KAZUの完全復活を目指して

平成23年1月1日元旦の午前1時 年越しJOGの途中で転倒して大怪我をした。 大腿部と手首の骨折〜救急車の搬送〜2回の入院と手術を経て2月9日に退院。 そして退院後のリハビリ通院は79回をもって、平成23年6月29日に終了した。 さぁこれから、ここから、どこまで出来るのか、本当に復活(完全)出来るのか? 本気でヤルのか、情熱を注げるのか、そして過去を超えられるのか? 質問と疑問に対して、正々堂々と、決して逃げずに、答えを出してみよう。 こういう人生を、こういう生き方を、思い切り楽しんでみよう。 KAZUさんよ、タイトルに負けるなよ!

2013年06月

ビニール本(22)

2013.6.30(日)
04:20〜05
:15/ストレッチ・軽く筋トレ・ゆる体操
05:20〜06:10/スロージョグ5キロ(上平井橋〜平井大橋〜木根川大橋)
06:20〜07:05/入浴、ストレッチ・正座
08:30〜09:30/経絡治療院

おまえ(ボク)って奴は、凄いやっちゃな!

雨の日に軒下で保護した雀は、我々の狙い通りにゴキブリを食べた。
ただし、雀が食べたのは、生きている、動いているゴキブリのみだ。
この状況を目の当たりにした親子の気持ちは、まるで猫の目のように
目まぐるしく変わった。最初は食べたことに喜んで、次に食べないこと
に少しガッカリした。ところが、そのドスンと座っていた気持ちが、今度
は勢いをつけてザッと立ち上がった。幼稚園で起立したときのように。

それまでの鬱蒼とした厚く覆われていた雲の隙間から、ひと筋の光りが
パッと差し込んできた。それはまさしく希望の光だった。これでハッキリ
した。あとはやるだけ、やるしかない。何かがビシッと引き締まった。
親子の気持ちは、まるで中秋のときの完璧な満月のように、完全に1つ
の〇になった。やる気さえあれば、その覚悟さえあれば、我らの願いは
成就するという確信を得たのだ。

その食材を雀が食べることが判明した。そのうえ、その食材(ゴキブリ)
だったら、すぐ目と鼻の先に、たっぷりと、ふんだんに、ある(いる)のだ。
小さいのから大きいのまで、黒いのから茶色いのまで、まるで広末涼子
のように、”とっても、とっても、とっても、とっても大好きよ、ゴキブリさん”
である。ゴキブリは、同じような姿かたちをしているゲンゴロウのように、
繊細でキレイ好きではないし、軟弱でヤワでもない。三億年をしぶとく
生き抜いてきた生きた化石の生命力は、2本足でたっている類人猿の
進化系みたいに中途半端じゃない。それに傲慢(ごうまん)でもない。

そして嬉しいことに、ゴキブリをいくら採ったって、掃いて捨てるほどに
ウジャウジャといるのだ。ゴキブリ採り放題、食べ放題、飲み放題の
無料バイキング。なんて素晴らしくて、なんて恵まれた環境なんだろう。
その気になれば、つくだ煮、唐揚げ、てんぷらにもなる。サクマドロップ
のように舌で転がしたり、しらうおの踊り食いみたいに、そのまま生きた
ままパクッと食べることだって、もし(あなたが)やろうと思えば、やって
出来ない訳ではない。やってできる訳でもない。

気分を変えて、先に進めよう。父と息子は、ゴキブリの生息する王国
(染物工場)に再び舞い戻ってきた。雀からのミッションは、「わたしに
生きたままの元気なゴキブリをいっぱい食べさせて」である。

「お父さん、ゴキブリを強く叩いちゃダメだよ」
「分かってる」
「ほら、強すぎて、ぐっちゃりと潰れちゃったよ」
「分かってるよ、今度は大丈夫だから」
「あぁ〜あ、今度は弱すぎて、逃げちゃったよ」
「わっ、分かってるよぉ!」
「あっ!そこに大きいのが」 父がバシン!と叩いたが空振りだった。 

