2013.6.30(日)
04:20〜05:15/ストレッチ・軽く筋トレ・ゆる体操
05:20〜06:10/スロージョグ5キロ(上平井橋〜平井大橋〜木根川大橋)
06:20〜07:05/入浴、ストレッチ・正座
08:30〜09:30/経絡治療院
おまえ(ボク)って奴は、凄いやっちゃな!
雨の日に軒下で保護した雀は、我々の狙い通りにゴキブリを食べた。
ただし、雀が食べたのは、生きている、動いているゴキブリのみだ。
この状況を目の当たりにした親子の気持ちは、まるで猫の目のように
目まぐるしく変わった。最初は食べたことに喜んで、次に食べないこと
に少しガッカリした。ところが、そのドスンと座っていた気持ちが、今度
は勢いをつけてザッと立ち上がった。幼稚園で起立したときのように。
それまでの鬱蒼とした厚く覆われていた雲の隙間から、ひと筋の光りが
パッと差し込んできた。それはまさしく希望の光だった。これでハッキリ
した。あとはやるだけ、やるしかない。何かがビシッと引き締まった。
親子の気持ちは、まるで中秋のときの完璧な満月のように、完全に1つ
の〇になった。やる気さえあれば、その覚悟さえあれば、我らの願いは
成就するという確信を得たのだ。
その食材を雀が食べることが判明した。そのうえ、その食材(ゴキブリ)
だったら、すぐ目と鼻の先に、たっぷりと、ふんだんに、ある(いる)のだ。
小さいのから大きいのまで、黒いのから茶色いのまで、まるで広末涼子
のように、”とっても、とっても、とっても、とっても大好きよ、ゴキブリさん”
である。ゴキブリは、同じような姿かたちをしているゲンゴロウのように、
繊細でキレイ好きではないし、軟弱でヤワでもない。三億年をしぶとく
生き抜いてきた生きた化石の生命力は、2本足でたっている類人猿の
進化系みたいに中途半端じゃない。それに傲慢(ごうまん)でもない。
そして嬉しいことに、ゴキブリをいくら採ったって、掃いて捨てるほどに
ウジャウジャといるのだ。ゴキブリ採り放題、食べ放題、飲み放題の
無料バイキング。なんて素晴らしくて、なんて恵まれた環境なんだろう。
その気になれば、つくだ煮、唐揚げ、てんぷらにもなる。サクマドロップ
のように舌で転がしたり、しらうおの踊り食いみたいに、そのまま生きた
ままパクッと食べることだって、もし(あなたが)やろうと思えば、やって
出来ない訳ではない。やってできる訳でもない。
気分を変えて、先に進めよう。父と息子は、ゴキブリの生息する王国
(染物工場)に再び舞い戻ってきた。雀からのミッションは、「わたしに
生きたままの元気なゴキブリをいっぱい食べさせて」である。
「お父さん、ゴキブリを強く叩いちゃダメだよ」
「分かってる」
「ほら、強すぎて、ぐっちゃりと潰れちゃったよ」
「分かってるよ、今度は大丈夫だから」
「あぁ〜あ、今度は弱すぎて、逃げちゃったよ」
「わっ、分かってるよぉ!」
「あっ!そこに大きいのが」 父がバシン!と叩いたが空振りだった。
そして、次の瞬間に事件が起きた。(ボクの自我が目覚めた瞬間)
父が新聞紙で叩こうとした最大級(5cm)のゴキブリは、逃げようと
走っていた進行を突然変えると、ボク(幼稚園児)に向かって一直線に
向かって来たのだった。その瞬間、ボク(幼稚園)は躊躇なく反応した。
最大級のゴキブリは、ボクの右手の中で足を必死にバタつかせた。
生まれて初めて走るゴキブリを素手で捕まえた。嬉しくて興奮した。
「おまえ(ボク)って奴は、凄いやっちゃな!」、牛ガエルの首を絞めた
ような声で、父が絞り出すように唸った。そのときの父の言葉、感情が
すぐに、手に取るようにボクは分かった。
父はゴキブリに触りたくなかった。だから軍手をしていたのだ。叩いて
動けなくなったゴキブリだったら、軍手でつまんでバケツに入れていた。
ところがよく考えたら、それまでにも逃げるゴキブリを捕まえるチャンスは
いくらでもあったのに、それをしようとはしなかった。見逃していた。つまり
逃げていたのだ。両手には軍手をしていたのに、それでも自分の手を汚し
たくなかったのだ。そうか、そういうことだったのか。ボクは素手でゴキブリ
を捕まえられるのに、お父さんはできないんだ。いつもの強いお父さんは、
いつもの怖いお父さんは、本当はゴキブリが怖かったんだ。
それが分かった瞬間、ボクの自我がパッ!と目覚めたのだった。
褒められると、眠っていた未知の能力さえもが
うれしさの余り目覚めて更に良い結果を生みだす。
人の能力というものは、褒められることを
栄養分として育っていくところが確実にあるのだ。
中村紘子(ピアニスト、ノンフィクション作家・エッセイスト、1944〜)


まぐろ丼セット、コーヒー 1091円 和食さと
04:20〜05:15/ストレッチ・軽く筋トレ・ゆる体操
05:20〜06:10/スロージョグ5キロ(上平井橋〜平井大橋〜木根川大橋)
06:20〜07:05/入浴、ストレッチ・正座
08:30〜09:30/経絡治療院
おまえ(ボク)って奴は、凄いやっちゃな!
