KAZUの完全復活を目指して

平成23年1月1日元旦の午前1時 年越しJOGの途中で転倒して大怪我をした。 大腿部と手首の骨折〜救急車の搬送〜2回の入院と手術を経て2月9日に退院。 そして退院後のリハビリ通院は79回をもって、平成23年6月29日に終了した。 さぁこれから、ここから、どこまで出来るのか、本当に復活(完全)出来るのか? 本気でヤルのか、情熱を注げるのか、そして過去を超えられるのか? 質問と疑問に対して、正々堂々と、決して逃げずに、答えを出してみよう。 こういう人生を、こういう生き方を、思い切り楽しんでみよう。 KAZUさんよ、タイトルに負けるなよ!

2012年04月

6人の大関

05:05〜 自然起床
05:10〜06:45/リハビリ(ストレッチ)
06:50〜07:35/お風呂(マッサージ・正座)

09:00〜10:00/はちすばクリニック
1.温め 2.先生のマッサージ 電気
お尻が痛いのは、座骨神経痛と言うのですね(´−д−;`) 

古いシステムを捨てる、変えていく勇気が必要じゃないか

ひとりの横綱、そして6人の大関、この番付は、大相撲にとって良いのだろうか。
ぼくは、以前から、大関のシステムに欠陥がある、と考えている。
横綱は、つねに優勝争いを求められている、勝ち星でいうと12勝以上である。
では、大関はどうだろうか、10勝以上と言われながら、現実には8勝すればいい。
大関陥落の条件である、2場所の連続負け越しさえ阻止できれば、大関は安泰である。
無理して横綱になって短命で終わるよりも、大関をキープするほうが所得率がいい。
だから大関は強くならない、だから大関が増えるだけ、だから相撲界が盛り上がらない。

いまの大関に問題があるのではない、大関に甘いシステムにしたことが問題なのだ。
大関は2場所連続して10勝できなければ陥落する、このくらいは当然じゃないか。
緊張感のある強い大関、そして横綱を倒す、横綱を目指す大関、このシステムが必要だ。

物事がうまく行かないのは、
それを行う人が悪いからではありません。
システムが悪いからです。
システムが良ければ、人に原因があっても、
そこそこうまく行くものです。
「問題は人ではなく、システムにある」と言い換えることもできます。
(流音弥)

12
鶏団子の雑炊 コーヒー 924円 華屋与兵衛 東新小岩店

社交的な高校生

05:05〜 自然起床
05:10〜06:45/リハビリ(ストレッチ・ 筋トレ)
06:50〜07:35/お風呂(パワーブリーズ・マッサージ・正座)
リハビリは長〜いお付き合いだから仲よくしましょう(^∀^)

”ご馳走様でしたぁ〜!” なんてアイツは社交的な奴なんだ!

高校生のとき、勉強嫌いの新小岩集団の中に、少し異質な同級生がいた。
彼は勉強ができる、そして勉強する仲間にいながら、勉強嫌いの集団にも入ってくる。

彼は、立ち食い蕎麦を食べると、大きな声で店員さんに”ご馳走様でした”と言った。
その場に居合わせた勉強嫌いの友人は、その後に、僕に説明してくれました。
あいつ、”ご馳走様でした”なんて言うんだよ、すげぇ〜社交的な奴だよなぁ〜!

あの頃の僕は、外食時の店員さんに、”ご馳走様でした”と言うことさえ出来なかった。
どうしてなのか、いま振り返って原因を考えてみるのは、かなり無理があること。
そこを敢えて考える、考える必要がある、考える価値がある、51歳の父親だからねぇ。

高校生の頃、どうして ”ご馳走様でした” と言えなかったのか、原因を考える。
1.働くことの意味、価値観、働く人の気持ちを理解していない。
2.感謝の気持ちがない、お金を払っている、自分はお客様だから。
3.大人に迎合するような言葉は使いたくない、抵抗がある、それに恥ずかしい。

