KAZUの完全復活を目指して

平成23年1月1日元旦の午前1時 年越しJOGの途中で転倒して大怪我をした。 大腿部と手首の骨折〜救急車の搬送〜2回の入院と手術を経て2月9日に退院。 そして退院後のリハビリ通院は79回をもって、平成23年6月29日に終了した。 さぁこれから、ここから、どこまで出来るのか、本当に復活(完全)出来るのか? 本気でヤルのか、情熱を注げるのか、そして過去を超えられるのか? 質問と疑問に対して、正々堂々と、決して逃げずに、答えを出してみよう。 こういう人生を、こういう生き方を、思い切り楽しんでみよう。 KAZUさんよ、タイトルに負けるなよ!

2013年07月

ビニール本(27・初恋)

2013.7.30(月)
04:20〜05
:15/ストレッチ・軽く筋トレ・ゆる体操
05:20〜05:40/2キロスローJOG(上平井橋〜平和橋)
05:50〜06:25/入浴、ストレッチ・正座
08:30〜09:30/経絡治療院

すずめによって自我が目覚めたら、ボクは恋をした

理想とは考えられるうちで最高の状態のこと、現実の対義語(理想⇔現実)。
つまり理想は、罪深い人間の世界ではなく、神の領域のみに存在している。
コンビニでおにぎりを1つ買うように、日常的に理想という言葉を使っている
人は、本物の神様か、本物の馬鹿者である。ただし、前者に遭遇したことは
1度もないが、後者のほうだったらAKB48のファンのように、うんざりするほど
どこにいってもいる。どこにも行かなくてもいる。それほどに馬鹿者は多い。

直近では、10分前にトイレの中で発見した。月の裏側のように冷たい鏡の中を
覗いてみたら、ボクと瓜二つの冴えない馬鹿者が、ぼんやりとした目と覇気の
ない表情でこちらを見つめていた。苦手のシイタケが入った茶わん蒸しのフタを
ピタッとしたように、視線が合ったことが不快に感じたボクは、その場を作り笑い
をして何とか誤魔化そうとした。しかし鏡の中の馬鹿者は、なんとボクとまったく
同じ薄ら笑いを投げ返してきた。下手に出て変に媚びたのが良くなかったのだ。

作戦を変えたボクは、鏡の馬鹿者を威嚇するために、「茜さんのお弁当」の杉本
哲太みたいな赤い眼差しをぶつけたら、まったく同じ戦法で睨(にら)み返された。
しつこい奴だ。しかし、こんなことをいつまで繰り返しても仕方がない。

「馬鹿は相手にするな」という格言に従うために、最近のボクは鏡をあまり見ない
ように心掛けている。若い頃は、シャム猫がミルク皿を舐(な)めるように、鏡の
馬鹿者を舐めるように、鏡に穴が開くほど見ていた。だから、馬鹿がうつったん
だろう。馬鹿者は昭和の煙突のようにいつも煙草臭かった。だけど、あの頃の
馬鹿者は、スイカのビーチボールのように、ピチピチとした張りがあった。

実りのない植樹のように、バカバカしい話しは止めて理想の話に戻そう。
過去に1度だけ理想があった。あのとき・ボクは・たしかに・神の領域に・いた。
現実世界に存在しないはずの理想が、あのときに、ボクの手中にあったのだ。
もしかしたら、それは愚かな人間に神様が与えられた1回だけのご褒美だった
のか。あるいは、ただの1度だけ、ひとは本当に本物の偉大な馬鹿になれる。
そういうときに人は奇跡が起きたと驚嘆するのか。

昭和39年に東京オリンピックが開催された。ボクは幼稚園の年中さんだった。
すずめによって自我が目覚めたら、ボクは恋をした。それは奇跡だった。
生涯ただ1度だけの理想の恋だった。

とてつもなく高い理想、それこそ手が届かないくらいの理想を、
まず掲げるんです。他人に馬鹿と言われたって、いいんです。
人は、自分の想像の範囲以上には絶対になれないんです。
自分を低く見ている人は、低い山にしか登れない。
工藤村正(米国在住の日本人画家、1948〜)

風立ちぬ 

映画が終わったら、つっかえ棒がガクッと外れたようにボクはドタバタした。
ドタバタの原因は基本的に映画とは関係がない。スマホの電源を入れたら、
袋とじの週刊ポストのように少しじらされてから、ボクを試すようなきわどい
数値がパッと液晶画面に表示された。アリオ亀有の駐車時間の3時間無料
(映画鑑賞)まで、あと3分しかない。駐車場の車まで急いでも間に合わない
可能性がある。有料になることを覚悟のうえで勝負弱いギャンブラーの顔に
なるか、昼食と買物して無料の駐車券をゲットして、景気回復に少し貢献した
消費者の顔になってから、胸を張ってどうどうと帰るのか。ボクは迷っていた。

