KAZUの完全復活を目指して

平成23年1月1日元旦の午前1時 年越しJOGの途中で転倒して大怪我をした。 大腿部と手首の骨折〜救急車の搬送〜2回の入院と手術を経て2月9日に退院。 そして退院後のリハビリ通院は79回をもって、平成23年6月29日に終了した。 さぁこれから、ここから、どこまで出来るのか、本当に復活(完全)出来るのか? 本気でヤルのか、情熱を注げるのか、そして過去を超えられるのか? 質問と疑問に対して、正々堂々と、決して逃げずに、答えを出してみよう。 こういう人生を、こういう生き方を、思い切り楽しんでみよう。 KAZUさんよ、タイトルに負けるなよ!

2012年10月

初サブスリーのリスク

2012.10.30(火)
05:25〜06:30/ストレッチ・軽く筋トレ
06:30〜07:30/トレミルウォーキング5キロ60分
07:30〜07:55/入浴、ストレッチ・正座
ウォーキングが基本です、しっかりやらないとネ(^∀^)

ボクの挑戦は、まだまだ終わりませんよぉ〜(^∀^)


ボクが現役ランナーと仮定して、本命レースの目標を考えてみる。
ハーフマラソンを85分で完走したら、初サブスリーに挑戦する。
ハーフマラソンを82分で完走したら、2時間50分切りに挑戦する。

その挑戦結果がどうなるのか、そんなことは分からないし、分からなくてOKだ。
ボクは神様ではないから。 それに、結果が分かっていたら勝負じゃないから


初サブスリーに挑戦するための目安として、動機として、理由として、根拠として
それがハーフ1本だけの実績だとしても、それはそれで十分じゃないかな。
なぜなら、それが全く根拠のない、勝機のない、無謀な挑戦ではないから。
むしろ、サブスリーの可能性があれば、それは大きな夢のあるチャンスだと捉えたい。

ボクの個人的趣向だけど、慎重になって、実績が十分になってから挑戦するより
たった1つの活路を見いだしたら、そこに勝機を求めて大勝負を挑んでいく。

ホームランを打てる可能性がなければ、もちろん、ヒット狙いに徹する。
しかし、ホームランの可能性があるのに、バットに当てにいくようなスイングをして
ヒット1本を打ったところで、それが意味のあることだとは、ボクには思えない。

もちろん、最初からヒットが打ちたいなら、それはそれでいい。
ホームランに魅力を感じないのなら、HRより確率の高いヒットを狙えばいい。
三振することがそんなに恐いのなら、バットを短く持ってコンパクトに振ればいい。
ホームランを打てる可能性に、全身全霊を賭ける気持ちがないのなら、
それは個人の考え方なんだし、第三者がとやかく言う問題じゃない。
(それに、いまのボクは、バッターボックスに入ることさえ出来ないから)

ただ、野球の場合は、ヒットの延長がホームランになることがあるけれど、
初サブスリーは、最初からギラギラと狙っていかないと、それは絶対に出来ない。
つまり、戦う前に、リスクを受け入れる覚悟があるのか、ということじゃないかな。

ボクが現役ランナーだったら、三振を覚悟して、ホームランを狙いに行くけどね(^∀^)

リスクには2種類ある。
踏むには危険が大きすぎるリスク。
それと逃すにはあまりにも惜しいリスクだ。
ドラッカー(20世紀オーストリア出身の経営学者、社会学者、1909〜2005)

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ヘルシー和膳、ドリンクバー、900円、ジョナサン新小岩駅前店

根津甚八

2012.10.29(月)
05:25〜06:30/ストレッチ・軽く筋トレ
06:30〜07:15/トレミルウォーキング3キロ45分
07:15〜07:40/入浴、ストレッチ・正座
ウォーキングの時間を延ばしていきましょう(^∀^)


マジで観たいよぉ〜 1980年のテレビドラマ ”恋人たち”

TBSテレビの”恋人たち(原作は立原正秋)”を観たのは、大学1年生のときだった。
このドラマの中で、根津甚八は、恋人のスレている田中裕子ではなく、その妹の
生真面目な大竹しのぶと結婚する、というような男女の入り組んだストーリーだった。
ちなみに、ドラマのテーマ曲は、根津甚八の弟だった桑名正博の名曲 ロンリネス。

さて、最近になって初めて気付いたこと、驚いたこと、嬉しかったことがある。
それは、19歳から憧れていた
根津甚八が、ボクのすぐ近くにまで来ていたこと。
オリジナルビデオの"
闇稼業 詐欺道(2000年)"は、その多くを新小岩で撮影していた。
撮影場所は、駅前、商店街、ガード下、公園、総武線の車内、平井大橋の辺り
それに、新小岩駅南口にある不動産屋さんも画面に写っている(ハァ〜羨ましい)。

根津甚八のDVDは、ときどき、無性に観たくなります。
そして、今年になって再発売された、復刻版のCDを聴いています。
それと、根津さんの弟役だった桑名正博のCDが来月に発売されますね。

ひとりは寂しいロンリネス はぐれた夜は・・・・・・
桑名正博 ロンリネスhttp://www.youtube.com/watch?v=ZISLqCYoYhU

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くちびるに歌を持て。ほがらかな調子で。
毎日の苦労に、よし心配が絶えなくとも!
くちびるに歌を持て。そうすりゃ、何がこようと平気じゃないか!
どんなさびしい日だって、それが元気にしてくれる!