恥ずかしい、控えめ、シャイ、内向的、繊細、謙虚などという言葉について
日本人の国民性としての美徳、そして、そこから発生した素晴らしい文化がある。
しかし、そこには、自己主張と自己表現のできない未熟さを含有している場合がある。

外食時に、母親くらい(年齢)のパートさんが、「お待たせしましたぁ〜」と言うのに
何のリアクションの出来ない人をみていると、とても残念な気持ちになってしまう。
こういう無表情の態度は、若かりし自分の行動と、まったく同じだったくせにねぇ。

挨拶といっても、黙礼だけの挨拶では意味がない。
ちゃんと顔を上げて、声を出すことが肝心なのだ。 
小出義雄

12
日替わりランチ&ドリンクバー  892円     バーミヤン東新小岩店 






人間は間違える

05:05〜 自然起床
05:10〜06:45/リハビリ(ストレッチ・ 筋トレ)
06:50〜07:35/お風呂(パワーブリーズ・マッサージ・正座)
お尻痛いのは、飛んでいったかなぁ(^∀^)

それは正義感というよりは、むしろ身勝手ではないのか

予定の時間を計算して駅に到着する、しかし、乗るべき電車が動いていない。
原因は、車両故障だったり、人身事故だったり、いろいろなケースがある。
この場合の感情は、まず焦る、次に原因、いつ運転再開か、ではどうするのか。
苛立つ人は、こわばった顔をして、興奮して、無抵抗な駅員に対して文句を言う。
「なんにやってるんだ、いつになったら電車が動くのだ!どうしてくれるんだ!」

大切な予定があれば、誰だって焦るだろう、誰だって苛立つだろう。
しかし、感情的になって駅員に文句を言ったところで、運転再開が早くならない。

電車は、いつでも運行ダイヤ通りに、正確な時間を刻んで、運転しているものだ!
というように考えるとしたら、それは、正義感というよりは、むしろ身勝手ではないか。
当たり前のことを求めるのは当たり前だ、と考えることは、本当に当たり前だろうか。
なぜなら、電車は動かないことがある、ということは誰でも知っていることだろう。

電車は動かないことがある、有料の高速道路は渋滞でちっとも動かないことがある。
道路工事をしていているので、迂回(回り道)しなければいけないことがある。
銀行のATMに長蛇の列ができている、スーパーのレジには不慣れな人がいる。
プロ野球のピッチャーは、突然ストライクが入らなくなるときがある。

いつでも完璧な状態をキープする、1つの失敗のない人間は存在しない。
「人間は間違えるものである」 という前提にたって考えるようにしたら
無理に感情的になったり、無駄にストレスを感じることを、回避できるのではないか。

他者に対し感情的になるとき、その感情すべてが正義感だとは言えない。
感情的の中身には、自身の抱えている不満の気持ちを含んでいることがある。
自身の不満を含ませながら、バレないように、感情的になっているとしたら、それは、
正義の仮面を被った八つ当たり行為、正義感というより、むしろ、身勝手だろう。


われわれが意図するもので完全なものはなく、
試みることで誤りのないものはない。
成し遂げることはすべて、有限であり、誤る可能性がある。
ゆえにわれわれは許しによって救われる。 
デイヴィッド・アウグスバーガ

12
うずら卵カレー 野菜サラダ、カフェオレ 880円 COCO壱番屋 新小岩駅北口店

現実の全体像

05:05〜 自然起床
05:10〜06:45/リハビリ(ストレッチ・ 筋トレ)
06:50〜07:35/お風呂(パワーブリーズ・マッサージ・正座)
あしは良いのだけれど、お尻が痛いのよぉ〜(´−д−;`)

視野は広いく、そして同時に、奥深くなければいけない

福島原発を検証しないで、原発再稼働の是非についての議論は少しも進まない。
原発事故と原発再稼働、この2つは、日本に住んでいる人の共通問題であるはずだ。
なぜ共通の問題として、わたしたちは考えるのでしょうか、理由は2つあります。
1.わたしたちの生活において、電気を使用することは必要不可欠である(生活)。
2.原発事故と原発再稼働の問題が、同じ時期に発生している(時期)。

