KAZUの完全復活を目指して

平成23年1月1日元旦の午前1時 年越しJOGの途中で転倒して大怪我をした。 大腿部と手首の骨折〜救急車の搬送〜2回の入院と手術を経て2月9日に退院。 そして退院後のリハビリ通院は79回をもって、平成23年6月29日に終了した。 さぁこれから、ここから、どこまで出来るのか、本当に復活(完全)出来るのか? 本気でヤルのか、情熱を注げるのか、そして過去を超えられるのか? 質問と疑問に対して、正々堂々と、決して逃げずに、答えを出してみよう。 こういう人生を、こういう生き方を、思い切り楽しんでみよう。 KAZUさんよ、タイトルに負けるなよ!

2012年03月

失敗した経験

05:05〜 自然起床
05:10〜06:45/リハビリ(ストレッチ・ 筋トレ)
06:45〜07:15/お風呂(パワーブリーズ・マッサージ・正座)
やっと、春ジョグですねぇ(^∀^)・3月累計13キロ(6日)

失敗はいいけど、何度も同じことをやるなよぉなぁ〜(^∀^)

3月29日(木)のジョグは、あきらかに失敗だった。
ジョグの数日前から、かつてないほどに、とても調子がよくなっていた。
小さな山は越えたような気持ちになっていた。
とりあえず2キロくらいのジョグは問題ないはずだろう。
ところが、半日ほど経過してから、状況は一転していく。
だんだん、違和感が増加していく、歩きずらい。
そして3日目になると、痛くなっている。

これからの方針を再確認しよう。まず、いまの痛みを除去すること。
無痛になったら、油断せずに、様子見ながらウォーキングをする。
ウォーキングを1ヶ月続ける、あわてずに、歩くことから取り組もう。
ジョグは、不安なく歩けるようになってからにしよう。
しっかりと、ちゃんと、自己反省しましょうね、オバカサン(^∀^)

失敗はしたっていいんです。
大事なことは、失敗した経験を消しゴムで消してしまわないこと。
ちゃんと反省して次に結びつけることです。
人の心ってつらいことから逃げようとしますからね。
勝手に心が消去しようとしちゃう。
でも、それじゃダメ。つらさを何度も反すうしないと。
そうすると、人間的にも、すごく成長できるんです。
倉田真由美

1
自宅カレーランチ 雨でビショビショ(´−д−;`)

弱点を見つめて

05:05〜 自然起床
05:10〜06:45/リハビリ(ストレッチ・ 筋トレ)
06:45〜07:00/2キロジョグ(上平井橋〜本奥戸橋)
07:05〜07:35/お風呂(パワーブリーズ・マッサージ・正座)
やっと、春ジョグですねぇ(^∀^)・3月累計13キロ(6日)

わたしの彼は左きき、わたしの弱点は左あし

左足に弱点がある原因は、左足の大腿骨骨折によるものです。
骨折の内容(折れかた)は、大腿骨が斜めに長く折れたものです。
そのため、手術にあたって、大腿部に長さ26cmのメスを入れたのです。
そして、骨折部分をガードするために、長いプレートをかぶせてあります。

2

外科的処置の結果として、大腿部のプレート、そして、26cmの手術跡です。
昨年の1月7日の手術から1年3ヶ月、歩行許可から1年が経過しました。
昨年までは、まるで故意にチカラを入れているように、大腿部全体が固くなっていました。

カチカチ大腿部は、ゆっくりと、そして少しづつ、表面から柔らかくなってきました。
いまの状態は、26cmの手術跡の内側の筋と肉が約20cmほど固くなっています。
固くなっている部分は、コリコリした感じの固いスジのようです。

この固いスジは、僕の日常生活のうえでの、ハッキリとした弱点です。
朝と夜 20分づつマッサージをして、固いスジ部分を丁寧にもんでいきます。
この左足は僕の弱点であるけれど、だからこそ、いろいろなことを教えてくれます。
いつかは、この弱点を克服して、つよい左足、そして、つよい精神になれることでしょう。

自分の弱点をしっかり見つめてその姿を十分に知っておきましょう。
でも弱点に支配されては駄目です。
弱点から忍耐力と優しい心と物事を見通す力を教わりましょう。
ヘレン・ケラー

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ベジタブルカレー ランチ インド料理イメージ  新小岩駅南口

春を待つ桜

05:05〜 自然起床
05:10〜06:45/リハビリ(ストレッチ・ 筋トレ)
06:50〜07:35/お風呂(パワーブリーズ・マッサージ・正座)
この2〜3日は良くなった気がするんだけど(^∀^)・3月累計11キロ(5日)
はちすばクリニック
1.温め 2.先生のマッサージ 筋トレ 3.内腿 クッション(10回×3)
4.チューブ外腿(10回×3) 5.お尻上げ(10回×3) 6.チューブ回転 7.ウォーク

今年の桜は、もうすぐです、よい時は、必ず来ますからね(^∀^)

今年の1月31日のリハビリ通院から、53日が経過したことになる

リハビリ中の左足は、今年の冬のように、同じような状況の日々が続いていた。
いずれは春がくる、そして、僕の足は、いずれは改善されて行くだろう。

改善傾向は、少しづつ到来しているのに、うっかり見落としていることがある。
階段を降りるとき、左膝の柔軟が弱いために、ガクッガクッと接地していたのだが
いつのまにか、右足と同じように、スムーズに階段を降りられるようになっていた。

東京の開花予想は3/30(金)、満開予想は4/7(土)とのことです。
昨年は、桜の下を、楽しみながらのスローウォーキングだった。
今年は、桜の下を、楽しみながらのスロージョギングが出来そうだ。

