KAZUの完全復活を目指して

平成23年1月1日元旦の午前1時 年越しJOGの途中で転倒して大怪我をした。 大腿部と手首の骨折〜救急車の搬送〜2回の入院と手術を経て2月9日に退院。 そして退院後のリハビリ通院は79回をもって、平成23年6月29日に終了した。 さぁこれから、ここから、どこまで出来るのか、本当に復活(完全)出来るのか? 本気でヤルのか、情熱を注げるのか、そして過去を超えられるのか? 質問と疑問に対して、正々堂々と、決して逃げずに、答えを出してみよう。 こういう人生を、こういう生き方を、思い切り楽しんでみよう。 KAZUさんよ、タイトルに負けるなよ!

2013年08月

ウォーキング日誌(08/30)

2013.8.31(土)
04:00〜04:50/ストレッチ・軽く筋トレ・ゆる体操
04:55〜06:55/11キロWALKINNG(上平井橋〜高砂橋)
07:00〜07:40/入浴、ストレッチ・正座

君にとっては「虫のいい話」だった(秋虫の声を聞け・後篇)

ひところの勢いが感じられない。かつての力強さもない。伸びやかさに
陰りが見え始めている。それは仕方ないことだと思う。ハーゲンダッツを
冷凍庫に放り込むように、時間を瞬間冷凍して保存することはできない。

もちろん、日本の8月はキンチョウの夏だ。しかし、新しい季節の一部は、
「そろそろ、交代時期が近ずいてきたよ」と囁きながら、8月の最後尾に
そっと手を伸ばし始める。ついこのあいだまで、あれだけ威勢の良かった
セミ(蝉)の鳴き声は、運動不足のおっさんのようにがっくりと衰えてきた。

パンチパーマのように、バルタン星人のように絶対量が少なくなったセミは、
その最期のチカラを絞り出すようにして「俺たち(セミ)のことを忘れないで
くれ!」と必死に鳴いている。夏の終わりのセミは、ロウソクの灯が消える
前の一瞬のゆらゆらした揺らめきのように、最期のひと踏ん張りをして、
その使命を果たすために、そのバトンを渡そうとしているのだ。
「もうすぐ俺たちの季節は終わりなんだ。次は君たち、秋虫の出番だよ。
どうだい、そろそろ準備はいいかい?」

今朝、ウォーキングをしていたら、セミに背中を押されていた河川敷の秋虫が
リンリン〜リンリンと初々しい声で鳴いていた。その声に、そっと耳を澄まして
いたら、元気のいい秋虫がボクに優しく話しかけてきた。

最近は毎日やってくるね、調子良さそうだし、楽しそうだから安心したよ。
(えっ!虫君はボクのことを知っているの?)

もちろん、君のことは前から知っている。3〜4年前は速く走っていた。
その時の君は恰好よかった。だけど恰好悪かった。いまは凄くいい。
(ごめん、何を言っている意味が分からないんだ。何が悪くて何が良いの?)

やれやれ、まあいいや。それでは少し長くなるけど少し遡って説明しよう。
あの頃の君は目標に対して、ただ真っ直ぐだった。ただ純粋だった。
信号のない高速道路を走るように、とても素晴らしいことだと君は考えた。
そう信じていた。しかし、純粋さは単純のグループの一部でもあるんだ。

あの頃の君は、僕たち(虫君)の声をまったく聞かなかった。
そもそも最初から、聞こうという意志がなかった。君はムシを無視したんだ。
都合のいいことだけを選択して、その他は深く考えることなく、ばっさりと
切り捨ててしまった。それはつまり、君にとっては「虫のいい話」だったのだ。
君は純粋さゆえに、単純さゆえに、ちゃんと考えなかなった。
考えないことは、忘却の一部に吸収合併される。忘却はリスクに含有する。
シートン動物記、ファーブル昆虫記を読んだことも、君は忘れていたんだ。
(虫君の言う通り、たしかに忘れていた。イロイロト ワスレテイタ)

だけど君は反省をした。後悔より反省を選んだ。僕たち(虫君)がいちばん
嫌っている「虫唾が走る」ことを君は選択しなかった。それだけは良かった。
君は誰かのせいにもしないし、何かしらの責任にもしなかった。
ことの良し悪しは別として、いつでも自己完結を試みていた。

そして、君はふたたび歩き始めた。今度の君は、セミの声も僕たち(虫君)
のことも考えるようになった。目を開いて、聞く耳を持つようになった。
しっかりとしていなかった君がしっかりしてきた。少しだけ、少しづつだけど。
(虫君、ありがとう。ところで、どうしてそんなに、ボクを知っているの?)

黄金バットと僕たち(虫君)は、昭和の時代から何でも知っているんだ。
もちろん、君のことだけではなく世界中のことを知っている。世界的なんだ。
(それでは、由紀さおりとピンク・マルティーニのことも知っているの?)