扇風機を回すように、首を起点に大きさのわりに中身のない頭を左右交互に
ぐるっと回してみた。冷静になりたいときのボクは、意識して、または無意識の
うちに、そのどちらによって頭をぐるぐると回すことがある。お地蔵さんのように
辛抱づよく同じ姿勢で映画を観ていたので、本当なら10回くらいは連続して回し
たい気分だったけれど、映画を観た人が親爺のぐるぐる回しを目のあたりしたら
「風立ちぬ」の余韻が台無しになるかもしれない。あるいはならないかもしれない。
念には念を押して、自発的に妥協をして、ボクは頭回しを左右1回だけで止めた。
しかし、送りバンド失敗後のクリーンヒットのように、結果的に妥協は正しかった。

電子レンジがチンと教えるように、頭をぐるっと回した瞬間に正解が分かった。
頭の中にある電子レンジを開いてみたら、シウマイを温めたときのようなシュ〜
という蒸気が立ち上り、風船のようにふくらんだラップには「どうでもいいです」
と表記があった。小学校に掲示されている太字の「廊下は走らない!」のように
駐車券のことなんか「どうでもいいです」、たしかにその通りだ。

そんなことに頭を使うより、もっと他に考えなくてはいけないことが、マクドナルド
のようにいっぱいある。もちろん、不完全な頭で考えることは、きわめて不完全
なことだ。たとえば、ゼロ戦の設計はできないし、まともな小説さえ書けない。
結核の治療はできないし、アニメ制作と、「ひこうき雲」だって上手に唄えない。
だからといって、何も考えなくていい訳ではない。不完全な頭で考えたところで
不完全で抽象的で中途半端な結果しか出ないだろう。きっと、たぶん、おそらく。
答えが出ない?そうだ。答えなんかでない。それでいい。不完全な頭を使うため
には、あるいは継続的に鍛錬していくためには、解けない難問に挑むしかない。

蜘蛛の糸が吹っ切れたように、空腹の鼠ように、ボクはテキパキと動き出した。
ユニクロの足の長い店頭マネキンが着用していた七分丈のカーゴパンツを買い、
中華屋さんのランチ写真の1番上にあった半チャンラーメンを食べて、スタバで
一番安かったアイスコーヒーを飲みながら、クリームパンのように柔らかいソファ
に座って、「グアムと日本人」戦争を埋め立てた楽園(山口誠)という本を、1時間
10分のあいだ、集中して読んでいた。

それから、跡形もなく全部の氷が解けきった初心を忘れたアイスコーヒーの残りを
貧乏臭くずるずるとすすりながら、あらためて「風立ちぬ」のことを考えてみた。
平日の9:30からの上映にもかかわらず、座席の90%は埋まっていた。大五郎を
乗せた子連れ狼はいなかったけれど、小学生くらいの子連れのお母さんが以外と
多かった。若者たちとカップルもいた。ボクの両隣りは、ともにご年配の御爺さん。
学生風とOL風、ボクのような、ひとり親爺もいた。早い話が老若男女である。

このような老いも若きもの老若男女を対象とする、つまり商業的成功を目指した
場合の歴史と戦争について、製作者側がどこまで踏み込むのか、踏み込める
のか、あるいは口当たり良くさらっと流すのか、その境界線をどこに引くのか。
ボクは思った。境界線の引き方が後退してきているのではないかと・・・・・。

ぐっと前に踏み込んだら、逃げる、あるいは拒否反応。それでは伝わらない。
それにスポンサーがつかない。映画はヒットしない。
では境界線を下げる。あえて踏み込まない。しかし、それでは伝わらない。
「風たちぬ」が伝えたいこと、感じて欲しいことは、いったい何だろうか。
小学生に伝わるのか、ご年配の方の情感に訴えたのか。
それが分からない。分からないのは、ボクがズレているから、なのか。
不完全な頭には常にその可能性がついてくる。
「終戦のエンペラー」を観てから、また、考えてみようと思う。

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ビニール本(26)

2013.7.22(月)
04:20〜05
:15/ストレッチ・軽く筋トレ・ゆる体操
06:20〜07:05/入浴、ストレッチ・正座
08:30〜09:30/経絡治療院