雨の日に軒下で保護した雀は、我々の狙い通りにゴキブリを食べた。
ただし、雀が食べたのは、生きている、動いているゴキブリのみだ。
この状況を目の当たりにした親子の気持ちは、まるで猫の目のように
目まぐるしく変わった。最初は食べたことに喜んで、次に食べないこと
に少しガッカリした。ところが、そのドスンと座っていた気持ちが、今度
は勢いをつけてザッと立ち上がった。幼稚園で起立したときのように。
それまでの鬱蒼とした厚く覆われていた雲の隙間から、ひと筋の光りが
パッと差し込んできた。それはまさしく希望の光だった。これでハッキリ
した。あとはやるだけ、やるしかない。何かがビシッと引き締まった。
親子の気持ちは、まるで中秋のときの完璧な満月のように、完全に1つ
の〇になった。やる気さえあれば、その覚悟さえあれば、我らの願いは
成就するという確信を得たのだ。
その食材を雀が食べることが判明した。そのうえ、その食材(ゴキブリ)
だったら、すぐ目と鼻の先に、たっぷりと、ふんだんに、ある(いる)のだ。
小さいのから大きいのまで、黒いのから茶色いのまで、まるで広末涼子
のように、”とっても、とっても、とっても、とっても大好きよ、ゴキブリさん”
である。ゴキブリは、同じような姿かたちをしているゲンゴロウのように、
繊細でキレイ好きではないし、軟弱でヤワでもない。三億年をしぶとく
生き抜いてきた生きた化石の生命力は、2本足でたっている類人猿の
進化系みたいに中途半端じゃない。それに傲慢(ごうまん)でもない。
そして嬉しいことに、ゴキブリをいくら採ったって、掃いて捨てるほどに
ウジャウジャといるのだ。ゴキブリ採り放題、食べ放題、飲み放題の
無料バイキング。なんて素晴らしくて、なんて恵まれた環境なんだろう。
その気になれば、つくだ煮、唐揚げ、てんぷらにもなる。サクマドロップ
のように舌で転がしたり、しらうおの踊り食いみたいに、そのまま生きた
ままパクッと食べることだって、もし(あなたが)やろうと思えば、やって
出来ない訳ではない。やってできる訳でもない。
気分を変えて、先に進めよう。父と息子は、ゴキブリの生息する王国
(染物工場)に再び舞い戻ってきた。雀からのミッションは、「わたしに
生きたままの元気なゴキブリをいっぱい食べさせて」である。
「お父さん、ゴキブリを強く叩いちゃダメだよ」
「分かってる」
「ほら、強すぎて、ぐっちゃりと潰れちゃったよ」
「分かってるよ、今度は大丈夫だから」
「あぁ〜あ、今度は弱すぎて、逃げちゃったよ」
「わっ、分かってるよぉ!」
「あっ!そこに大きいのが」 父がバシン!と叩いたが空振りだった。
そして、次の瞬間に事件が起きた。(ボクの自我が目覚めた瞬間)
父が新聞紙で叩こうとした最大級(5cm)のゴキブリは、逃げようと
走っていた進行を突然変えると、ボク(幼稚園児)に向かって一直線に
向かって来たのだった。その瞬間、ボク(幼稚園)は躊躇なく反応した。
最大級のゴキブリは、ボクの右手の中で足を必死にバタつかせた。
生まれて初めて走るゴキブリを素手で捕まえた。嬉しくて興奮した。
「おまえ(ボク)って奴は、凄いやっちゃな!」、牛ガエルの首を絞めた
ような声で、父が絞り出すように唸った。そのときの父の言葉、感情が
すぐに、手に取るようにボクは分かった。
父はゴキブリに触りたくなかった。だから軍手をしていたのだ。叩いて
動けなくなったゴキブリだったら、軍手でつまんでバケツに入れていた。
ところがよく考えたら、それまでにも逃げるゴキブリを捕まえるチャンスは
いくらでもあったのに、それをしようとはしなかった。見逃していた。つまり
逃げていたのだ。両手には軍手をしていたのに、それでも自分の手を汚し
たくなかったのだ。そうか、そういうことだったのか。ボクは素手でゴキブリ
を捕まえられるのに、お父さんはできないんだ。いつもの強いお父さんは、
いつもの怖いお父さんは、本当はゴキブリが怖かったんだ。
それが分かった瞬間、ボクの自我がパッ!と目覚めたのだった。
褒められると、眠っていた未知の能力さえもが
うれしさの余り目覚めて更に良い結果を生みだす。
人の能力というものは、褒められることを
栄養分として育っていくところが確実にあるのだ。
中村紘子(ピアニスト、ノンフィクション作家・エッセイスト、1944〜)


まぐろ丼セット、コーヒー 1091円 和食さと
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