KAZUの完全復活を目指して

平成23年1月1日元旦の午前1時 年越しJOGの途中で転倒して大怪我をした。 大腿部と手首の骨折〜救急車の搬送〜2回の入院と手術を経て2月9日に退院。 そして退院後のリハビリ通院は79回をもって、平成23年6月29日に終了した。 さぁこれから、ここから、どこまで出来るのか、本当に復活(完全)出来るのか? 本気でヤルのか、情熱を注げるのか、そして過去を超えられるのか? 質問と疑問に対して、正々堂々と、決して逃げずに、答えを出してみよう。 こういう人生を、こういう生き方を、思い切り楽しんでみよう。 KAZUさんよ、タイトルに負けるなよ!

2012年06月

「もう歩けないかもしれない」

04:30〜 自然 起床
04:40〜05:40/ストレッチ
05:40〜06:00/2キロウォーキング(上平井橋〜平和橋)
歩いて歩いて、少しジョグ、歩く〜歩く(^∀^)

関越道バス事故から2ヶ月、「学校へ戻る」懸命リハビリ

あの日、力人さんは帰省の途中だった。座席は後ろから3列目。
シートベルトを装着していて椅子ごと吹き飛ばされ、床にたたきつけられた。
腰に激痛が走り、起き上がれない。
割れた窓ガラスが散乱する床をはって非常口に向かい、
他の乗客に抱きかかえられて外に出た。

バレーボール部で鍛えた下半身は腫れ上がり、しびれていた。
救急隊を待つ間、高校生活や大学受験、就職など将来のことが頭の中を駆け巡った。
「もう歩けないかもしれない」と覚悟した。

搬送された群馬県の病院で手術を受けた直後、両足に毛布をかけると針で刺された
ような痛みに襲われた。 「運が良ければ、立てるかもしれない」。
母の知代子さん(44)は医師からそう告げられ、「頭の中が真っ白になった」と振り返る。

しかし、医師も驚く回復ぶりで、2、3週間でベッドの縁に座れるようになった。
1か月後には、8キロ軽くなった体を手で支えながら立つことができ、さらに数日後には
歩けるようになった。「自分の力で立ち上がれた時が一番うれしかった」。
力人さんから「リハビリしているところは見ないで」と言われた知代子さんは、息子が
一人で歩く姿を物陰からそっと見つめ、声が漏れないよう口元を押さえながら涙を流した。

6月初めに茨城県の病院に転院。最近はより難しい片方の足で立つこともできるように
なったものの、「病室からリハビリ室までの100メートルがとても遠く感じる」。
体内にはボルト8本と金属板が埋まっている。
「学校に早く戻りたいけれど、『治すぞ』という意思が折れないよう、焦らずにいきたい」
2012年6月29日  読売新聞)

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何の前触れもなく、突然にして、一瞬にして、過酷な運命に飲み込まれてしまう。
いままで、テレビニュースで見ていたようなことが、自分に襲いかかったときに
初めて気付くこと、そうだったのか、これが現実なんだ、ニュースは本当だった。

痛い、苦しい、辛いね、少しだけど、僕には君の気持ちが、少しは分かるんだ。
突然こんなことになっちゃったけれど、みんなの気持は分かるよね。
きみは1人じゃない、家族、涙を流したお母さん、お友達、先生、みんなが応援している。
みんなの気持ちは、君の力に変換できる、新しい扉を開ける力になる。
生きていること、君に託された使命があることに、これから気付くだろう。
遠いところから、君の知らないところから、僕は、静かに、君を応援している


不快な状況にどう対処するか?
あるがままに起こったことを受け入れよ。
それが不幸な結果を克服する第一歩である。
対峙する勿れ。 我慢ならなくとも、受け入れよ。
そうするよう心掛ければ、うまくいく。
運命が一つの扉を閉じたならば、信念が別の扉を開く。
空いている扉を見つけよ。
 
ウィリアム・ジェームズ(米国の哲学者・心理学者、1842〜1910)

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中華そばセット 684円(200円引き券) 王将ルミエール店 豆乳85円 新小岩プチマルエツ

道案内

04:30〜 自然 起床
04:40〜05:40/ストレッチ
05:40〜06:00/2キロウォーキング(上平井橋〜平和橋)
走れるけれど、とりあえず、少しだけにして、歩いて歩いて(^∀^)

あのさぁ〜、どうやって行けばいいのよぉ!