大玉ころがしで転んでしまったお父さんのような大きな悲しみ

工場で捕まえてきたゴキブリをパクパクと食べた雀(すずめ)は、目に見えて
元気になってきた。ダンボールの中でぴょんぴょん跳ねる、おしりをプリッと
突き出すようにして小さなフンを落とす。ゴキブリを追い掛けまわすことに飽
きたらパクッと食べる。雀はゴキブリを飽きない。そして同じように、ボクは、
すずめを飽きない。それに素早いゴキブリ採りの方だって手馴れてきた。

家の中に雀がいる生活が嬉しかった。そんな毎日がとっても楽しかった。
それまでの気持ちとは大きく変わった。こんな気持はもちろん初めてだった。
世界から手を差し伸べてもらう、お世話(救済)をしてもらう、そんな一方通行
の受け身だったボクが、拾ってきた雀を守るために、助けるために、超速の
ゴキブリを毎日つかまえた。その小さな手でギュッと押さえつけるようにして。

あのころ、自分の内側からロックしていたドア(自我)が、雀を守る行動に
よって強い刺激を受けると、 富士桜(突貫小僧)の突っ張りのように外側に
向かって勢いよくパッと全開した。それまでの「与えられる・助けてもらう」こと
しか知らなかったボクが、「与える・助ける」ことを体感して、一方通行から
相互通行に変わった。感情を受ける、感情を出すことができるようになった。
こうして、自閉症のようだった幼稚園児は一変に元気になる。

ただ幸福の時間というのは、いつの時代だって、黄色いバナナが黒くなる
ように、そんなに長くは続かない。葛飾区に在住する幼稚園児だって例外
ではなかった。雀とボクの幸福の日々がいったい何日続いたのか。その
辺りの記憶は、いちばん薄い色のスモークをフロントガラスに貼りつけた
中古のシビック(ホンダ)のように、もやもやとしていて不透明である。

たとえば10日間と言われたら「そうだったか」、3日間なら「やっぱり」なのだ。
しかし、それでもあの日のことはハッキリと覚えている。それは、夫婦げんか
でお母さんが泣いたように衝撃的だったし、大玉ころがしで転んでしまった
お父さんのような大きな悲しみだった。

ボクが幼稚園から帰ってきたら、すずめのダンボールがない。玄関、応接間、
台所、どこにもない。えっ!どこなの?首降り人形のように、ボクがきょろきょろ
していたら、そのときになって初めて、母がこのように言ったのだ。
「すずめは元気になって飛んで行ったのよ」   ボク「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「飛んで帰れたから、 これで良かったのよ」   ボク「・・・・・・・ひっく・・・ひっく・・」

大人だったら、そういうことを理屈として理論として、または理解として分かる。
その内容を分析して、構成比率51対49を比較して、その結果(多数)に準じる。
しかし、しょっぱいと甘いを合わせた塩大福が美味しいと感じるのは大人だけで
子どもの場合は白か黒か単独の味覚しかない。いくら汗をかいてたって、ビール
は、顔が崩れるほどに苦すぎて飲めやしない。三角形のコーヒー牛乳ならまだ
良いけど、恋の季節(ピンキーとキラーズ)のような夜明けのコーヒーは飲めない
(飲んではいけない)。 なぜなら、医学的には子どもにカフェインは良くないし、
生活的には、夜ふかしはバイオリズム(体内時計)を狂わしてしまうのだ。

安くないKIHACHIより、不二家かコージーコーナーの単純に甘いだけを主張する
ケーキのほうが子どもは好きである。 文明堂のカステラ、ひよこまんじゅう、泉屋
のクッキー。子どもは、もちろんそのほうが良いし、そうでなければいけない。
淹れたてのエスプレッソを飲みながら、東京スポーツと週刊実話を小学生が読む
べきではない。それが子どもの管理規約と使用細則、それが世界の黄金律だ。

子どもの感情に判定勝負はない。白か黒のどちらか1つでも多いほうが勝利する
オセロではない。幼稚園から帰宅して、ただいまの雀がいなくなった瞬間に、1つ
の白が黒に裏返しになると、それまでの幸福の白が絶望の黒に取って変わった。
黒一色に泣きだしたら、みんなが慰めてくれた。こういう慰め方は初めてだった。

これで良かったんだよ、すずめはね、家の中にいるものではないんだ。
大空を自由に飛ぶものなんだ。両手で数えてごらん、寂しいことは49個だね。
だけど良いことは51個あるんだよ。良いことが多い。だから喜んであげようね。

ボクは泣いた。最初は、すずめがいなくなった現実が悲しくて、寂しくて泣いた。
泣いているのに、いままでのように父は怒らなかった。泣くなとは言わなかった。
どうしてだろうか、泣きながら考えた。自分の弱虫で泣いているのではない。
すずめのことを考えて、泣いているんだ。こういうときは泣いてもいいのだ。