そして、次の瞬間に事件が起きた。(ボクの自我が目覚めた瞬間)
父が新聞紙で叩こうとした最大級(5cm)のゴキブリは、逃げようと
走っていた進行を突然変えると、ボク(幼稚園児)に向かって一直線に
向かって来たのだった。その瞬間、ボク(幼稚園)は躊躇なく反応した。
最大級のゴキブリは、ボクの右手の中で足を必死にバタつかせた。
生まれて初めて走るゴキブリを素手で捕まえた。嬉しくて興奮した。
「おまえ(ボク)って奴は、凄いやっちゃな!」、牛ガエルの首を絞めた
ような声で、父が絞り出すように唸った。そのときの父の言葉、感情が
すぐに、手に取るようにボクは分かった。

父はゴキブリに触りたくなかった。だから軍手をしていたのだ。叩いて
動けなくなったゴキブリだったら、軍手でつまんでバケツに入れていた。
ところがよく考えたら、それまでにも逃げるゴキブリを捕まえるチャンスは
いくらでもあったのに、それをしようとはしなかった。見逃していた。つまり
逃げていたのだ。両手には軍手をしていたのに、それでも自分の手を汚し
たくなかったのだ。そうか、そういうことだったのか。ボクは素手でゴキブリ
を捕まえられるのに、お父さんはできないんだ。いつもの強いお父さんは、
いつもの怖いお父さんは、本当はゴキブリが怖かったんだ。

それが分かった瞬間、ボクの自我がパッ!と目覚めたのだった。

褒められると、眠っていた未知の能力さえもが
うれしさの余り目覚めて更に良い結果を生みだす。
人の能力というものは、褒められることを
栄養分として育っていくところが確実にあるのだ。
中村紘子(ピアニスト、ノンフィクション作家・エッセイスト、1944〜)

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まぐろ丼セット、コーヒー 1091円 和食さと

「黄金のバンタム」を破った男 百田尚樹

(読書感想記)
ボクは想いだした。3年以上前のマラソンレースのことだ。
その日が刻一刻と近づいてくると、自分のまわりの重力だけが
メフィラス星人(ウルトラマン)によって狂わされたように、やたらと
ふわふわしている。どこかの変なところに入ってしまった精神は、
どうしたらいいのか、どこにいれば良いのか、どこの場所なら落ち
着けるのか、その居場所が分からずに彷徨っていたのだ。

受験とか、就職試験の前とか、そういうときの気持ちとは異質だ。
とにかく、あんな気持ちになったのは生まれて初めてだった。
あの時の心境を、ありきたりな凡庸な表現をすれば、”不安と期待
でいっぱい”なんだろうけど、もう少しグッと踏み込んで考えてみたい。

まず不安の正体とは何か?これを、ひとつ1つ挙げたらキリがなく
たとえば天候、交通手段、着替など、人生イロイロとあるんだけど
やっぱり一番大きいのは”結果について”に尽きる。たぶん誰でも。
しかし結果を考える行為にリスクがあるのは、当たり前である。

結果思考型の過程と落とし穴は、このようになるだろう。
結果を考えて・・・不安になり・・・冷静さ失う・・・やるべきこと(ペース)
ができない(冷静じゃない)・・・本来の力がだせない・・・結果が悪い

そこでだ、そんなひとは、このように考えたらどうだろうか。
レースとは、これまでの練習が正しいかどうかの、発表会である。
つまり、練習の合否を確認(検証)するだけの、公式な発表会だ。
もし結果が良くなかったら、それは練習が良くなかった、という貴重
な資料が得られる訳だし、そうしたらそれを参考にして、これからの
練習を変えればいい。ただ、それだけのことである。

そう、レースとは公式な発表会だ。こんな楽しいことはない。
あと5日、あと4日・・・・・・いよいよ、あと1日、なんてCMがあった。
そう、日産初の軽自動車、DAYZ(デイズ)の発表会みたいなもんだ。

やっと発散できるんだ。楽しくないはずないじゃないか。
あのマラソン、スタートラインのボクは、そんな気持ちだった。
もし結果が悪かったら、そんなのボクのせいじゃないし・・・・・。
そのときは練習メニューが悪かった、というだけのこと。
それに、ボクの自前の練習メニューじゃないし(ずるいねぇ〜