お店(アサヒエステート)のドアを、勢いよく開けた。
そこにいたのは、少し薄汚れた紙袋を持った初老の男性だった。
お店の中へ、ズカズカと2メートルくらい入ってきたから、男性はこう言った。

男性  あのさぁ〜、ドコドコへ行くには、どうやって行けばいいのよぉ!
自分    えっ!あっそれは、この道を真っ直ぐ行ってから・・・・・・・・

これは、ときどきある、道案内です。
ぼくは道案内をしながら、心の中は、次のように考えていました。
(言葉には発しない、心の声)
おいおい、ここは不動産屋なんだ、仕事中にいきなり入ってきて
そんな言い方はないだろう、道案内なら、交番へ行って聞けばいいじゃないか。

こういう意識が変わってきたのは、やはり、怪我を経験した以降でしょうか。
自分を中心に物事を考えていると、仕事中に何だよ!という気持ちは当然あります。
しかし、もう少し引いて客観的に考えてみたら、全く違う気持ちが沸き起こるのです。

仮に道案内の時間が2分間かかったとする。
(A)自分/仕事などの自分の時間、自分のペースが2分間中断する。
(B)相手/迷っていた10分間が霧消、精神的に落ち着きを取り戻す。
この場合に、AとBのどちらを選択すべきか、重要視するべきか?
そもそも、こうやって比較することが、恐ろしくナンセンスなことに気付くべきだ。

困っている人が、困っているときに、困っていない人が手を差し伸べること。
ここに比較は存在しない、なぜなら、人間の感情は計算すべきものではないからだ。

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道案内? もちろんウェルカムですよ!いつでもいいですよ、どうぞ〜プリーズ(^∀^)

道が分からずに不安なときに、親切に、丁寧に、分かり易く説明すること。
道を尋ねた人、道を教えた人、この両者がHAPPYになるんだよねぇ〜(^∀^)

年をとればとるほど、
親切と幸福は同じ意味だということがわかってくる。
ライオネル・バリモア
(米国の映画俳優・舞台俳優、1878〜1954)


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和幸御飯 819円 和幸 新小岩店/キャベツおかわり1回、しじみ味噌汁 おかわり2回(^∀^)





戦争のこと

06:20〜 自然 起床
06:30〜06:50/ストレッチ
左足は曲がらないけど、その他は、良い感じなんだわぁ(^∀^)

日本の歴史が教えてくれるもの

怪我をしてからは、いままでより、他人のことを考えるようになっていた。
そして気が付いたら、戦争の本を読み、僕は戦争をことを考えるようになっていた。

知らなければいけないこと、関心をもたなければいけないこと。
いつも逃げていたこと、いつも避けていたこと、いつも見て見ぬ振りしていたこと。
こういう気持ち、つまり、日本人として後ろめたい気持ちは確かに存在していた。
だけど、僕だけではない、それに、弁明に困らない言葉は、世の中に氾濫している。

べつに戦争のことを知らなくても困らないし、だれに迷惑をかける訳ではない。
辛い、苦しい、悲しい、過酷で残酷な戦争を知ったところで、気分は滅入るだけだし
避けて通り過ぎて、ここまで普通に生活してきたので、このままでいいじゃないか。

もし戦争のことを尋ねられたら、「戦争は絶対に反対です!」 と言っておけばいい。
侵略戦争とか、米英に勝てるわけないとか、A級戦犯の靖国神社には参拝しないとか。
軍国主義、とてもひどい時代だった、二度と繰り返してはいけない、とさえ言えばいい。

僕は戦争をことを考えるようになっていた。
本を読む、そして考える、新たな本を読む、また考える、違う本を読む、また考える。
なぜ三国同盟だったのか、なぜ満州だったのか、なぜ東条英機だったのか。
2つのことが分かると、新たに1つの疑問が発生してくる。
 
当時の人々は、こんなに勉強してきた、苦悩してきた、日本のことを考えてきた。
それなのに、まだ僕が理解していないこと、まだ知らないことが、たくさんある。
歴史を学んでいくと、自分は無知無学である、ということが、よく分かる。
これから、僕は戦争をことを、考え続けていくだろう。

悲劇を回避するには一人一人が自分の知識を増やし、
それを組み合わせ起こるあらゆるリスクを考え、
理性的に判断できるようにならなければならないのです。
これこそが勉強というものの最終目的なのです。
だからこそ人間は一生勉強しなければならないと思うのです。
講義5 子どもの頃を思い出してみよう より 鎌田真彰


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ランチパスタ ドリンクバー 819円 ウ゜ィアマンマ 新小岩駅北口

大切なもの

04:30〜 自然 起床
04:40〜05:40/ストレッチ
05:40〜06:00/2キロウォーキング(上平井橋〜平和橋)
 イチ・ニー・サンポ、さんぽ、散歩ジャパン、散歩しんこいわ(^∀^)

すごく大切なものは、クローゼットの中ですか?

