KAZUの完全復活を目指して

平成23年1月1日元旦の午前1時 年越しJOGの途中で転倒して大怪我をした。 大腿部と手首の骨折〜救急車の搬送〜2回の入院と手術を経て2月9日に退院。 そして退院後のリハビリ通院は79回をもって、平成23年6月29日に終了した。 さぁこれから、ここから、どこまで出来るのか、本当に復活(完全)出来るのか? 本気でヤルのか、情熱を注げるのか、そして過去を超えられるのか? 質問と疑問に対して、正々堂々と、決して逃げずに、答えを出してみよう。 こういう人生を、こういう生き方を、思い切り楽しんでみよう。 KAZUさんよ、タイトルに負けるなよ!

2013年03月

悪口を言わない

2013.3.29(金)
06:15〜06:10/ストレッチ・軽く筋トレ・ゆる体操
06:20〜07:00/入浴、ストレッチ・正座

ねぇ〜それってどう思う? こういうのって頭にくると思わない(`ε´)ムカー

人の悪口を、まったく言わない日本人がいる。
その男のデカイのは、頑強な身体だけではない。
その男が鍛えてきたのは、頑強な身体だけではない。
そのことは、もう少し詳しく、もう少し丁寧に、わたし達は知るべきだろう。

嬉しいときか、怒っているときに、人の声は一段階大きくなる。
隣の席から聞こえてくるのは、間違いなく後者のようだ。
向かい合って食後のドリンクを飲んでいる、ともに30代のOLさんは、
ストローでコップの氷を回し続ける、その指先は濃い赤色であり
そのネイルカラーのように、彼女達の心は怒りに赤く燃えあがる。
ねぇ〜それってどう思う? こういうのって頭にくると思わない(`ε´)ムカー

聞き耳を立てるつもりはないけれど、ギザギザした、とんがった日本語が、
弓矢のように、連続して、鋭利に突き刺ささってくる。
「人の悪口、陰口なんて、ボクは聞きたくないんだよ!」
日光東照宮の”聞か猿”みたいに、両耳を両手で塞(ふさ)いでみようか
それも大人げないですか? そっちのほうが、もっと迷惑ですか(^∀^)

悪口陰口について、自己表現という視点からで考えてみたい。
ストレスは溜めないほうがいいから、悪口陰口を言うことは、
「ストレス解消としての有益です、サラリーマンの赤ちょうちんです」
というのは、「喫煙はストレス解消」という意見と似ていないか、
「人の不幸は蜜の味」と嬉しがる人相の悪さと同類ではないだろうか。

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年間に50本のホームランを打ち、けじめの記者会見をしてから
太平洋を渡り、そしてワールドシリーズでMVPを獲得した日本人がいる。
その男を、悪く言うような外国人は、日本人は、いただろうか、いるだろうか。

父と約束したからです。
中学二年生の時、家で夕食を摂っていたんです。
僕が友だちの悪口を言ったんです。
すると父が夕食を食べるのを中止して、僕に言ったんです。
人の悪口を言うような下品なことをするんじゃない。
今、ここで二度と人の悪口を言わないと約束しなさいと……。
それ以来、悪口は言ってません。 
(by 松井秀喜)

「逆風に立つ 松井秀喜の美しい生き方」 伊集院静

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なごみ弁当、コーヒー、879円(50円割引券)和食さと

女子中学生

2013.3.28(木)
06:15〜06:10/ストレッチ・軽く筋トレ・ゆる体操
06:20〜07:00/入浴、ストレッチ・正座
09:30〜10:30/職場近くの経絡治療院


そうやって頭を下げなくて良いのに、当たり前のことだから(^∀^)

なんの変哲もなかった通勤ルートが、見違えるように一変している。
左右の街路樹から柔らかく伸びている、空中で握手しているように。
まるで舞台の早変わりのように、一瞬のうちに、季節の背景を変えてしまう。
それには、それだけの力があり、それだけの美しさがある。

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西新小岩四丁目          東新小岩三丁目

満開のしだれ桜の道路沿いの横断歩道を渡ると、そこに中学校の校門がある。
女子中学生が三人、同じ紺色のジャージに、同じスポーツバックを持っている。
きっと、春休みのクラブ活動なんだろう。
信号のない横断歩道の手前で、三人はこちらを見ている。
その視線は、52歳の運転手ではなく、走ってきたボクの車を見ている。