打たれても打たれても前に出る男は、こんなにも美しい――
敗戦から十余年、十九歳で世界王座についたファイティング原田。
三年後、史上最強と言われていた「黄金のバンタム」 エデル・ジョフレ
を破り、日本人初の二階級制覇。だが 時代の寵児となった原田の前
に、世界の強豪が立ちはだかる。1960年代、日本人を熱狂させた
男の戦いを描きつつ、昭和の“熱"を見事再現した傑作ノンフィクション。


原田にインタビューした時、彼は非常に印象的な言葉を何度も口に
していた。それは「試合をするのが楽しくてしかたがなかった」という
ものだ。試合が怖くなかったのですかと聞くと、彼は愉快そうに「怖い
ことなんか全然ないよ」と答えた。「苦しい練習を積み重ねてきて、
それをやっと発散できるんだ。楽しくないはずないじゃないか」

こう言い切れるほど、原田の練習量は凄かった。もちろん個々の
性格による違いはあるが、思う存分に練習をした男だけが、こう
いう境地になれるのかもしれない

「黄金のバンタム」を破った男 P115〜116の一部抜粋


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ビニール本(21)

2013.6.26(水)
04:20〜05
:15/ストレッチ・軽く筋トレ・ゆる体操
05:20〜06:10/スロージョグ5キロ(上平井橋〜平井大橋〜木根川大橋)
06:20〜07:05/入浴、ストレッチ・正座
08:30〜09:30/経絡治療院

3億年前から、超高速歩行しているゴキブリ

新聞紙で叩いた大中小あわせて4〜5匹のゴキブリがバケツの中にいる。
そのほとんどは動いていないか、ひっくり返って足をバタバタさせていた。

ゴキブリたちは全身打撲によって死んだか、気絶しているか、それとも
瀕死の状態なのか、いずれかである。この行為にかかった所要時間は
たったの10〜20分程度だから、わざわざ遠出をして下手な釣りをする
より近くて確実で、てっとり早くて良い結果が出せることを、もう少し正当
に評価されて然(しか)るべきだと思うのだが、それがそうでもないらしい。

とくに10代の後半だったボクは、ゴキブリ捕獲の有益性について、何人
かの女性に対して詳細な説明を試みたけれど、みんな判で押したように、
”そんな話は聞きたくないわ”、まるで、とんでもなく苦い薬を飲んだときの
ような、うんざりした顔をしたものだ。

ただ女性のそういう歪(ゆが)んだ顔の表情が、ボクは決して嫌いでない。
いやむしろ、”もう〜嫌ァ〜だぁ〜”と言いながら、肩の辺りをパチンと叩か
れたりすると、”いってぇ〜”というボクの顔は、たぶんいつもより、そして
いつも以上にだらしなく、ニヤニヤと、ニヤついていたんだと思うのだ。

あらためて考えたら、ゴキブリによって自我の自己定立性を有したボクが、
ゴキブリのネタで女性の気をひこうとしたことは、まさしくゴキブリ男の如く
であり、それは若大将シリーズの青大将より、ゲゲゲの鬼太郎のネズミ
男より、つまり蛇と鼠(ねずみ)より、そうとうに低俗でグロテスクである。

余計なことより、はなしを先に進めよう。
ゴキブリ入りのバケツを、まるで秘密の宝物を抱えるようにして、我ら親子は
丁寧に自宅へ持ち帰った。もちろん、母と姉(ボクより4歳上)には、絶対に
バレないように、より注意深く、より慎重に期した。こういうときは、女性には
なかなか理解できない、男だけの硬いものがある。それは表面がやわらかい
アボカドの中の芯(種)のような、男同士の固い連帯感、強い一体感だった。

さてゴキブリ、いざゴキブリ、雀は食べるのか、父子の苦労は報われるのか。
雀のダンボールの中に、ゴキブリ(4〜5匹)入りバケツをぶちまけるときに、
まるでボクは中山美穂になったかのように、WAKUWAKUした気持ちだった。

