03月01日(日)  REST・昨夜は新橋でお酒を飲んだ。今朝は何もしなかった
03月02日(月)  08キロジョグ58分・休み明けは走り始めがイマイチなんです
03月03日(火)  11キロジョグ58分・10キロ50分OK、これマジで限界ギリギリ
03月04日(水)  04キロジョグ30分・ここからは体調管理と筋力維持が大切
03月05日(木)  05キロジョグ40分・久し振りに屋外で走る、舗装道路慣らし
03月06日(金)  03キロジョグ20分・慣らし×(屋外+時計+靴+空気+心)
03月07日(土)  04キロジョグ28分・少し小雨交じりだったが、大丈夫ですよ
03月08日(日)  ハーフマラソン1時間54分・かなりバテたけど、脚はOK
03月09日(月)  REST・疲れているのにあまり眠れなかった、明日からだ
03月10日(火)  REST・ぐっすりと8時間睡眠、まだまだ右脚がパンパンだ

03月11日(水)  ウォーキング3キロ・まずは脚慣らし、歩く分には問題なし
03月12日(木)  ウォーキング6キロ・歩いてサウナと買い物、すっきりしたぁ
03月13日(金)  05キロジョグ42分・ふくろはぎが少し痛い、13日の金曜日
03月14日(土)  06キロジョグ48分・脚は大丈夫、4月からは強度を上げたい
03月15日(日)  07キロジョグ53分・これから半分は芝を走るように心掛ける
03月16日(月)  12キロジョグ72分・今朝ジョグは希望を感じた、まだ出来る
03月17日(火)  REST・予定通りの休み、余裕を持たせながら上げていく
03月18日(水)  15キロジョグ95分・「風に立つライオン」鑑賞、ギター教室
03月19日(木)  10キロジョグ64分・予定はゆっくり走るつもりだったのに〜
03月20日(金)  10キロジョグ80分・疲労抜きジョグは真剣にやりましょう!

03/01〜03/10=ジョグ07日間56キロJog
03/11〜03/20=ジョグ07日間65キロJog

2015年
01月ジョグ18日間188キロJog(  188K)
02月ジョグ17日間147キロJog(  335K)
2014年
01月ジョグ22日間110キロJog(  110K)
02月ジョグ20日間129キロJog(  239K)
03月ジョグ26日間200キロJog(  439K)
04月ジョグ26日間240キロJog(  679K)
05月ジョグ24日間240キロJog(  919K)
06月ジョグ06日間043キロJog(  962K)
07月ジョグ10日間044キロJog(1006K)
08月ジョグ10日間056キロJog(1062K)
09月ジョグ10日間087キロJog(1149K)
10月ジョグ08日間032キロJog(1181K)
11月ジョグ26日間235キロJog(1416K)
12月ジョグ22日間260キロJog(1676K)

情熱と呼べるものが本当にあるだろうか
もしわたしに情熱があるとしたら、その起源は、
私が苦しいときに聞いた言葉ではないだろうか!


東日本大震災が発生する、およそ3ヶ月前だった。
2011年1月7日、ふつうの家庭では七草粥を食べる日である。
わたしの家庭は普通だったが、わたしは普通ではなかった。
元旦から7日間、わたしの折れた左手は私の意志よりもカチカチ
に硬い白いギブスで覆われていた。斜めに長く裂けるように折れ
た左脚は、病院のベッドから10cm高い位置に吊るされていた。

この7日のあいだに私が一番望んだのは、箱根駅伝ではないし
七草粥を食べることでもなかった。24時間絶え間なく続いている
わたしの身体の痛みから解放されたい、ただそれだけだった。

このような怪我をした全責任はわたしにあります。反省します。
これまでのわたしの不徳については、これから償って生きます。
誓います。だからお願いです。神様、この痛みを取り除いて下さい。
(先生、本当にお願いします。はやく、はやく手術をして下さい!)

わたしは特別食である七草粥を食べることができなかった。
手術前夜から食事は、文字通りにドクターストップなのだ。

1月7日(土)午後2時を過ぎた。手術室に穏やかな音楽が流れて
いた。たぶんそれは洋楽だと思うが、わたしの知らない曲だった。
私の耳元で”天使のささやき”のように尋ねたのは長澤まさみプラス
10年の看護師さんだった。全身麻酔の前に、天使の声が言った。
「なにか(手術前に)お話ししたいことはありますか?」

わたしは、それまでに言えなかったことを言ってみようと考えた。
今までなぜ言えなかったのか。いや、そんなことを言える(主張)
状態ではなかった。そしてもう1つ、わたしはその質問をするのが
とても怖かった。その質問を医師が返す言葉が無性に怖かった。
「時間はかかりますが歩けるようにはなります。でも走ることは....」
もしこういう回答だったらと想像すると、私は聞くに聞けなかった。

もうすぐ意識がなくなる。そして手術が始まる。輸血を要する手術だ。
わたしは、まな板の鯉だった。わたしには、なにも出来なかった。
手術前に医師にお話ししたいことを尋ねられる。さぁ〜勇気を出そう。
ちゃんと言わないと後悔する。今しかない。わたしは決意した。

瀕死の蚊が泣いているような声を振り絞って、わたしはこう言った。
「先生、もう1度フルマラソンを走りたいので、よろしくお願いします」

看護師さん(長澤まさみ10年)は、まるで通訳をしているように、
手術室にいる全員が聞こえるように、大きな声で復唱してくれた。
なんども修羅場を超えてきた女性が発する声だった。

そのあとに執刀医師の声が聴こえた。「はい、わかりましたぁ!」
スッポン料理を食べたあと、濃い珈琲を飲んだ男性の声だった。
いつも自信のある男が自信のあるときに発する話し方だった。

手術室のピンと張りつめた空気が、そのときに少しだけ緩んだ。
わたしは大丈夫なんだ、また、走ることが出来るんだ。
みんなでわたしを守ってくれる。わたしを助けようとしている。
だから、だから、だから、わたしは大丈夫なんだ。

そう思ったときに、手術台で寝ている私の目から涙が溢れてきた。
その涙は頬を伝わって、わたしの耳に入った。

あれから4年3ヶ月、わたしはマラソンの半分(ハーフ)を完走した。
そしていま、あらためて考える。わたしはフルマラソンを走りたい。
フルマラソンを走りたい。わたしは、絶対に走らなければいけない。

私たちは、「お金がないから」とか、
「時間がないから」という理由で、
いろんなことをあきらめています。
でも、お金がなくても旅行することはできますし
新しいことを学ぶこともできます。
大切なのは、どうしてもやりたいという情熱と
それをする方法を思いつく想像力です。
本田健(著述家)『きっと、よくなる2』

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2011.1.7(金)13:51 手術の直前