わるい時がすぎれば、よい時は必ず来る。
おしなべて、事を成す人は、必ず時の来るを待つ。
あせらずあわてず、静かに時の来るを待つ。
時を待つ心は、春を待つ桜の姿といえよう。
静かに春を待つ桜は、一瞬の休みもなく力をたくわえている。
松下幸之助

198
更科そば 天丼のお弁当 398円 マックスバリュー松島店

東京裁判

6:05起床
6:10〜6:50/リハビリ(マッサージ、ストレッチ、筋トレ)
6:55〜7:20/入浴(正座、マッサージ、PB、スクワット)
リハビリは絶対に続けていくのです(^∀^) 3月ジョグ 11キロ(5日)

私は正しき法を適用したにすぎない パール判事

日本は、明治のころから、他国への侵略戦争を繰り返してきた。 
だから太平洋戦争になって、アメリカに原爆を落とされて、敗戦したんだ。
子どものころから、学校で習った近現代史から、同じようにことを学んできた。

では、わたしたちは、「いつから日本が悪くなった」と考えるようになったのでしょうか。
それは、終戦直後のマッカーサーの来日、そして、東京裁判によるものです。
東京裁判とは、いったいどのようなものなのでしょうか。
ニュース番組の映像をみれば概略は分かります。
http://www.youtube.com/watch?v=YpCgpW23vzs&feature=related

民族の劣性への転落/パール判事の日本無罪論 田中正明 P214より一部抜粋

敗戦後、日本人が民族的自尊心を失い、卑屈になり、劣等感に陥ってしまったことは
否定できない事実である。敗戦を通じて、過去の日本のあやまりや失敗を正しく反省
することは、当然のことであり、それは正しいことである。

だが、不当なる劣等感に陥りあやまった罪悪感を抱くということは行き過ぎである。
自分が罪を犯したという意識をもてば、卑屈にならざるを得ない。
この意識をことさら煽りたて、事実までねじ曲げて、過去の日本のすべてを罪悪である
と決めつけられたのが東京裁判である。

この裁判は歴史上最悪の偽善だった。
こんな裁判が行われたので、自分の息子には
軍人になることを禁じるつもりだ。
(なぜ東京裁判に不信感をもったかと言えば)
日本が置かれていた状況と同じ状況に置かれたならば、
アメリカも日本と同様戦争に訴えていたに
違いないと思うからである。
 
CAウィロビー将軍(アメリカ GHQ参謀第2部長)

9998
おこわ うどん 530円 小僧寿し

ダグラス・マッカーサー

6:05起床
6:10〜6:50/リハビリ(マッサージ、ストレッチ、筋トレ)
6:55〜7:20/入浴(正座、マッサージ、PB、スクワット)
春眠暁を覚えず 、チト眠いっす(^∀^) 3月ジョグ 11キロ(5日)

戦勝国のアメリカ人 マッカーサーの証言を聞いてみませんか?

日本は侵略戦争ばかり繰り返してきた、と信じ込んでいる日本人は多いようです。
終戦直後に、日本にきたGHQ最高司令官マッカーサーは、すごい人気でした。

日本人の好きな米国人 連合軍最高司令官 ダグラス・マッカーサーは、
その後、朝鮮戦争からアメリカに帰国してから、とても重要な証言をしています。
この証言は、世界にとって、とりわけ日本人にとって、重要であるにもかかわらず、
日本のマスメディアは、なぜか取り上げてこなかったのです。
したがって、このマッカーサーの証言を知らない日本人が多いのではないでしょうか。

必要な情報を得ないで導き出した見解・意見というのは、危険ではないでしょうか。

昭和26(1951)年5月、アメリカ上院の軍事外交合同委員会で、
ダグラス・マッカーサー
は以下の2つの重大な発言を行なった。

1..「日本の戦争は自衛戦争であった」

「日本は絹産業以外には、固有の天然資源はほとんど何もないのです。
彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い。錫(すず)が無い、ゴムが無い。
それら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。
もし、これらの原料の供給を断ち切られたら、1000万から1200万の失業者が
発生するであろうことを日本人は恐れていた。
したがって、彼らは戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に
迫られてだったのことだったのです」

2.「アメリカが過去100年に太平洋で犯した最大の政治的過ちは、
共産主義者が支那において勢力を増大して行くのを黙過してしまったことである」

フィリピンで日本に完敗したダグラス・マッカーサーは
日本に恨みを持ち復讐心に
燃えていた。後に日本が原爆を落とされて負けて、マッカーサーがやってきたとき
彼はその恨みを晴らすべく「日本は悪いものだ」と信じきって東京裁判
をやらせ、
自分たちの意向を反映させた
日本国憲法をつくらせて日本を骨抜きにした。

ところが朝鮮戦争
が起こって事態は一変する。
そのとき彼は初めて東京裁判で弁護側が言ったことがすべて本当だったのだと気づく。
そして満州にも支那に対しても日本がやったようにやらなければならないという結論に
達する。しかし当時の大統領・トルーマンは、ソ連と戦争になることを恐れて、
マッカーサーを解任してアメリカに戻した。
その後、アメリカはマッカーサーが予言したように朝鮮半島で負け始め、なんとか38度線
まで押し返したところで戦争は終結する。
そしてアメリカに帰国したマッカーサーは上院の軍事外交合同委員会という最も公式の
場で日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語ったのである。

朝鮮戦争が始まってアメリカは、自分たちのやっていることは
明治以来日本がやったことと同じだと気がついた。
朝鮮半島に”一方的に入ってきたのが清国”で
それが”日清戦争”であること。
”朝鮮半島に軍港をロシアが作りはじめ”て、それが”日露戦争”
D・マッカーサー元帥

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マーボー豆腐 ご飯セット ドリンクバー 834円 バーミアン東新小岩店

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