ツェーザル・フライシュレン(ドイツの詩人・作家、1864〜1920)
山本有三訳「心に太陽を持て」

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チキンクリームソース、798円(割引券) ジョリーパスタ新小岩店


フレンズ ポールとミッシェル

2012.10.28(日)
05:25〜06:30/ストレッチ・軽く筋トレ
06:30〜07:10/入浴、ストレッチ・正座
ストレッチと筋トレは、コツコツ続けましょう(^∀^)

取得と喪失という現実に対して、ボクが考えること

それは、日曜洋画劇場とか水曜ロードショーのような夜のテレビ番組だった。
1971年の映画 「フレンズ」を初めて観たのは、たぶん高校生の頃だったと思う。
そのときは、かなり衝撃的であり、まるで太鼓の達人を乱打する少年のように
ボクの心臓の鼓動は、アップテンポで激しく鳴り響いた。

あのドキドキから、すでに35年くらいが経過している。
52歳になってからは、その映画から受ける印象が大きく違っている。
姿と形は変わらないけれど、色彩の色合いは、それまでとは微妙に異なっている。
赤いモノがピンクだったり、黒いモノはグレーになっている。
見えていなかったところが見えるし、感じていたことが感じなくなった。
つまり、取得したものと喪失したもの、その両方が発見できた。

取得したものは、原因と結果の因果関係について、客観視できること。
喪失したものは、14歳と15歳の衝撃シーンを、衝撃に感じなくなったこと。

あの頃、ボクはキャンディーズが好きだった。
それが当時の多感な感受性であって、映画の 「フレンズ」 に衝撃を受けた。
だからあの頃は、いつも、絶えることなく、激しく恋をしていた。
自然体ではなく、自分を少しでも良く魅せるために馬鹿みたいに躍起になった。
しかし、そこから発生するエネルギーは、その当時にしか創り出すことができない。
そのことは大切なことだし、必要なことだし、決して否定されるべきではない。

戦後からの復興を目指して、かつての大人達は、身を粉にして働いてきた。
爪に火を灯すように、貧しさに耐えて、苦しさを我慢して、そうやって生きてきた。
そんな大人達の一部は、「エレキを持ったビートルズは不良だ」と批判した。
伝統の象徴である日本武道館を、ビートルズなんかに、貸すべきではないと主張した。

あの頃の大人と子供、現在の大人と子供、ビートルズ、キャンディーズ、AKB48。
そう考えてみると、「AKB48の総選挙は下らない」なんて言ってはいけない。
べつに、AKB48のファンになる必要はないけれど(当たり前だけど)。

ボクが感じなくなったものを、排他的に、批判的に考えるのではなく、
ことの本質は、自分の感受性が喪失している現実をしっかりと自覚すべきことだ。
若者は高齢者になったことはないけれど、高齢者はかつて若者だったことがある。
そもそも、感受性の喪失は、そんなに悲観すべきではない。
むしろ、「自然+当然+健全」 なこととして、素直に潔く、受け入れるべきだ。
そのうえで、取得した人生経験を活かして自分の視野と思考を広げていくべきだろう。

4-.24-1

パラマウントが誇る、時代を超えた名作・傑作をお求めやすい価格で!!
エルトン・ジョンの名曲とともに綴る“もう一つの小さな恋のメロディ”・・・
カリスマ美少女アニセー・アルビナが可憐な美しさで魅了!
裕福だが親の愛に恵まれない15歳のポールと、両親を亡くした14歳の少女ミシェル。
偶然出会った二人は、人里離れた小さな家で同棲生活を始める。
やがて芽生える真実の愛と初体験・・・。そしてミシェルのお腹に宿った大切な赤ちゃんは、
自分たち二人だけで出産するという運命に直面する・・・


世界平和を真剣に希求するならば、
これからの世代をになう幼児たちの教育にもっと重点をおき、
むしろ、それに賭けるくらいの心がけが必要なのではないでしょうか。
井深大(ソニー創業者の一人、1908〜1997)