ダンボールの天井から、黒い大粒の雨(4〜5匹)が降ってきたときに、一瞬
びっくりした雀だが、素早く立ち上がると、続けざまに2匹のゴキブリを食べた。
よっぽどお腹を空かせていたのか、それとも、そもそもそういう習性なのか、
専門家ではないボクには分からないけど、とにかく、その小さなクチバシで
パクッとくわれた瞬間に、たったの2〜3回の咀嚼でグイッと飲み込んだ。

”やったぁ〜” ただ、ただ感激だった。心の中でパチパチパチと拍手したい
気分、どんよりした雨雲が一瞬で晴れた気分だった。自分の身体が電気
ケトル(湯沸し器)になったように、内側から熱が上昇してくるのを感じた。

ところがこの感激は、ほんとうにあっという間に終わってしまった。ヒットで
1点入って、なお1死満塁の押せ押せ、ところがだ、次打者は初球を打って
サードゴロのダブルプレー(堂林〜安部〜エルドレッド、by carp)で終了。

雀が食べたのは、足をバタバタさせていた瀕死のゴキブリ2匹だけだった。
つまり、小鳥屋のおじさんのアドバイス通りに、生き餌とは、まさしく生きて
いる餌であって、読売新聞で叩かれて死んでしまったゴキブリには、雀は
食べないどころか、まるでそこには何もないかのように無視するのだった。

さて、さてどうするんだ。どうやって、リモコンの早送りボタンを押したように
3億年前から超高速歩行しているゴキブリを元気ハツラツ(オロナミンC)
の状態で捕獲できるか。どうする?ドウ・スルーしちゃうの?いやゴメン、
いまこそ家庭教師の、ゴメン、家庭飼育のトライ(TRY)だった。

次回は、ついにボクの自我が芽生える瞬間が・・・・・。


まもなく君は挑戦が人生の一部であることを知り、
巧みに対処するようになるだろう。
たいていは勝ち、ときには負けるのだろうが、いずれにせよ、
試みることによって、それだけ成長できる
ことを知るだろう。
キングスレイ・ウォード(カナダの実業家・作家、1932〜)
『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』

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沖縄そばセット 750円 SUNAMO フードコート

ビニール本(20)

2013.6.24(月)
04:20〜05
:15/ストレッチ・軽く筋トレ・ゆる体操
05:20〜06:10/スロージョグ5キロ(上平井橋〜平井大橋〜木根川大橋)
06:20〜07:05/入浴、ストレッチ・正座
08:30〜09:30/経絡治療院

恐れを知らない純粋な目、冷酷な血走ったギラギラした眼

保護した雀(赤ちゃん)の命を繋ぐためには生き餌を捕まえることだ。
雨に濡れた、何も食べない、座りこむ、小刻みに震える、小さなすずめ。
この一刻を争う火急の事態に、我ら親子は焦った。まるで身体に火が
ついたように、”すぐに何とかしないといけないんだ”、という気持ちだった。

まず最初に、夜の染物工場の中で、父と子がそれぞれのやるべきこと、
つまり役割分担について、父が説明(指示)をしたので、ボクは言われた
通りに実行した。

それは、”ここ!このへんだ!”と父が指をさしたところに、ボク(幼稚園)が
素早く懐中電灯を向けると(照射)、その影に隠れていた生き餌が、ササッ
サ〜と素早く逃げて行くのを、丸めた新聞紙で、父が”パンッ”と叩く、叩く。
その叩かれた生き餌の動きが止まと、軍手の父がつまんで、バケツの中
に放り込んでいく。父は軍手をしていたけど、ボクは素手だった。

雀の生き餌は背羽がテカテカに光っている。色は黒か、または、こげ茶。
小さいのは1センチあるかないか、大きいのは6センチぐらい、デッカイ。
その生き餌とは、ゴ・キ・ブ・リである。染物工場の中には、たくさんのゴキ
ブリが生息していた。そこには染料と水、糊(のり)があり、じめっとした
適度な湿度と室温は、ゴキブリの住環境にとって申し分なく快適であり、
とても素晴らしいものだった。