横断歩道の5メートル手前で、車は一時停止する。
ハンドルを持つ手を離して、右手を左から右へ動かしてみる。
三人の女子中学生は、ほぼ同時に頭を下げながら、横断歩道を渡っていく。
少しビックリしたように、少し微笑んでいるように、少し弾むように歩いている。
そうやって頭を下げなくて良いのに、と思う。
横断歩道なんだから、一時停止するのは、当たり前のことなんだから。

だけど、ボクは確かに嬉しくなっている。
それは、満開のしだれ桜が美しいから、
という理由だけではないと思う(^∀^)

人は他人のために存在する。
何よりもまず、その人の笑顔や喜びが
そのまま自分の幸せである人たちのために。
そして、共感という絆で結ばれている
無数にいる見知らぬ人たちのために。
アインシュタイン(理論物理学者・ノーベル物理学賞受賞・1879〜1955)「I Believe」

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ざるにぎり 490円 小僧寿し東新小岩店


菊池桃子

2013.3.24(日)
06:15〜06:10/ストレッチ・軽く筋トレ・ゆる体操
06:20〜07:00/入浴、ストレッチ・正座

状況を自分に引き寄せて考えてみよう!

元アイドルの彼女について、プロゴルファーと離婚したことは知っていた。
しかし、今朝の新聞を開くまでは、その後の経歴など、まったく知らなかった。

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紆余曲折の人生を経験した彼女は、一念発起して39歳の時に大学院を受験する。
そして、法政大学大学院の修士課程修了する。
その後に、母校の戸板女子短期大学の客員教授に就任している。
現在は、同校のキャリア教育の講義を担当している。 44歳。

今朝の新聞「NIPPON 蘇れ 私の処方箋」に彼女の投稿記事が掲載されている。
その記事の素晴らしい内容(分析力、表現力)に、ボクは驚嘆している。

「問題なのは、社会状況を自分に引き寄せて考える機会が乏しいことだ」
たしかに、菊池桃子の言う通りだと思う。
雇用問題、沖縄の米軍基地、震災と福島、社会福祉、教育問題・・・・・etc
社会問題について、わたしたちは決して無関心であってはいけない。
社会状況について、わたしたちは自分に引き寄せて考えるべきである。

学生たちと接していて思うのは、若い人は漠然とした不安を抱いている
ということだ。不況で働けないかもしれないし、社会保障制度や経済の
支え手として、自分たちの負担は増える一方なのかもしれない。
そんな、やるせない思いがあるようだ。
ただ、彼らにやる気がないわけではない。社会のことにも関心が強いし
自分の将来のことも考えている。

問題なのは、社会状況を自分に引き寄せて
考える機会が乏しいことだ。
教科書で「少子高齢化」という言葉を学んではいても、
それが自分の人生にどう関わるかが具体的にイメージできない。
だから漠然とした不安が広がってしまう。
(中略)
キャリアとは日々の積み重ねの結果できるもので、正解はない。
自分が主体となり、家族や仲間に支えられながら
模索していくものだ。私自身、仕事や子育てを経験するなかで
きちんと勉強したい意欲が出て、39歳の時、大学院を受験した。
今も模索を続けている。
学生は不安。模索重ねキャリアつかめ 菊池桃子
2013.3.24 読売新聞 NIPPON 蘇れ 私の処方箋

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パスタ、コーヒー、800円 ゴロアレストラン 東新小岩1丁目


不愉快の代わり

2013.3.23(土)
06:15〜06:10/ストレッチ・軽く筋トレ・ゆる体操
06:20〜07:00/入浴、ストレッチ・正座
08:30〜09:30/職場近くの経絡治療院


さっきから何をモタモタやってんだ!さっさとやるんだよ (`ε´)ムカー

まったく予期していない事態
、それは、あまりにも突然のことだった。
湯気を出している、頭から火をだしている、目を三角形に吊り上げている。
ボクの前にいた小太りのオバサンが、いきなり、烈火の如く怒りだした。

睨(にら)みつけるだけではなく、さらに罵声(ばせい)を浴びせている。
決して小さな声ではなく、店内中に聞こえる、大きなガミガミした金切り声である。
その激し過ぎる剣幕に、オバサンの後ろにいたボクは、さらに50cmほど後退した。

