2013.7.30(月)
04:20〜05:15/ストレッチ・軽く筋トレ・ゆる体操
05:20〜05:40/2キロスローJOG(上平井橋〜平和橋)
05:50〜06:25/入浴、ストレッチ・正座
08:30〜09:30/経絡治療院
すずめによって自我が目覚めたら、ボクは恋をした
理想とは考えられるうちで最高の状態のこと、現実の対義語(理想⇔現実)。
つまり理想は、罪深い人間の世界ではなく、神の領域のみに存在している。
コンビニでおにぎりを1つ買うように、日常的に理想という言葉を使っている
人は、本物の神様か、本物の馬鹿者である。ただし、前者に遭遇したことは
1度もないが、後者のほうだったらAKB48のファンのように、うんざりするほど
どこにいってもいる。どこにも行かなくてもいる。それほどに馬鹿者は多い。
直近では、10分前にトイレの中で発見した。月の裏側のように冷たい鏡の中を
覗いてみたら、ボクと瓜二つの冴えない馬鹿者が、ぼんやりとした目と覇気の
ない表情でこちらを見つめていた。苦手のシイタケが入った茶わん蒸しのフタを
ピタッとしたように、視線が合ったことが不快に感じたボクは、その場を作り笑い
をして何とか誤魔化そうとした。しかし鏡の中の馬鹿者は、なんとボクとまったく
同じ薄ら笑いを投げ返してきた。下手に出て変に媚びたのが良くなかったのだ。
作戦を変えたボクは、鏡の馬鹿者を威嚇するために、「茜さんのお弁当」の杉本
哲太みたいな赤い眼差しをぶつけたら、まったく同じ戦法で睨(にら)み返された。
しつこい奴だ。しかし、こんなことをいつまで繰り返しても仕方がない。
「馬鹿は相手にするな」という格言に従うために、最近のボクは鏡をあまり見ない
ように心掛けている。若い頃は、シャム猫がミルク皿を舐(な)めるように、鏡の
馬鹿者を舐めるように、鏡に穴が開くほど見ていた。だから、馬鹿がうつったん
だろう。馬鹿者は昭和の煙突のようにいつも煙草臭かった。だけど、あの頃の
馬鹿者は、スイカのビーチボールのように、ピチピチとした張りがあった。
実りのない植樹のように、バカバカしい話しは止めて理想の話に戻そう。
過去に1度だけ理想があった。あのとき・ボクは・たしかに・神の領域に・いた。
現実世界に存在しないはずの理想が、あのときに、ボクの手中にあったのだ。
もしかしたら、それは愚かな人間に神様が与えられた1回だけのご褒美だった
のか。あるいは、ただの1度だけ、ひとは本当に本物の偉大な馬鹿になれる。
そういうときに人は奇跡が起きたと驚嘆するのか。
昭和39年に東京オリンピックが開催された。ボクは幼稚園の年中さんだった。
すずめによって自我が目覚めたら、ボクは恋をした。それは奇跡だった。
生涯ただ1度だけの理想の恋だった。
とてつもなく高い理想、それこそ手が届かないくらいの理想を、
まず掲げるんです。他人に馬鹿と言われたって、いいんです。
人は、自分の想像の範囲以上には絶対になれないんです。
自分を低く見ている人は、低い山にしか登れない。
工藤村正(米国在住の日本人画家、1948〜)
04:20〜05:15/ストレッチ・軽く筋トレ・ゆる体操
05:20〜05:40/2キロスローJOG(上平井橋〜平和橋)
05:50〜06:25/入浴、ストレッチ・正座
08:30〜09:30/経絡治療院
すずめによって自我が目覚めたら、ボクは恋をした
理想とは考えられるうちで最高の状態のこと、現実の対義語(理想⇔現実)。
つまり理想は、罪深い人間の世界ではなく、神の領域のみに存在している。
コンビニでおにぎりを1つ買うように、日常的に理想という言葉を使っている
人は、本物の神様か、本物の馬鹿者である。ただし、前者に遭遇したことは
1度もないが、後者のほうだったらAKB48のファンのように、うんざりするほど
どこにいってもいる。どこにも行かなくてもいる。それほどに馬鹿者は多い。
直近では、10分前にトイレの中で発見した。月の裏側のように冷たい鏡の中を
覗いてみたら、ボクと瓜二つの冴えない馬鹿者が、ぼんやりとした目と覇気の
ない表情でこちらを見つめていた。苦手のシイタケが入った茶わん蒸しのフタを
ピタッとしたように、視線が合ったことが不快に感じたボクは、その場を作り笑い
をして何とか誤魔化そうとした。しかし鏡の中の馬鹿者は、なんとボクとまったく
同じ薄ら笑いを投げ返してきた。下手に出て変に媚びたのが良くなかったのだ。
作戦を変えたボクは、鏡の馬鹿者を威嚇するために、「茜さんのお弁当」の杉本
哲太みたいな赤い眼差しをぶつけたら、まったく同じ戦法で睨(にら)み返された。
しつこい奴だ。しかし、こんなことをいつまで繰り返しても仕方がない。
「馬鹿は相手にするな」という格言に従うために、最近のボクは鏡をあまり見ない
ように心掛けている。若い頃は、シャム猫がミルク皿を舐(な)めるように、鏡の
馬鹿者を舐めるように、鏡に穴が開くほど見ていた。だから、馬鹿がうつったん
だろう。馬鹿者は昭和の煙突のようにいつも煙草臭かった。だけど、あの頃の
馬鹿者は、スイカのビーチボールのように、ピチピチとした張りがあった。
実りのない植樹のように、バカバカしい話しは止めて理想の話に戻そう。
過去に1度だけ理想があった。あのとき・ボクは・たしかに・神の領域に・いた。
現実世界に存在しないはずの理想が、あのときに、ボクの手中にあったのだ。
もしかしたら、それは愚かな人間に神様が与えられた1回だけのご褒美だった
のか。あるいは、ただの1度だけ、ひとは本当に本物の偉大な馬鹿になれる。
そういうときに人は奇跡が起きたと驚嘆するのか。
昭和39年に東京オリンピックが開催された。ボクは幼稚園の年中さんだった。
すずめによって自我が目覚めたら、ボクは恋をした。それは奇跡だった。
生涯ただ1度だけの理想の恋だった。
とてつもなく高い理想、それこそ手が届かないくらいの理想を、
まず掲げるんです。他人に馬鹿と言われたって、いいんです。
人は、自分の想像の範囲以上には絶対になれないんです。
自分を低く見ている人は、低い山にしか登れない。
工藤村正(米国在住の日本人画家、1948〜)
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