2013.5.31(金)
05:20〜05:55/ストレッチ・軽く筋トレ・ゆる体操
06:00〜06:45/入浴、ストレッチ・正座
08:30〜09:30/経絡治療院
17歳は、あまりにも矛盾と欺瞞の世界に拘束されている
たくさんの仲間をかき集めてきた雲の集団は、数にモノを言わせて妨害行為をする。
それは自己主張の一貫として、嫉妬心の1つとして、偉大な太陽に向けられたもので
あるが、それでも雲の集団がチームワークを乱したり、ちょっとした隙(すき)を見せたら
そのわずかな合間から太陽光線は手加減することなく、地上に向かって光をサンサン
(SUN〜)と降り注ぐことになるし、疲弊した雲の集団がヤル気をなくし解散してしまったら
それまでの鬱憤(うっぷん)を一気に晴らすように、その力量を誇示するように、太陽は、
より強い光線を大地に投げつけてくるだろう。そして、二子玉川の貴婦人たちは、紫外線
対策のサンバイザーとUVアームカバー、そして上品な日傘を購入する。
光があたれば影ができる。太陽光線に照らされた優等生と影になった劣等生。
光り輝く序列(成績)があれば、そこにはもう1つの暗黒の序列(不良)ができる。
いま(52歳)になって、このブログ(自伝小説もどき)を書いているのは、”日本には
四季にプラスして梅雨がある” と同じように、そこには確固たる理由が存在している。
あの頃のボクは、17歳のボク自身について、リアルタイムで正しく表現できなかった。
「400字詰の原稿用紙を3枚使って”勉強とわたし”について説明しなさい」 と宿題を
出されたとして(出されなくても)、17歳のボクは「勉強が嫌いだった、頭が悪かった、
遊んでいる方が楽しかった」 という3つの短いセンテンスしか書き込めないのだ。
そして、それはたぶん 「今の17歳にしたって、たいして変わらないだろう」と思う。
平成生まれの高校生は、当時のボクよりは幾分はましだとは思うが、それでも所詮は
5〜6つの文章とか、原稿用紙に半分とか、その程度ではないだろうか。または、
もっとシンプルに「うざい、だるい、きもい」 と言うかもしれない。言わないかもしれない。
どちらにしてもそんなことは、50歩100歩とか、どんぐりの背比べとか、牛丼と牛めし、
つまり、その程度のことだ。
それは本当に ”残念なこと” なんだけど、それは同時に ”仕方がないこと” でもある。
なぜなら17歳は、あまりにも矛盾と欺瞞の世界に拘束されているからだ。高校生は
大人ではないし、そうかと言って子どもでもない。先に進んで大人にもなれないし、
後ろに下がって子どもに戻れない。世界からは、”さっさと大人になる準備をしなさい”
と求められるのに、その一方では、”それはまだ早すぎる”とコンコンと説教される。
大人は、大人のやることを法律で明文化してまで、17歳には固く禁じているのだ。
高校生を拘束してから、手も足も出ないようにギチギチに縛りあげる。そして世界は、
束になって、これでもか、これでもか、とプレッシャーをかけてくる。ここで何かを申し
出たところで、それは高校野球の審判のように、何をいっても無駄なのだ。
若者らしく、高校生らしく、青春らしく、清く正しく美しく、太陽光線を浴びてキラキラ
と輝きなさい。ストレスとかプレッシャーは、みんなが必ず経験するものなんだから
健康的に、合法的に、そういうものは発散しなさい。今はとにかく我慢して、目標を
1つにして、三浦雄一郎さんのように、「頑張って、頑張って、頑張って」 一番高い
エベレストのことだけ、あなたの未来を照らす太陽のことだけ、を考えていなさい。
夜になると妖艶になる月のことは、受験が終わってからのお楽しみに、そうしなさい。
今から慌ててそんなことをしたら、勉強なんかできなくなるし、それは、あなたの人生
にとっては大きなマイナスになるし、取り返しのつかない後悔になるから。
ビニール本(12)へ
高い志を立てれば人は変わる。
志は青春時代だけのものではない。
中年よ大志を抱け!
三浦雄一郎[みうら・ゆういちろう]
(プロスキーヤー、登山家、1932〜)
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