新しい挑戦。今までとは違った、まったく新しいこと(世界)に挑戦する。
そのことについて事前に少し考えたが、ボクの決断は意外と早かった。
余分な贅肉を削ぎ落とした身体のように、余分なことは考えないようにした。
他人に対して自分がどう思われるかを考えるのは、もちろん大切ではあるが
そこばかりを気にしていたら、本当の自分がどうしたいかという純粋な気持ち
がブレてしまう。これを逆説的な表現をすれば、世間の目を気にしたぐらいで
揺らいでしまうような動機(挑戦)など、たかが知れていると賢者は言うのだ。

それはそうだ。たしかにそれは一理あるだろう。しかし、それが全部ではない。
少なくても自分はそうだった。あとで考えたら、取るに足らないようなどうでも
良いことを気にするばかりに、新しい一歩を踏み出せなかったことが、今まで
どれほどあっただろう。そこのところをしつこく掘り下げて考えたら、その1つ
ひとつには大なり小なりの後悔がある。ただ実体として、忘れているのだ。
または忘れようとする。いや、本当は忘れたいのだろう。いわゆる忘却力だ。
いつまでも終ったことをずるずると引きずっていたら、前には進めないからだ。

たとえばあのときに新しい一歩を踏み出したとしても、それがその先にどういう
顛末になったのか、そんなことは神様でない限りは誰にも分からないのだ。
結果が良かった、いや悪かった、あるいは良くも悪くもなかったかもしれない。
要するに、過ぎ去った過去を未練がましく、うだうだと考えているだけだ。
”それが何なんだって言うのか、そこに何か問題があるのか”と貴方は尋ねる。
ボクの中の一部が答える。”過去は良いんだ。しかし、そこをあやふやにして
臭いものや腐った異物にフタをしてしまったら、今いる場所が、明日の歩く路が
もやもやとしたものに覆われて、ぼんやりとした峠の濃霧のように先が見えない。
つまり同じことだ。それではただ過去を省みずに、繰り返しているだけなのだ”

挑戦しなかった。決断しなかった。覚悟を決めなかった。失敗を恐れた。
現状維持や前例踏襲に縛られた。世間の目を気にした。戦う勇気がなかった。
そうやって貴方は、たくさんあった自分の可能性を潰してきたのではないか。
それなのに貴方は(自分は)、あれがないとか、素質がないとか、運がないとか、
そういう不満や愚痴ばかりを当然のように吐き出しているのではないのか。

継続の挑戦・・・・ハーフマラソン・ボクシング・ギター・ドラム・小説(執筆)・近代史
新しい挑戦・・・・・手話

挑戦は美であり、スタイルだ。
挑戦した上での不成功者と、
挑戦を避けたままの不成功者とでは、
まったく天地のへだたりがある。
挑戦した不成功者には、
再挑戦者としての新しい輝きが
約束されるだろうが、
挑戦を避けたままでオリてしまったやつには、
新しい人生などはない。
岡本太郎(芸術家、1911〜1996)『強く生きる言葉』

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