっ何を言ってるんだ、わたしが先に手を出したなんて、そんな証拠がどこに
あるんだ!」その声が震えて、頬の少しの筋肉と多くの脂肪がぴくぴくと痙攣した。

ぴくぴく、やばい。また笑いたくなった。今日のボクは、やっぱりどうかしている。
しかし、ここは我慢だ。親指と人差指を使って、耳たぶをぎゅっ〜と引っ張る。
身体のどこかの1点に強制的にぎゅっと痛みを与えて、その痛みを感じている
あいだに、頭をもたげたモグラ(モグラ叩き)という感情を素早く叩いてしまう。
あるいは蚊に刺されて、かゆくてかゆくて、とても我慢できないときの楕円形に
赤く腫れた部分に爪をぎゅっと押し付ける自傷行為のように。

「あっそう〜ショーコですかぁ、借用書なら妻名義の銀行の貸金庫にあるけど、
証人だったら、すぐ目の前のここにいるじゃないですか、そうですよねぇ〜!」
とボクは言ってから大女優Aさんを見た。そう言えばこの一連の騒動のあいだに
Aさんは何も言わないし、なにも話さない。まるで何も聞こえていないかのように。
世界遺産の日光東照宮、”見ざる・言わざる・聞かざる”のように。上州新田郡
三日月村の木枯し門次郎、”あっしには関わりのねぇことでござんす”のように。

ボクは何かしらのざらざらしたものを感じた。公園に敷いたレジャーシートの上に
砂利が乗っかったように。自転車のカゴに誰かが放り込んだ空き缶を見たように。
お吸い物のアサリを食べたときにジャリッとしたような、不快で嫌な感じがした。
Aさんは知らん顔しているのはどうしてなんだろうか、その理由をボクは考えた。
つまりAさんは大スターだから、つまり人気商売だから、トラブル回避なんだろう。
ただそのことを考えてみても、Aさんのその態度に、ボクは釈然としなかった。

何事もないかのように相変わらずスマホを操作していたAさんは、ボクが話し掛け
たときは、きょうと(京都)の舞妓さんのように、一瞬きょとんとしていた。あるいは
きょとんとした、ふりをした。しかし、すぐに事情を飲み込んだらしく、すぐに美しい
職業的微笑みを浮かべながら、「最初に殴ったのは、このひとです」と言いながら
その美しい人差し指をボクに向かって、真っ直ぐにぴんと向けた。

「えっ、ボクですか?」と不服そうにボクが言うと、アイススケートのリンクみたいな
ザクザクとした下から震えあがる冷たいものに、Aさんの表情が一瞬で変わった。
その美しい瞳の奥のほうは、まるでドライアイスのように冷たく美しく燃えていた。
それはまるで、東京タワーの蝋人形のように、とても冷たくて美しい表情だった。

しかしそれだけでは済まなかった。Aさんは、蝋人形のように無口ではなかった。
Aさんはボクに対して、打者一巡の猛攻と仕上げの満塁ホームランのような、
試合の勝敗を決定してしまう、決定的なダメ押しをした。

私たちは「怒り」と「憎しみ」を、明確に区別しなければなりません。
「怒り」には正義の心があり、正義の怒りは、人々の行動を誘い、
差別や不幸等を解決するための力となります。
「怒り」なくして状況を変えることはできません。
しかし「憎しみ」には状況を変革する力はありません。
それどころか、単なる報復の心に支配され、状況を悪化させ、
自他ともの破壊をもたらします。
ジョン・ロス(米国の哲学者)

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