大きな子供でも、小さな大人でも、馬鹿な親爺でも分かるように

環状七号線から聴こえてきたのは荒井由美の歌ではない。ドアのへこんだ
白いセリカ(車高が極端に低い)でもない。ピカピカの外観は白と黒の綺麗な
ツートンカラーで配色されて、その上部には短気なニワトリみたいな赤色灯
が見る者すべてを見下ろして、怒り狂ったように威嚇していた。

一見して手入れが完璧だと分かる。いつでも臨戦態勢の状態を使命と誇り
として、だれでも分かるように、だれにでも分かりやすく知らしめている。
そこにあるのは、歩み寄りや妥協の余地など寸分も許さない強固な意志を
組織的に持った、年末の氷雨のように冷たい意思表示。それはとても強くて
とても優しくて、とても冷たくて、ボクのことをぴりぴりに痺れさせた。
こんなにまで冷たく感じたのは、ボクの心が表面凍結したからである。
それはまるで、がちがちになった通行禁止のアウスバーンのようだった。

平常心を失った親爺ではなく、それを普通の子どもが見たら、それは普通
にしか見えない車である。たしかに普通に見えるが、やはり普通ではない。
普通のひとは運転することが出来ないし、そこに乗せられるような人々は、
普通のひとではないのだから。そもそもとして、乗り物を利用する理由は、
希望の場所へ早く移動する交通手段である。ららぽーと歳末バーゲンに行く
とか、苗場スキー場へ行くとか、オリジン弁当を買い行くとか。ところがその
白と黒のツートンカラーに乗せられたら、行きたい場所ではなく行きたくない
場所へ連れて行かれる。それにもっとも重要なのは、強制的であることだ。
どこの誰だって、そんな代物には乗りたくない。採決をとったら満場一致だ。

その代物からアレが聴こえる。小さな子供でも知っている。ピ〜ポ〜ピ〜ポ〜。
どんどん音量が大きくなる。進撃の巨人のように。小さな子供でも分かるように。
もちろん、大きな子供でも、小さな大人でも、馬鹿げた親爺でも分かるように。
すぐそこまで来た。どこにも逃げられない断崖絶壁に、国家権力が迫ってきた。

いつもだったら何とも思わないサイレンが、ボクの心臓の鼓動を大きく速くした。
どっくん、どっくん。身体は急な発熱のようにかっと熱くなり、背中だけはまるで
インターバル走のように、ぞくぞくとした寒い悪寒が繰り返して何度も走った。
ボクは激しく動揺した。これはえらいことになった。家族の顔が脳裏に浮かんだ。
どうしよう。子どものように泣きたい。消えたい。しかし、もう逃げられなかった。
地下にもぐれないし、空を飛べないし、ハードな大脱走もできない。う〜ん・・・・・。
いや、そもそも逃げる必要がなかった。そっそうだった。おいおい、しっかりしろ。

こうなった以上は言うことは言わなければいけないし、やることはやらなければ
いけない。逃げも隠れもしない。やったことはやったこと。結果責任?もちろん。
しかし、結果(行動)には必ず原因がある。原因(起因)があるから行動がある。
行動を起こす直接の原因、目的を動機という。その動機は何か、何故なのか。

ボクはなぜ殴ったか。その前に彼はどうして殴ってきたのか。う〜ん・・・・・・。
こんなことになるのなら、最初に出した彼のパンチが当たれば良かったのに。
いや避けなければ良かった。彼がそうしたければ素直に殴られたら良かった。
その方がどんなに良かったことか。いや、それも違う。避けたのは仕方がない。
咄嗟に避けたのは思考じゃない。危険回避は生きる者の生存本能だから。

そう本質的な問題は自分だ。ボクがパンチを出さなければって、そんなことは
当然じゃないか。今となったら当たり前だ。だけど、しかし、それも条件反射。
それも分かっている。出してしまったんだ。だから、当たらなければ良かった。
だけど、当てる練習をしているんだ。いつも、いつも的を狙って打ち出すのだ。
何でそんな練習をしたのか?それがボクシング練習だから、スポーツだから。
それは違う。スポーツだったら素手で相手を殴らない。もちろん、その通りだ。
冷静になろうとするが、聴こえてくる、大きくなる。ピ〜ポ〜ピ〜ポ〜ピ〜ポ〜

私たちは、「お金がないから」とか、「時間がないから」
という理由で、いろんなことをあきらめています。
でも、お金がなくても旅行することはできますし、
新しいことを学ぶこともできます。
大切なのは、どうしてもやりたいという情熱と、
それをする方法を思いつく想像力です。
本田健(著述家)『きっと、よくなる2』

718UQOPxytL__AA1054_