12
にんにく炒め御飯、ドリンクバー、950円 バーミヤン東新小岩店

ひまわり ソフィア・ローレン

2012.10.27(土)
05:25〜06:30/ストレッチ・軽く筋トレ
06:30〜07:10/トレミルウォーキング2キロ40分
07:10〜07:40/入浴、ストレッチ・正座
まだまだ本調子には遠いけど、コツコツ続けましょう(^∀^)


悲しみと哀しみ、それでも”ひまわり”は美しさを求めている

おじいちゃん おばあちゃんの高齢者の皆さんが、食い入るように観ていたのは

身長180cm マイトガイ小林旭の主演している昭和30年代の映画だった。
大画面を見つめる表情はキラキラと輝いている、とても嬉しそうに、すごく懐かしそうに。
これは、先日のNHKニュース番組で見たものです。
認知症を予防するのに、若かりし頃の懐かしい映画を観ることは効果的です。

懐かしい記憶を呼び起こし認知症を予防する「回想法」
回想法は1960年代にアメリカの精神科医が高齢者用に始めた心理療法。
高齢者の人生の歩みや思い出を共感しながら聞くことで、
高齢者の自尊心を回復させ、認知症予防につながるという。

そこで、ボクは、自身の最近の思考力についてを考えてみた。
物事を考えていくうえで、広い視野があるか、冷静な選択ができているか。
思い違い、勘違い、物忘れ、錯誤、錯覚、失念、柔軟な思考ができているか。
う〜ん、そうだね、何だか、ちょっと心もとない気がしてきた。
ボクはアメリカの精神科医が始めた、「回想法」を取り入れることにした。

さて、手っ取り早く考えてみて、音楽はどうだろうか。
しかし、子どもの頃に聞いた音楽はあるけれど、これは除外すべきだろう。
エルビィス、ビートルズ、ザ・ピーナッツ、エルトンは、10代から親しんできたけれど
現在の50代でも繰り返し聴いているから、懐かしい記憶を上塗りしていることになる。
そこから感じる懐かしさは、時間を加算する度に、化学調味料を添加したものであり、
ノスタルジーに含まれる純度を検証すると、都合よく混合されたものになっている。

そうこう考えてみると、やっぱり映画が良いだろう。
条件は1つ、10代で観た映画であり、その後は1度も観ていないこと。
最近は、古い映画がDVDになり、しかも廉価版になっている。
そして、真っ先に頭に思い浮かんだのは、イタリア映画の「ひまわり」だった。
この映画で覚えていることは、新婚の夫婦が戦争で引き離されたこと、
もう1つは、ソフィア・ローレンが魅力的でドキドキしたこと。

さて、30年以上前に1回だけ見た映画を、52歳になって再びじっくり見た。
まず感じたことは、意外や意外、場面と内容を覚えていることだった。
2人が抱き合うシーン、哀しみ立ちつくすシーン、懺悔するセリフの一部などは
ハッキリと覚えている、というより、想い出したと言ったほうが適切だろうけど。

10代で感じたこと/ラブシーン、戦争の残酷さ、悲劇の二人、ひまわりの美しさ
50代で感じたこと/哀しみの深さ、戦争の背景、人生と運命、ひまわりの哀しさ
さらに言えば、”10代は悲しみ、50代は哀しみ”という感受性の深さが違っている。

一面のひまわり畑は美しい、いや、ひまわりは美し過ぎる。
ひまわりが美しければ美しいほどに、哀しみは、どこまでもいつまでも哀しい。
無限に広がる美しいひまわり畑のように、哀しみは広く深く根を下ろしている。

ひまわりは美しい、太陽に向かって輝いているから。
ひまわりは哀しい、地中に深い哀しみの根をはっているから。

生きると言うことは、哀しみの根を縦横無尽に張り巡らせながら、
そこから、上へ上へと這い上がっていく、そして太陽に向かって微笑んでみる。
(2012.10.27(土) 30年以上経ってから、2回目の「ひまわり」を観た感想です)

12

ナポリで幸せな結婚式を挙げたジョバンナ(ソフィア・ローレン)とアントニオ
(マルチェロ・マストロヤンニ)。
だがアントニオは厳冬のソ連戦線に送られ、行方不明になってしまう。
戦後、復員兵から夫の情報を集め、ひとりモスクワを訪ねるジョバンナ。
だが、そこで見たものは、アントニオの新しい妻と可愛い娘の姿だった……!