生活と時期、この2つが合致したとき、わたしたちは危機感をもって真剣に考えようとする。
しかし、どちらかの一方が欠落しているときには、リスクを感じる力が弱くなってしまう。

生活に直結しても、時間が離れていくと、私たちの気持ちは時間に比例して離れていく。
東日本大震災について、我々の意識が少しづつ弱くなっていることを自覚すべきだ。
首都圏に住んでいる私たちは、阪神・淡路大震災の教訓を十分に学んだのだろうか。
視野は広いだけでなく、奥深くなければ、現実の全体像を見誤り、
将来の設計図も正確に描けない。

ある年のシーズンオフ、原辰徳監督は認知症の老人施設から講演を頼まれて少し戸惑った。
「内容が分かってもらえるかな」。胸の内を明かすと、施設の職員に「刺激そのものが大切
なんです。それに、施設のスタッフも後ろで聴いていてくれること、忘れないで下さい」
と諭され、目の覚めるようなおもいでうなずいた。
11
読売新聞の記事          「50歳を過ぎたら、もっと大胆になれ!」より

視野は広いだけでなく、奥深くなければ、現実の全体像を見誤り、
将来の設計図も正確に描けない。
  原辰徳監督

12
日替わりカレー 750円 クィーン&ガーデン 新小岩駅南口

劇団四季アイーダ


いつかは来る別れのときが、苦しいけれど、言わなければ(星のさだめ)

劇団四季アイーダの観劇 第1回/2010.9.4・第2回/2012.4.19

前回(2010.9.4)は、その
内容(ストーリー&楽曲)を、まったく知らずに観劇しました。
しかし今回は違う、アンコール公演の発表から、一日千秋の想い、待ちに待ったのです。
この日のために、3ヶ月前からCDを聴きまくり、準備はOK、体調だってバッチリです。
僕の座席は舞台から5列目、客席は老若男女、ただ、観客の80%は女性が占めている。
前後左右を見知らぬ女性陣に包囲された51歳の親爺は、ただ静かに開演のときを待つ。

15

そして、ついに始まる〜最初の歌曲が終わる、初めて体験するような感情に包まれる。
高ぶる精神と共に、しっとりした、安らかな、落ち着いた、満たされた気持ちになる。
ところが、異質な感情が発生している、寂しさと切なさが溢れてくる、このまま止めてくれ。
そんなに急いで、先に進まないで欲しい、なぜだろうか、この気持ちは、どこからくるのか。
始まってしまうと終わりが来る、この先に確実に、僕は到達する終わりを恐れているのか。
このまま進んでいくと、かなしい場面に辿り着く、僕は、これを恐れているのだろうか。

星の運命(さだめ)か、罪の報(むく)いか、なぜ、やってきた、別れのときが・・・・・

昨夜、しっとりして気持ちで帰宅する、「どうだったの?」 と家族に感想を求められる。
何だか変だ、やっぱり、いつもの自分じゃない、簡単な単純な普通のコトバが出てこない。
人に感想を伝える、相手が理解するためには、まず自分が客観的になる必要がある。
しかし、どうしたんだろう、いまは、いつものようなハッキリ主張している自分じゃない。

いつものような 「良かった、感動した」 という表現では、まるで、心の実相が伝わらない。
僕の心の中にある主観が大き過ぎて、まだ客観的になれない、まだ準備が整っていない。
もう少しだけ、ただ君だけを、静かに、心の中を占めるアイーダの余韻に浸っていたい。

あなたの思想と感情を表すあなたの言葉は、
あなた自身ばかりでなく他人をも癒す力を持っています。
あなたは自分のためばかりでなく、他人のためにも
よい言葉を使う習慣を身につける必要があります。
ジョセフ・マーフィー

34
パスタランチ ドリンクバー 904円 ジョリーパスタ西新小岩店

記事検索
livedoor プロフィール

kazu

TagCloud
livedoor × FLO:Q
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