本当に大切なものは、本当に大切にしなくては、本当に大切なものとは言えない。
個人的に所有している、身の回りにあるモノを、あらためて、見直してみると
ちっとも大切にしていないモノが、たくさんあることに、嫌というほど気付かされる。

本は、同じ本を2度読むより新しい本を読みたい、と考えて手放すことにした。
洋服、雑貨など、使用しないものは、どんどん手放してしまう。
本当に大切にしたいモノだけを、大切に使用する、大切に保管する。
不要なモノはバザー出品して、必要な人が安価で購入して使ってくれればいい。

不要から必要に変えるには、不要なモノを手放すこと、いつまでもモノに執着しないこと。
こうやって、不要なモノを手放すことによって、いままで不要なモノを購入していたこと、
そのときの気分で購入しただけのモノ、つまり無駄使いだったことに気付かされる。

だんしゃり 断・捨・離とは、自分とモノとの関係を問い直し、
暮らし・自分・人生を調えていくプロセス。
不要・不適・不快なモノとの関係を、文字通り、断ち・捨て・離れ
引き算の解決方法によって停滞を取り除き、住まいの、暮らしの、
身体の、気持ちの、人生の、
新陳代謝を促す・・・ by  やましたひでひこ

人は人生の中で何が最も大切なのか、
どうなりたいのか、何をしたいのか、を
真剣に考えるとき敬虔な気持ちを持つようになる。
スティーブン・R・コヴィー

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らーめん 780円 落としぶた 新小岩駅南口  コーヒー豆乳78円 西友新小岩店

ストレス習慣 

04:30〜 自然 起床
04:40〜05:40/ストレッチ
05:40〜06:00/2キロウォーキング(上平井橋〜平和橋)
 さぁ〜歩こう〜 さぁ〜歩こう(^∀^)

電車に乗り込んだときに、座りたいと考えるのか、考えないのか。

電車に乗ったとき、”座席に座りたい”と考える人は、ストレスの多い生活ではないか。
希望通りに座席に座れたときは、小さな満足感を獲得するが、反対に、座れないときは
大きなストレスを感じてしまう、後から乗車した人が運良く座ると、ストレスはより増幅する。

外食に行ったとき ”よい席に”と考える人は、ストレスの多い多い生活ではないか。
希望通りに好きな席に座れたときは、小さな満足感を獲得するが、反対に座れないときは
大きなストレスを感じてしまう、後から入店した人が運良く座るとストレスはより増幅する。

電車内では座れなくていい、外食時の席はこだわらない、と考えるひとは
日常生活からのストレスの感じ方は、それほど大きなものにはなっていない。
”ストレスの感じ方”に、個人差があるのは、何が要因となっているのか。

この要因の根底にあるのは個人主義ではないか、つまり、自分=幸福の意識が強いのだ。
自分が良ければいい、自分さえ良ければいい、他人より絶対に自分が優先されるべき。
他人より自分が優位でいたい、外食のオーダーが逆転されると、不愉快、不機嫌になる。
こういうストレスが大きくなっていくと、他人の幸福が悔しくて腹立たしくなってくる。
自分しか愛せない、という感情になってしまったら、ストレスの多い人生になってしまう。
「自分しか愛せない」ことが 「自分を愛していない」ことに、気づかない人がいるのです。

受け入れること、自分のこと、家族のこと、友人のこと、他人のこと。
他人に対して、自分のことのように喜び、自分のことのように悲しむ、そういう心
を育む。
まだ、僕はぜんぜんダメ(´−д−;`)  だけど、そういう心を育みたいと思う。

受け入れたものは、もはやあなたの外にはなく、 あなたと一体です。
一体となったものから被害を受けることはありません。

受け入れたら、ストレスは感じない。
津留晃一(講演家、1946〜2000)「多くの人が、この本で変わった」

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トマト、レタスバーガーとブレンド 640円 モスバーガー新小岩駅南口店



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