それは後からだったら、なんとでも言えるだろう。

はぁ〜はぁ〜と肩で息するぽっちゃり君、霜が張った氷のようなAさん
キツネ目で睨む警備員、遠巻きに見つめるひと、さわめく証人者たち。
前後左右が非難という名前の壁によって、ボクは完全に包囲された。
完全な四面楚歌。追い詰められて、老いてなお傲慢な袋のドブ鼠。

この窮地(包囲)から脱出するには、あとは上と下しか残っていない。
汚れたドブ鼠ではなくモグラだったら良かったのに、鳩だったら良かったのに
あるいはスティーブ・マックィーンだったら良かったのに。そんなことを考えた。
上空に目を向けた。蒼い空は申し分なかったし、白い雲は世間の常識を
兼ね備えた、とても美しい塊(かたまり)だった。それは、ボクと正反対だった。

そのときに異変が発生した。突然だった。ぐら〜ぐら〜とした揺れ、震動だ。
モグラになれないボクに地割れが発生したのか、地底へストンと落ちていくのか。
いや地震ではないし、それは40代で抜いてしまった親知らず(虫歯)でもない。
他のどこでもない、他の誰でもない。震源地はここにいる、この自分だった。

ボクの心は、ぐりとぐら(絵本)のように、ぐらぐら〜ぐりぐら〜と揺れ始めた。
いったい何が正しくて、何が間違いか。誰が正しくて、だれが間違えたのか。
何かを考えようとしても、それぞれのパーツがぐらぐらと揺れてしまい、歯車
の細部がきちっと噛み合わないので、ひとつの形に集約することが出来ない。
あるいは、本能的にそうすることを拒否していたのかもしれない。何故か?
それはきっと、集約の陰にあるものが暗黒の絶望だと感じていたからだろう。

もしかしてパート1が大女優のAさんとの遭遇だとしたら、もしかしてパート2は、
「もしかして、もしかして、わたしの他には誰か、悪いひとが、いないなら・・・・・」
そういえば小林幸子もいろいろあったし、美川憲一もいろいろあった(らしい)。
元祖歌姫の島倉千代子は、「東京だよ、おっ母さん」と「人生いろいろ」だ。

考えなければいけないことはイロイロあるが、まずは、いまの状況を考える。
ぜぇ〜ぜぇ〜しているぽっちゃまくんは、少し(かなり)怒りっぽいところはあるが
それは逆に言ったら仕事熱心な裏返しでもあると、ボクは考え直してみた。
彼は決して悪い奴ではない。だったら本当に悪い奴とは・・・・・ボクなのか?

当日の行動について、時間を遡っての仮説仮定法で検証してみよう。
まず、午前4時に起床した。いや、何もそこまで戻る必要はない。もっと先からだ。
右か左の分岐点はどこだった?そう彼が椅子から、がばっと立ち上がった瞬間だ。
彼はひとことも言わずに、いきなり殴ってきた。右のフックが顔面に近づいてきた。
パンチ自体にはスピードはなかったが、それでもあの状況で咄嗟によけられたのは
彼から視線を外さなかったこと。そして、ボクシングの練習をしていたからだろう。

もし彼の体重(100kg?)が乗ったパンチが、顔面に当たっていたら、かなりの衝撃
を受けたはずだ。それが1発だけのパンチで済んだか、その予測はつきかねる。
なぜなら彼は相当に興奮していたから。この場合は、殴られたボクは完全な被害者
になっていたはずだ。どんなに自分の言動の非を追及したところで、彼からいきなり
殴られることはしていないし、殴られるに相当すること、殴られるに値する(そういう
ものがあるとして)ことは言っていない。(それなのに、なぜ彼は殴って来たのだろう)

この場合に、つまりボクが殴られたときには、どういう事態に展開しただろうか。
国民的な女優のマネージャーが、その女優の目前で、一般人男性(自営業者53歳)
を殴打して、全治1カ月の怪我を負わた。予想される結果は、女優さんの記者会見
での謝罪はもちろんのこと、被害者と和解できるまでの芸能活動の自粛は避けられ
ないだろう。彼女の主演映画、TV、CM、スポンサー契約は果たしてどうなるのか。

このような最悪な事態を避けられたのは、ボクが彼のパンチを外したからであり、
それはつまり、ボクシング練習の成果に他ならない。しかし、本題はここからだ。
大女優(専属マネージャー)さんのスキャンダルを防いだ代償の火の粉が、今度は
一転して、こちらに降りかかってきた。パンチを避けたあとにボクは殴ってしまった。

それも、相当に強烈な一発だ。どうしてか。ボクは、なぜ殴ってしまったのか。
いま考えたら、理由はいくつかある。まずは、ボクシング練習をしていたことだ。
これは大きい問題だ。つまり、ボクシングの練習をしていたから、相手のパンチを
回避して被害者にならなかった。しかし、ボクシングの練習をしていたから、パンチ
を出してしまって加害者(だとしたら)の立場になった。カガイシャ?かがいしゃ?

ボクは思う。こういうことは、それは後からだったら、なんとでも言えるだろう。
パンチを避けてから何で殴ったのかと、おかしいじゃないかと、お前が悪いと。
それについてボクが何かを言えば、言い訳だとか、弁明だとか、自己保身だとか
そう思われる方もいる。理由はどうあれ、手を挙げたほうが悪い、結果責任だと。
それでもあえて、ボクは言いたい。1つだけ、いや2つだけは言わしてもらう。
あのとき、ボクは、興奮している彼が怖かった(だから、彼を座らせようとした)。
あのとき、あの一発は瞬間的だった(選択肢を考えている暇なんかなかった)。

暗雲のような重たい沈黙を破ったのは、テレビで聴いていた女性の声だった。
「それは間違いないです、最初に殴ったのは、絶対に、絶対に、このひとです!」
さすがは女優さんだ。艶(つや)があり、説得力があり、聞きやすくてよく通る声だ。
しかしそんなことに関心している場合ではなかった。彼女の言葉には、先場所の
日馬富士のような鋭い突っ込みがあり、ボクは一気に土俵際まで押し込まれた。

自分を責めることはけして悪いことではない。ただ、そのとき責める
内容を検証し、ポジティヴなものを見出してくれるもう一人の自分を
そばに置くといい。そうでないと、一方的に自分を責め続けて救い
のない自己嫌悪に追いやるからである。
もっと望ましいことはそういう友人がいることである。
志茂田景樹(作家・絵本作家、1940〜)本人ツイッター(2010年11月20日)より

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