怒りの矛先は、スーパーのレジをしている、細身のおばさんに向かっている。
その対応の遅れは、バーコードで読んだ商品の不具合のようである。
レジのおばさんの対応は、テキパキとは言えないし、たしかにモタモタしている。
しかし、そのモタモタしている時間は、せいぜい1〜2分程度のことだ。
イライラするのは分かるけれど、そんなに ギャーギャーと騒ぐほどではない。
何でそんなに怒っているのか、その精神構造が、ボクには理解できない。

果たして、オバサンの罵声は、状況を好転させたのだろうか。
「すっすみません!」と連呼しながら、レジのおばさんが激しく動揺している。
動揺は、さらなる焦りを増幅させてしまい、さらに行動が遅滞してくる。
この事態によって、周りの人たちは、みんな嫌な気持ちになっているだろう。
結果的にみたら、客観的にみたら、何一つ良い方向へは向かっていない。
ただ強いて言えうなら、ブログネタになった、というだけである。

もし自分が当事者だったら、こういうときに、どのような対応をしたら良いだろうか。
ボクは、このように考えたい、このように対応したいと思う。
相手が感情的になったら、こちらは努めて、より冷静になるべきだろう。
そして、その状況と、その相手の立場を、より客観的に考えてみる。

世の中には、些細なことに難癖つけて、必要以上に文句を言うひとがいる。
こういうひとは、何らかの諸問題、ストレスを抱え込んでいて、
たまたま、それが爆発したのか、それを発散させているのかもしれない。
相手の状況には、何かしらの同情の余地がある、という場合もあるだろう。

理不尽な対応とは決めつけずに、自分自身との戦いだと捉えてみる。
たとえば、少しでも自分に落ち度があるのなら、そのことは、まず真摯に謝る。
怒っているひと、理不尽なひと、そういう人こそ、暖かく優しく対応してみよう。

もし あなたが誰かに期待したほほえみが
得られなかったなら 不愉快になる代わりに

あなたの方から ほほえみかけて ごらんなさい。
ほほえみを忘れた人ほど それを必要とする人はいないのだから。
置かれた場所で咲きなさい 渡辺和子 P61ページより抜粋

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ランチパスチ ドリンクバー 710円 ヴィアマンマ新小岩北口店




もう走らなくていいから(後編)

2013.3.21(木)
05:15〜06:10/ストレッチ・軽く筋トレ・ゆる体操
06:20〜07:00/入浴、ストレッチ・正座

どうして、ジョグじゃないとダメなんだろうか

燃え続けている太陽は、直視することが出来ない。
だから、太陽が眠りにつくときまで、心静かに待っている。
そして、その時がきたら、夜空を見上げてみる。
無数の微粒子の1つとして、お願いが1つ、たった1つだけ、あるんだ。
ボクの気持ちを、夜空に輝く、星に願いを・・・・・

太陽の引力によって、周囲を公転している天体と微粒子がある。
その天体の1つにボクはいる、そして、そこから太陽を見上げてみる。
東の空から昇った太陽は、夕刻になると、西の空に沈んでいく。

ボクにとってのランニングとは、光り輝く太陽のような存在だった。
その輝きに魅せられながら、ぐるぐると周回を公転する微粒子の1つ。
太陽を回り続ける微粒子は、楽しいときもあり、そうではないときもあった。
だからといって、その回転運動を、自分の意志で止めようとは思わなかった。

ぐるぐる回り続けること、無数の微粒子の1つとして、何よりも楽しかった。
微粒子を感じながら、笑ったり泣いたりしながら、いっしょに回り続けたい。
太陽は燃えている、太陽は生き続ける、だから太陽は素晴らしい。
どんなに微粒子が束になっても、天体になっても、太陽にはかなわない。
太陽とは、ランニングとは、そういうものである。

ここに、周回運動から外れてしまった微粒子がある。
1つの微粒子、ひとりぼっちの微粒子は、周回運動ができなくなった。
だけど、生きている限り、空に太陽がある限り
1つの微粒子は、太陽を求めていく、いつまでも、いつまでも(^∀^)

もし壁にぶつかっても、あきらめて引き返してはいけない。
どうやって登れるか、突き破れるか、乗り越えられるか考え抜くんだ。
マイケル・ジョーダン(NBAバスケットボール選手、1963〜)

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この桜の木が開花すると、東京の開花宣言なのですよ(^∀^)
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2013.3.20(水)靖国神社、参拝に行きました
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いわし鮨そばランチ、コーヒー、997円 とんでん東立石店







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