もちろんだ。僕たち(虫君)は彼女の歌声を最高評価している。
じつは「夜明けのスキャット」をお手本にして、鳴くこともあるくらいなんだ。
(それは凄いね。世界的な虫君は本当に凄いんだね)

大丈夫だよ。君もこれから世界的になるのだ。
(ボクは世界的じゃない、せいぜい葛飾区的がいいところだよ)

やれやれ、君は少し馬鹿なんだね。そういう地政学的な意味ではないんだ。
僕(虫君)の言っている世界とは、君の内にある世界であり、君の外にある
世界のことなんだ。カイガイ(海外)ではなく、ナイガイ(内外)なんだよ。
(ごめん、言っている意味が分からないんだ。世界の内外とは?)

やれやれ、君はオタンコナスだね。それでは簡単簡潔に、アインシュタイン
博士の相対性理論のように、分かりやすく具体的に説明してあげよう。
君はマラソンを走りたい。具体的にはフルマラソンを歩かずに完走したい。
いつの日か、そう思っている。あるいは目指している。そうだよね?
(もちろん、その通り。虫君の言う通りだ)

ところがだ、君の求めているフルマラソンは君の外側の世界にアル。リアル。
もちろん、過去には君の内側にあったけれど、いまは存在していない。ナイ。
(もちろん、その通り。虫君の言う通りだ)

いま君は歩き出した。まいにち朝4時に起きて5時から歩いている。かつて
マラソン練習のために走っていた同じ河川敷コース、同じ距離の11キロを
2時間かけて歩いている。それは走るためであり、それはマラソンのためだ。
君の外側にあるマラソンを、君の内側に入れようとしている。試みている。
(もちろん、その通り。虫君の言う通りだ)

これが君の世界だ。君の世界は、きみの外側だけに存在してはいけない。
そして、君の(求める)世界は、きみの内側だけにあってもいけない。
君の世界は、いつでも君の内側と外側に両方にあるのだ。そこにある
境界線は、内外タイムスのように出し入れが容易にできるようにしておくこと。
ノウミサンのピッチングのように、内から外、外から内、これがタイガースの
エースの生命線なんだ。クロスファイヤーなんだ。
(ノウミサンは、先日の巨人戦で勝てなかったけど・・・・・)

それは結果論だ。ノウミサンは降板したベンチでケリを入れて、グラブを
叩きつけた。ジェフ・ベックのような、そんな孤高のエースを傍観者の誰が
責めるられるのか。
(阪神のことになると、虫君のテンションが上がってきたようだが・・・)

あなたが世界にもたらすことができる最も重要な成果の一つは、
あなたが、本当になりたい自分になることである。

ロバート・フリッツ(米国の作家、経営コンサルタント、作曲家、映画制作者)

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ウォーキング日誌(07/30)

2013.8.30(金)
04:00〜04:50/ストレッチ・軽く筋トレ・ゆる体操
04:55〜06:55/11キロWALKINNG(上平井橋〜高砂橋)
07:00〜07:40/入浴、ストレッチ・正座

小さな湖に小石を投げ込んだように(秋虫の声を聞け・前篇)

現住所を葛飾区河川敷に住虫登録している秋虫が僕たちの季節がやって
くるヤァ!ヤァ!ヤァ!のビートルズのように、混声合唱を気分良さそうに
唄い始めた。ボクは歩きながら、彼らの唄(鳴き声)に意識を集中してみる。

虫の鳴き方は、運動会の行進のように規則正しい一定のリズムを刻むと
ボクは思っていたのだが(あるいは何も考えてはいなかったというべきか)
しかしそれは大きな誤りだった。それは大木金太郎のようなカチカチの石頭
による固定観念だったのだ。なぜなら、真剣に2つの両耳を白うさぎのように
傾けてみると、そうではないことが中秋の名月のようにくっきりと浮かび上が
ってくる。次第に、明確に、確実に、着実に、分かってくるのだ。

秋虫の鳴き方は夏のカブト虫(英国・ビートルズ)ではなく、初秋の由紀さおり
(日本)とピンク・マルティーニ(米国)である。ルゥ〜ルゥ〜ルゥ・ルゥ・ルゥ〜。
よく聴いたら誰でもわかる。しかし、よく聴かなければ誰にも分からない。
だから、ボクは彼らの唄(鳴き声)に意識を集中する、ルゥ・ルゥ・ルゥ〜。

ウォーキングする河川敷にいる秋虫は、ただ鳴いているだけではなかった。
そこには月見団子のように柔らかいアドバイスがあり、武田鉄矢のような熱い
語り掛けがあったのだ。いま一度、彼らの唄(鳴き声)に意識を集中する。
ルゥ〜ルゥ〜ルゥ・ルゥ・ルゥ〜、ラァ〜ラァ〜・ラァ・ラァ・ラァ〜・・・・・
その鳴き方は小さな湖に小石を投げ込んだように、静かにゆっくりと確実に
ボクの心に届いてきたのだ。(秋虫の声を聞け・後編へ)


