第一回かつしかふれあいランフェスタ(ハーフ)

05/23'38"(4’44”)
10/25'32"(5’06”)
15/28'15"(5’36”)
20/29'58"(6’00”)
FI /06'37"(6’37”) 1時間54分(NT1時間53分54秒)

誰にも加齢は止められないが、誰でも若返りはできる(と私は思う)

最初の5舛任錣燭靴慮撞曚肋綵の赤城おろしのように吹き荒れていた。
白くて四角いボードに黒い太字で10舛判颪い討△襪發里見えたとき、
わたしは走るのを止めようと思った。わたしは滅茶苦茶に苦しかったのだ。

後ろから走ってきたランナー集団は、わたしのことなどまったく眼中になく
”あっしにはかかわりのないことでござんす”みたいに情け容赦なく抜き
去っていく。結構なことだ。それが、まじめに練習をしてきたという事実で
あり現実であり、当然かつ正当な行為なのだ。働き者が怠け者を制する
のが健全なる資本主義社会である。真面目なアリの集団が、キリキリ
しているキリギリスを抜いていく。わたしは、そのように理解しようとした。

しかし、15舛△燭蠅ら次第に納得できない異変が起こった。わたしの
呼吸と同じように、わたしの頭まで混乱してきたのだ。わたしを追い抜
いて行くランナーが、それまでの状況とはあきらかに変化してきた。
わたしより太っている、わたしよりはるかに高齢、わたしより走り方が
良いとは言えない、そういうランナーが易々と追い抜いて行くのである。
(もちろん、そういうランナーが悪いという意味では決してありません、
あくまでも、わたし自身の主観的、客観的な考察としての表現です)

なぜだ、どうしてなんだ。いくら5年ぶりのレースとは言え、わたしにとって
はある種の屈辱だった。わたしの神経は混乱していたが、一方では冷静
になろうとする自分自身も存在した。そして、わたしは3つのことを考えた。
投げ出さないで絶対に完走すること。この屈辱と挫折を真摯に受け止める
こと。そして、このような状況がわたしに教える意味を解明することだった。
よれよれゴールのあとに、わたしは、この解明作業にさっそく取り掛かった。

完走証明書を受け取る。応援(並走)に来てくれたATUSHIさんと握手
をする。手荷物の受け取りは、手荷物を預ける時間より15倍早かった。
わたしは脚を引きずりながら、河川敷の階段を上がり、手すりを掴みな
がら、150分のペースで堤防の階段を下りた。性能の悪いポンコツの
ロボットのような動きをしながら、わたしはセブンイレブンに入った。

金色の温かい缶コーヒー(微糖)と玉子サンドウイッチを買った。それを店外
のゴミ箱の上に落とさないように神経を使いながらそっと置いた。わたしは
珈琲をごくごくと半分飲んだあとに、玉子サンドを紫色の口に放り込んだ。
年老いたヤギのようにモグモグしているときに、わたしは屈辱と挫折の意味
についての解明作業が、気まぐれな突風のように突然吹いて終わった。

その回答は何ら特別なものではなかったし、何ら目新しい発見でもなかった。
過去に私が経験してきた中に存在していたことだった。たとえば一番最初の
ハーフマラソン(46歳)、脱サラ当時(38歳)、たとえばギター練習(50歳)、
それと最初の手話サークル(53歳)、すべての状況はおしなべて同じだった。

いつだって成長(夢・希望)は挫折から生まれる。これを別の表現にすれば、
ライチュウはピカチュウの進化系、格好良いは格好悪いの進化系となる。

大腿骨を骨折した50歳が4年後にハーフマラソンを完走した。この事実が
同じような怪我をした方や、何かしらの苦しみを抱えている方の何かしらの
励みになってくれたらと、わたしが僭越ながら思うところである。

お掃除ロボットのように、何を言ってルンバ、という方もいるかもしれない。
たかが骨折で4年もかかったのに、それが何の励みになるというのだ、と。
そういう意見に対しては、わたしも同感だ。ただ、こういう風にも考える。

わたしがこの4年間に体験してきたことは、決して無駄や無意味なことでは
なかった。病気や怪我をしたことが良かったとは言わないけど、少なくても
わたしを成長させてくれた要因として今では絶対に欠かせない経験値だ。

IWGPは遠いぞ、挑戦したいんだったら力で上がってこい!と棚橋弘至は
オカダカズチカに言った。いまのわたしに、サブスリーは遠いぞ!とは誰も
言わない。もしかしたら親切な誰かが、サブフォーは遠いぞ!と言うかも
しれない。言わないかもしれない。

しかし、わたしは聴こえた。心がブツブツ言ってるのが聴こえてきたのだ。
「挑戦したいのだから、だったら、力で上がって行ってやる!」
堀切のセブンイレブンでサンドイッチを食べ始める前は15歳余計に老け
込んでいたが、食べ終わったときは、いまの私より5年分若返っていた。

理想とは、自分が想像できる最良の状態であり、
そうありたいと思う最上の目標である。
理想は現実的ではない、と思うかもしれない。
しかし、この理想を追い続け、そこにどれだけ近づくことができるか?
という挑戦を続けることこそ最も価値ある生き方だ。
オリソン・マーデン(米国の成功哲学者、実業家、1850〜1924)


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