あれから4年3ヶ月、そしてわたしはスタートラインへ

背中にリュックを背負い、わたしは成田山を目指して走っていた。
わたしは自宅から25舛寮虱娶八千代市の成田街道を走っていた。
そのときは、2011年1月1日の午前0時30分前後だった。
車道から歩道へジャンプしたわたしの足が何かに蹴つまずいて
空中をダイブしながら、アスファルトの歩道に左半身から強く叩き
つけられた。食べやすいように斜めにカットされた”ずわい蟹”の
ように、わたしの左脚の大腿部は斜めに長く裂けるように骨折した。

反対側に折れ曲がった脚を見たとき、わたしは生まれて初めて
氷河のように冷たい恐怖心で、心と体は一瞬でガチガチに凍りついた。

本当にマラソンが走れるか、もう1度ちゃんと走れるようになるのか
この問いに対して、わたしは完全に100%払拭できたことはない。
ただの一度もない。ただし、わたしがマラソンを諦めたこともなかった。
だからわたしは、こうした日々を積み重ねてきたのだ。

あれから4年3ヶ月、わたしはスタートラインに立つことができる。
ただし、21舛箸いΦ離が本当に走れるのかは分からない。
あれ以降(2011.1.1)わたしの走った最長距離は17舛任△襦
距離とスピード、脚にたいして、わたしの不安は決して小さくはない。

それでもわたしは、わたしのこれまでの日々を振り返ると中川と綾瀬川、
荒川の水質と水深に負けないくらいに、純粋で感慨深いのである。
あしたは実際に走ってみなければ分からないけど、1時間46〜58分くらい
だったら、わたしはゴールできるかもしれない。出来ないかもしれない。

タイムはともかくとして、明日のハーフマラソンが、第2のスタートになって
くれることを、これからも走って行こうと思えることを、わたしは祈りたい。

師匠の言う通りに、点ではなく線になりますように、
そして願わくは、少し太くて力強い線になりますように!


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