だからたぶん、工場のゴキブリたちは、いつだって安心していたと思う。
(勿論、ゴキブリから訊いた訳ではない、あくまでも勝手な推測である)
当時はまだゴキブリホイホイもなかったし、昼間の仕事中に、忙しい職人
さんに、叩かれたり潰されることはほとんどなかった。たまには清掃中の
水道ホースからの水圧に流されることもあったが、それでも泳ぎに自信
のあるゴキブリは、流れるプールのようにして、何とか逃げ切っただろう。

(ゴキブリの気持ち、ゴキブリの本音)
しかし、今夜ときたら一体どうしちゃったんだ。俺たちゴキブリは、今まで
人間たちのいる日中はいつだって遠慮をしてきたし、みんな(ひと)がいな
くなる夜になってから、それを確認してから、こうして俺たちは活動を始め
ていたじゃないか。つまり、「昼間は人間、夜はゴキブリ」、という棲み分け
をしてきた訳だし、それは事実上の暗黙の了解だったはずだ。それなのに
何の事前通告もないまま、まるで騙し討ちのようにして、俺たちの時間に、
突然に踏み込んでくるなんて行為は、あまりに理不尽だし、とても酷(ひど)
いじゃないか。そうやってバケツに、俺たちゴキブリを放り込んで、どうする
つもりなんだい。(まさか俺たちを食べるつもりか?止めた方が良いよ)

それに、その幼稚園児は普通じゃないよ。(何が普通じゃないかって?)
その幼稚園児は、俺たちゴキブリのことを、ちっとも恐れていないことだよ。
おかしいじゃないか。ゴキブリ(俺たち)が身体の大きい人間を恐れている
のと同じように、人間だって、小さな俺たち(ゴキブリ)を見たら、「キャ〜、
ギャ〜、オォ〜」と叫んで逃げるし、怖がるものじゃないか。それなのに、
あの幼稚園児ときたら、のろまなダンゴ虫か、ぶりっこの蝶々を捕まえる
ときのように、恐れを知らない純粋な目でありながら、その一方では、冷酷
な血走ったギラギラした目をしている。そんな馬鹿な人間がいるのかって!

人間の決断力は冷酷さという性格を連れ添っている。

海外SFドラマ『スター・トレック』
ミスター・スポックのセリフ。冷酷人と善人に分裂したカーク船長を見て述べた言葉。

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豆腐ハンバーグ・コーヒー ビッグボーイ市川新井店

ビニール本(19)

2013.6.21(金)
04:20〜05
:15/ストレッチ・軽く筋トレ・ゆる体操
05:20〜06:10/スロージョグ5キロ(上平井橋〜平井大橋〜木根川大橋)
06:20〜07:05/入浴、ストレッチ・正座
08:30〜09:30/経絡治療院

陣地や国境などに関係なく、大空を自由に飛んでいく小鳥たち

雨の日に雀を保護したまでは良かったのだが、ここからが難問だった。
人に慣れていないばかりか、ひとを怖がっている野鳥(赤ちゃん)を飼育
するのは、想像した以上に大変なことなのだ。まずは、小さなダンボール
の底に新聞紙(読売)を敷き詰め、その上に庭土と小枝を入れた簡易の
雀ハウスを父が作った。もちろん、ボクは見ていた。

住まいの次は、食べ物と飲み物を用意しなくてはいけない。これが、ダイ、
ダイ、大問題だった。なにせ、相手さんは、自然の中で生きている野鳥
さん。ペットショップで買ってきた、手乗り文鳥のようにはいかない。
警戒心がとても強くて、上からそっと覗いただけでも怖がってしまう。

雀は、ご飯(お米)も食べなければ、お水さえ、まったく見向きもしない。
ただブルブルと震えているだけだ。これは非常にマズイ、危険な状態だ。
風のなかの蝋燭(ろうそく)のように、ゆらゆらと揺らめく小さな灯は、いつ
フッと消えてしまってもおかしくない。台所にある古い置時計の秒針が、
大きな音で聞こえてきた。カチ、カチ、カチと時を刻んでいる、こちら側に
だんだんと近づいてくるように、カチ、カチ、カチ・・・・・。