それでもボクは泣き続けたけど、途中からは、嬉しくなって泣き続けた。
父と母に慰めてもらえる、その気持ちが嬉しくて、ボクは泣いていたのだ。


(自分の)子供たちを見ていると、
3〜4歳の頃の感性がいまだに残っている。
この時期に覚えたものは、理屈ではなく体でじかに
感じ取ったもので、絶対に忘れない。
大人になって教えようとしてもできない。 
 

宮里優(プロゴルファー宮里聖志・優作・藍の父)


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日替ランチ、コーヒー、800円 やるき茶屋

ビニール本(25)

お母さん、カズヤくんは自閉症かも知れませんよ

先の尖ったナイフのように、ジヘイショウという言葉が父と母の胸に
鋭角的にふかく突き刺さった。強く印象に残ったことは記憶に刻まれる。
それは何かしらの些細なキッカケによって、鳩時計が定時にパカッと
飛び出して鳴くように、定期的に突然に想いだして泣き出すのだった。

「あの頃はあなたのことを、それはそれは本当に心配していたんだよ」
いままで何十回聞かされてきたことか。それはたしかに相当にショック
だったと、自分が親の立場になってみると、肌が日焼けしてヒリヒリする
ように、50代の肌年齢の肌感覚で、ひしひしと痛いほど感じるのだ。

さすがに今となったら笑い話なんだけど、ただ、その一方では何かしらの
不可解な感覚があるのも事実だ。それは、ようやく泳ぎ始めたばかりの
オタマジャクシをぼんやりと眺めているベテランのカエルのように、自分の
ことでありながら、自分のことではない、自分と似ている他人のような感じ
がするのである。それが本当なのは分かるんだけど・・・・・。

「あの頃は仕事が忙しく生活に追われて、子どもの面倒をみている余裕
がなかったの、とにかく大変な時代(昭和40年代)だったのよ。だから、
子ども達には随分と寂しい思いをさせてしまったの、ごめんなさいね」 

この話を20代の頃にされたときには、ボクは「ふうん」としか言えなかった。
いつもの調子ではない話し方は、寝具の順番を間違えて、掛布団の上に
寝てから体の上に敷布団を掛けたようにずっすりと重たくて、富士山5合目
に登ったように、またはキロ4分で走るような、酸欠気味の息苦しい気分に
なってしまう。

そんな反省と謝罪を込めた話し方をされたら、未成熟な20代は当惑する
だけであり、気の利いた言葉の1つも出てこないし、そういう話が長引か
ない最低限の相槌しかボクはうてない。「ふうん」しか言えなかったのだ。

こういうときの馬鹿者の反応(態度)というには、いくら打てども打てども
ちっとも響かない、まるで空っぽの鐘のようなものだ。しかしそれは、
そんなに珍しくない場面(光景)だ。世界中の夜空に見える、気まぐれに
形を変える月のように、世界中の親子間における普遍的ギャップである。

この世代間ギャップには、逆転サヨナラホームランのように、スカッとする
解決策など、はなから存在しない。では、このギャップを埋めるには?
こういうときにありがちなのは、交通事故の当事者同士が言い争うように、
どちらが正義か、真実か、というような正当性を主張する議論である。

しかしギャップを埋める議論として、いちばん重要なことは、このような
正当化する思考は馬鹿げていることだ。陽の全く当たらない地下3階の
暗室倉庫の中で種を蒔くように、そこが不毛地帯だと気付くことだ。

ギャップへのアプローチは、理想的には双方であるべきなのだが、現実的
には、そのときに余力(余裕)のある方が、より進んで歩み寄ればいい。
たとえば、40〜50歳と70〜80歳のギャップがあったとしたら、前者のほうが
歩み寄れるような社会であって欲しいとボクは思う。そうありたい、とも思う。


本当の自分を知らないと、
自分が描く理想の自分とのギャップに苦しむ。
リチャード・H・モリタ
(カウンセラー、オリソン・マーデン財団日本支部理事長、1963〜)
『自分らしく成功する6つのレッスン─自分の中の天才を見つける技術』


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日替和膳 ドリンクバー1000円 ジョナサン

終戦のエンペラー 岡本嗣郎

終戦のエンペラー 岡本嗣郎 読書感想記

追憶(沢田研二)、ひとりぼっちのメリー(アート・ガーファンクル)
よそゆき顔で(荒井由美)、タイム・イン・ア・ボトル(ジム・クロウチ)
あなたがここにいてほしい(ピンク・フロイド)、純愛(片平なぎさ)


