屈折したスターダスト(星くず)とは真逆の笑顔を浮かべていた

(ガストの女性店員は、寝ていた男性客の肩を揺すり、お会計を促した)

わたしが午前9時にお店を出るとき、店員に肩を揺すられた男性は、まだ店内に
いた。寝ていなかった。店内に置いてある読売新聞を、自分のテーブル上に大きく
広げて読んでいた。あるいは、読んでいるフリをしていたのかもしれないが。

男性は、まだ会計をしていなかった。わたしは、その後の経過と結論がどうなるか、
気になった。しかし、わたしは、これ以上ガストにいない。男性がガストに長く留まる
事情があるように、わたしは、ガストを正味30分で退店しなければいけない事情が
あった。大人には、人それぞれ、いろいろな事情があるのだ。会計を済ませた私は、
ふたたび新宿の靖国通りに出た。

私は少し歩いて、すぐに止まった。横断歩道の信号が青に変わる。わたしは左右に
首を振り、車が止まったことを確認する。そして歩いて、新宿ピカデリーに入った。

デヴィッド・ボウイの映画は朝一(9:10)上映にもかかわらず、そこそこ混んでいた。
約2時間の上映が終わるとき、わたしは先ほどまで気にかけていたガストの男性の
ことは、先週の仕事や昨夜の夕飯と同じように、きれいさっぱりに忘れていた。

わたしは映画の余韻に浸っていた。朝のランニングのように、心地よい満足感が
広がっていた。しかし、それと同時に、何かに例えようのない、ある種のもどかしさ
も同時に感じていた。原因は、そう、あのラストシーンだった。

最期の場面のイギリス人女性は、英国風紅茶のパッケージみたいにメイクアップ
された美顔の上に、屈折した星屑(スターダスト)とは真逆の笑顔を浮かべていた。

女性は映画を観ていた私に向かってウインクをした。そして自信たっぷりに言った。
「今後のデヴィッド・ボウイの新しいアルバム、そして活動が、とっても楽しみですね」

映画が始まってから、私は、いつの間にか、映画の世界を単純に楽しんでいた。
しかし、その女性の、その一言によって、わたしは一気に現実に戻された。

わたしが生まれたときに、すでにデヴィッド・ボウイは、この地球に存在していた。
この映画が完成したときに、この地球に、デヴィッド・ボウイは存在していた。
わたしは、いまのところは、紙屑のように軽い存在ではあるが、この地球に存在
している。しかし今、この世界に、この地球に、デヴィッド・ボウイはいないのだ。

私は歩いて新宿駅へ戻った。そして千葉行きの総武中央線に乗り、空いている
座席に座り、座ったまま代々木駅を無視して、次の千駄ヶ谷駅で下車した。

今の世の中って、余りにも沢山の情報が溢れてる。本当なら何が
適切なものなのか選択して生活の中に取り入れていくべきなのに、
それが不可能になってるよ。それを解決するには、僕達がもっと
シンプルな生活スタイルに戻らなくちゃいけない。
デヴィッド・ボウイ


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