幼稚園に行っても、ボクは気が気じゃなかった。すずめ、すずめ、すずめ
おやつを食べていても・・・・・すずめ!大きな栗の木の下で・・・・・すずめ!
小さな頭の中は雀のことで、いっぱいだった。

幼稚園から帰ってくると、すぐにダンボールの中を覗き込んだ。大丈夫。
まだ雀は生きていた。小さい目は開いていた。だけど、元気がないのは、
あきらかだった。小刻みに震える雀は、両足で立っている力もないのか、
ダンボールの底に座り込んでいた。母の説明によると、お水は飲んだよう
だが、お米とパンなどの食べ物には、まったく何も口にしていない。食べて
いない、食べられない。その生命は風前の灯、事態は深刻な状態だった。

工場から帰宅した父とボクは、自宅近くにある小鳥屋さんに行った。今では
信じられないけど、当時の自宅近くの商店街には、豆腐屋さん、本屋さん、
お肉屋さん、呉服屋さん、お米屋さん、お茶屋さん、靴屋さん、植木屋さん、
それから、写真屋さん、珠算塾(そろばん)、書道塾、映画館まであったのだ。
(上記のお店は、現在は全部ありません、残念です)

その小鳥屋さんの6帖くらいの店内には、インコ、カナリヤ、九官鳥などの
たくさんの小鳥がそれぞれの鳥籠の中にいた。小鳥は、止まり木を行った
り来たり、休むことなく繰り返したり、羽を広げてパタパタしたり、ピ〜ピ〜
チュンと誰に遠慮するでもなく、まるで幼児の合唱大会のようだった。

そこは少し騒がしくて、フンの臭いは結構なものだったけれど、それが
ちっとも不快には感じなかった。いやむしろ、オバサン達のおしゃべりの
ほうがウルサイし、人間のフンのほうが、全然臭いとボクは思ったのだ。

小鳥屋さんは、お店の奥と2階が自宅になっているようだった。おじさんは
いつも一人で小鳥のお世話をしていた。おじさんは、どちらかの片方の腕
がなかった。いまになって考えてみると、それはたぶん、センソウ(戦争)
に行ったからじゃないか、とボクは思う。ゲゲゲの鬼太郎の水木しげるは、
自身の代表作の1つ”昭和史”の中で、ニューブリテン島での戦闘(爆撃)
によって、左手を失なったことが克明に描かれたいた。ひとを殺したり、
殺されたりする戦場において、敵味方の陣地、国境などに関係なく、大空を
自由に飛んでいく小鳥たちに、何かしらの(羨望の)感情が発生して、外地
から復員したら”小鳥屋さんをやろう”と考えたのではないか、とボクは勝手
な想像をしていた。

それはそうと、小鳥屋のおじさんは、雀の飼育について、厳しくて現実的な
アドバイスをしてくれた。「餌やり?それは難しいね、餌を食べるとしたら、
ちゃんと動いている虫じゃないかなぁ」 「そうですか」と父は言った。

自宅に戻った父とボクは、バケツと丸めた新聞紙、懐中電灯を持って、夜の
染物工場の中に入った。すぐに電気を点けたけど、それでも暗くてひんやり
しているし、染料と糊(のり)の混ぜ返した匂いが充満していて、容赦なく
幼稚園児の鼻孔を締め付けてきた。それに、夜の工場と言うのは、いつ
お化けが出てきても不思議じゃない、とっても怪しい雰囲気だった。ところが
ボクはちっとも怖くなかった。何故なら、お化けより怖い父がいたからだ。
いやそんなことより、雀の餌(虫)を捕まえることで、我ら親子は必至になって
いた。そしてこのとき、泣き虫の幼稚園児に、ある変化の兆しが、少し発生して
いたのだった。


気のふさいだ馬を見たことがあるか?
しょげかえった小鳥を見たことがあるか?
馬や小鳥が不幸にならないのは、
仲間に「いいかっこう」を見せようとしないからだ。

デール・カーネギー
(20世紀前半の米国の自己啓発権威・講演家・著述家、1888〜1955)


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