たとえば、悲しいときには悲しいと感じる歌が聴きたくなる(ときがある)。
心がブルーなときには、真っ白にキラキラと輝く世界より、むしろ濃紺の
キャンパスに身を沈めたほうがしっとりと馴染んできて落ち着いてくる。

このように人間というのは、ある種の矛盾によって成立している。自分
だけの色を発揮したい気持ちと同時に、自分のカラーを出したくない
目立ちたくない、という異なる思想を抱えているのだが、それを指して
矛盾ではないかと批判すべきではない。そもそもが思想と思考ではない。
もちろん宗教でもない。それは、首から上だけの一部分で考えること
ではなく、身体の全部が本能的に感じること。つまり、生存本能である。

大海原を大群で回遊するイワシは、自己主張(カラー)により子孫を繋い
でいくし、個性を消去(集団行動)することにより外敵から防御している。

サンタナの「僕のリズムを聞いとくれ」のように、自他ともに誇れるなら
「ボクだけの色を見て欲しい」と懇願するだろう。しかし、恰好悪いこと、
情けないこと(たとえば怪我とか病気など)は、決して見てほしくない。
目立ちたくない、自分の色を消したい。だけど、ここでは色を消せない。

そういうときには、自分の色が目立たないところ(場所)に行くしかない。
同じ色の場所を求める、それが防衛本能である。そこに行けばチカラ
を入れなくても、なんの努力しなくても自然と混ざり合って溶け合う。
そのときの状況に応じて、居心地のいい場所を求めて移動して行くのだ。

イワシのように大群で泳げなくなった、心に傷を負った平目(ひらめ)が、
暗い海底にどんよりと沈んでいく。そして悲しみの地底色に同化(保護色)
して、ひっそりとしたエラ呼吸をする。突発的な転倒により、泳げなくなった
50歳の平目が沈んでいったところにあった(見えた)のが歴史と戦争だった。

最初はそんな動機(同化志向)だったから、精神論として決して褒められる
ものではない。ただあえて自己弁論をするならば、または、本音を言わして
もらうならば、ダイエット目的に走りだしたランナーがサブスリーを目指した
ように、大概はそんなものだろうと思うし少なくてもボクの場合はそうだった。

「あぁ〜そうか、そういうことだったのか」。実際に海底に沈んでみたら、それ
までにボクがイメージしていたこと(歴史と戦争)とは大きくかけ離れていた。
イワシの大群の中に混じって皇居のまわりをぐるぐると回遊していたときには
陽光の差し込む紺碧の海水と集団しか見ていなかった。そんなときに、陽の
届かない暗い海底に思いを寄せようなどとは考えなかった。

歴史と戦争を学びだしてから、ボクの内側にある種の変化が起こってきた。
無造作に放り出していたシャツを針金ハンガーに掛けたら、しわになっていた
後ろめたさがすっ〜と伸びたように、潜在的に歪んでいた精神が引っ張られて
本来の形に矯正された。この暗い海底から上部を見上げてみると、いままでの
逃避的な自分の姿に否応なしに気づく。大海原を回遊しながらも、海底のことを
本当は恐れていたし、たしかに、たしかに、ボクは避けていた。

海には必ず海底があること。不安定な自分を見出すこと。世界の海は国境を
越えて繋がっていること。すべての過去(歴史)が現在に繋がっていること。
過去からのバトンをしっかりと受け取ること、そしてバトンを引き渡すこと。
これが歴史を学ぶ本質だと、53歳が目前に迫ったボクは思うのだ。

「七の力を与えられている人が精いっぱい励んで八点を取った。
十の力を与えられている人が九点を取った。人間の目には
九点の方が上でも、神様の目には八点の方がずっと上です」

「お前の戦争に関する意見はまったく正しい。戦争には何の
いい訳も成り立たない。戦った双方の国民とも戦争を望んで
いない。国民を戦争に巻き込むのは、いつも思索によって
問題を解決することを怠った自分勝手な指導者たちだ。
私はこのことを今度の戦争でたくさん学んだ。
きょうまで私はルーズベルト大統領がアメリカ国民を戦争に
巻き込まない努力した行動をひとつも見出すことができない。
そうではなくて逆にあらゆる施策がまっすぐ戦争の向けて
リードされた。(略)
今日では軍事情勢に新しい要素が加わった。科学が人間の
進歩を追い越し、文明を絶滅させる手段を可能にした。
このことは戦争それ事態を避けることが、文明の絶滅を防ぐ
唯一の解決策であることを示している。」

終戦のエンペラー 岡本嗣郎 一部抜粋

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