戦争によって引き裂かれる男女の悲劇を情感豊かに描き、
デ・シーカ監督+ローレン+マストロヤンニのトリオが紡いだ数々の傑作の中でも
最も人気の高い感動作

感受性がなければ人は他者の苦しみを想像することができない。
田口ランディ(女性小説家・エッセイスト、1959〜)

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野菜カレー、ラッシー、500円(開店割引) ブロアレストラン  東新小岩
 

永遠のゼロ 百田尚樹

2012.10.26(金)
05:25〜06:30/ストレッチ・軽く筋トレ
06:30〜07:00/トレミルウォーキング2キロ30分
07:05〜07:40/入浴、ストレッチ・正座
再スタートしたウォーキングです(^∀^)

戦争を題材にした「永遠の0(ゼロ)」(文庫本)が100万部を突破した

来年には映画化(主演 岡田准一)される。
昨日、阪神からドラフト1位に指名された藤浪投手も、この本をを読んでいるらしい。
つまり、戦争をまったく知らない、または、関心のない若い世代にまで、
この「永遠の0(ゼロ)」は、老若男女を問わず幅広い読者層に読まれている。
このことは、筆者の百田尚樹が、つよく意識したことだろう、とボクは考えている。

そして、これは1つの有効な手法だと思う。
戦争という歴史から距離を置いている人たちへ、どのようなカタチに表現したら、
戦史という看板の入口から入場してもらえるのか。
そのために、戦争に関心のない孫が、特攻で戦死した祖父のことを調べる
という、現代と戦時を結びつけるというストーリーに設定したのだろう。

そしてそのことは、時代を超えて引き継ぐことが、どれ程に難しいことなのか。
ボクは、この「永遠の0(ゼロ)」を読んでみて、それを否応なしに考えさせられた。

話したいときには、その話しを十分に理解できる聞き手の存在が必要になる。
その聞き手は、聞きたいという積極的な意志と受け止める力量が求められる。
つまり、年配者が戦争のことを話したい、次世代へ引き継ぎたいと考えても、
聞き手の方が戦時と先人について頭から否定的な先入観を持っている、
それを避けたり、聞く耳を持たなかったら、年配者(話し手)の口は固く閉ざされる。
それでは有効な会話は成立しない、実りのある実務的な引き継ぎは為されない。

ぶっちゃけ、分かり易く言えば、こういうことだ。
話したいときには聞き手は未熟だし、聞き手が成熟したときは話し手は存在しない。
”親孝行したいときに親はなし、戦史を聞きたくなったら祖父母はいない”
祖父母、親子に限らず、世代間にあるものを越えるのは、とても難しい難問である。
それは、黒い濁流が激しく流れている河の対岸へ、身体1つで渡っていくようなものだ。

では、濁流の流れている河の対岸へ辿り着く方法は、何もないのだろうか。
そもそもの理想論を言えば、話したい人と、聞きたい人の時間が一致することだ。
しかし時間は一致しない、だったら時間はバラバラで良いではないか。
ミュンヘンオリンピックの男子バレーボールのような、時間差攻撃という手がある。

話したいひとは話したいときに、聞き手がいなくても構わずに話して記録する。
聞きたいひとは聞きたいときに、話し手がいなくても構わずに記録から聞きだす。
そのためには、ビデオレター、録音、録画、執筆という選択肢がある。
ジョンとジョージがいなくても、ビートルズの音楽が世代間を越えていくように。
秋の夜に三島由紀夫と太宰治を読むように、七人の侍と燃えよドラゴンを観るように。

子ども達がこのブログを理解するには、もっと潤沢な濃密な時間が必要である。
その時間がいつ到来するか分からないから、それを待っている訳にはいかない。
その時間は親ではなく、第三者ではなく、当人しか埋めることは出来ない。
それに、時間の流れ方は誰でも同じだけど、残り時間は人それぞれ異なっている。
心落ち着く音楽のように、涙する小説のように、心揺さぶる芸術のように、
現実は、正確な時間を定量に加算するだけで、ひとっ飛びには超えられない。
そう考えてみると、ボクのブログは、もう少し進化しなくてはいけない。

33-1

「生きて妻のもとへ帰る」
日本軍敗色濃厚ななか、生への執着を臆面もなく口にし、仲間から「卑怯者」と
さげすまれたゼロ戦パイロットがいた……。
人生の目標を失いかけていた青年・佐伯健太郎とフリーライターの姉・慶子は、
太平洋戦争で戦死した祖父・宮部久蔵のことを調べ始める。
祖父の話は特攻で死んだこと以外何も残されていなかった。
元戦友たちの証言から浮かび上がってきた宮部久蔵の姿は健太郎たちの予想
もしないものだった。凄腕を持ちながら、同時に異常なまでに死を恐れ、
生に執着する戦闘機乗りそれが祖父だった。
「生きて帰る」という妻との約束にこだわり続けた男は、なぜ特攻に志願したのか?
健太郎と慶子はついに六十年の長きにわたって封印されていた驚愕の事実にたどりつく。
はるかなる時を超えて結実した過酷にして清冽なる愛の物語!

歴史とは、思いを引き継ぐこと。
下重暁子(エッセイスト、元アナウンサー、1936〜)「物語の女たち」のあとがきより

12
鶏団子雑炊、コーヒー、724円(200円割引券) 華屋与平衛 東新小岩店


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