常に何かを聞き、常に何かを考え、常に何かを学ぶ。
これが人生の真の生き方である。
何事も切望せず、何事も学ばない者は、生きる資格がない。

A・ヘルプス(イギリスの作家、1813〜1875)

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ウォーキング日誌(06/30)

2013.8.29(木)
04:00〜04:50/ストレッチ・軽く筋トレ・ゆる体操
04:55〜06:55/11キロWALKINNG(上平井橋〜高砂橋)
07:00〜07:40/入浴、ストレッチ・正座

熱帯雨林の中で自分の身体が溶けていくような気持ち

ウォーキングの6日目が終わった。自分でこういうことを言うのもなんだが
(他に誰も言わないから)、毎朝の東京ウォーカーとしてのボクは福島県の
いわき市の「夕月かまぼこ」のように、ぴたっと板についてきた、と思うのだ。

たったの6日歩いただけなのに。新小岩ウォーキング会の名誉顧問に長らく
就任している、よく言えば重鎮、よく言わなければ、古株あるいは古だぬき
になったような気持ちだ。それっていい気なもんだよね、まったく。こうやって
すぐに調子に乗ってくるから、よく手痛い失敗をするんだよ。ちょくちょくと。

とにかく舐めてはいけない。食後に喉が渇くような甘ったるいソフトクリーム
をペロペロとなめている観光客のように、ウォーキングをなめてはいけない。
巨人4番、セリーグ最多安打のムラタさんをなめてはいけない、虎さん軍団。

とくに50歳を過ぎたら。その中でも性格が軽率なひとは。また、その中でも
大腿骨骨折の経験者は自制的でなければいけない。それって俺のことじゃん。

そうだ。ちゃんとケアするのだ。食事と睡眠、セルフマッサージとストレッチ。
マエケンのように投げ終ったら冷やす、11キロ歩いたら水シャワーで冷やす。
マエケン体操もする。ラジオ体操もする。有楽町のラジオシティで踊る。
そうだ、休日だからもう少しケアしよう。葛西スーパー銭湯は平日600円だ。

温めてから冷やす。冷やしてから温める。サウナと水風呂のインターバル。
砂漠のような通常の高温サウナはスルーして、今日は熱帯雨林のスチーム
サウナへ入る。ここには騒がしいテレビが置いてないんだ。それはいいね。

なぜスチームサウナ室にはテレビがないのかって?スチームは霧の摩周湖
のように、オリビア・ハッセーのように、とても神秘的な世界だから、わずか
1メートル先だってはっきりと見えない。そうやっても、どうやっても、そんな
にしても見えないなんて、それはマスプロアンテナのように素敵なことだ。

ぽんぽこ狸のような親爺の太鼓っ腹も見えない。それはいいね、とてもいい。
ここにいると熱帯雨林の中で自分の身体が溶けていくような気持ちになれる。
ここでは、ボクは人間ではなく森のバター(アボカド)になっているんだ。
緑色から黒くなったのが視覚的サイン、あとは軽く握って柔らかさを確認する。
1コ130円のアボカドのようになれるなんて、それはとても素敵なことなのだ。

そして、ここにはBGMがある。もちろん、熱帯雨林には人工的音楽はない。
ボクは目を閉じてBGMに意識を集中する。その楽曲(BGM)を身体の中に、
やさしく取り込んでいく、静かに溶け込ませていく。最初の曲は何だったかな。
え〜と(最近、記憶の呼び出し時間が遅い、鈍い、ときに呼出不能になる)
これは、クリストファー・クロスの「ニューヨークシティ・セレナーデ」だ。
たしか29年くらい前に、専修大学のHくんがバイト中に口ずさんでいた。
(Hくんの妹さんはアフリカ生まれのリカちゃんだった、おしゃべりSTOP!)

江戸川区葛西のBGMがニューヨーク。それでは、その逆はあるのだろうか。
ニューヨークのABCストア、バーガーキングの店内で、葛西音頭は聴けるか。
もしくは100歩ゆずって東京音頭でも良いけれど。しかしいくら考えたところで
ボクの鈍頭では、ちっとも想像できない。そもそも、日米同盟は対等では
ない(らしい)、そもそもボクはニューヨークにも行ったことがない(まさしく)。

こんなことをスチームサウナ室で考えても仕方ないけれど、考えてしまうのだ。
少しは考えなさいと言われたら、少しも考えないし、そんなこと考えるなと忠告
されたら、ねちねちとグズグズと考えてしまうのだ。ボクは昔(昭和)からだ。

次の曲はタイタニック、夏の日の恋、はパーシーファイス・オーケストラだ。
みんなアメリカだ。欧米か!ではなく、ここまですべて米国。ベ・イ・コ・ク?
お米、農協、TPP、ササニシキ、ひとめぼれ、日本、ジャパン。
米の国と書いてアメリカ。なぜか?どうして米国なのか。
こんなことをスチームサウナ室で考えても仕方ないのだけれど。


現状のままで化石のように固まっていいのなら、
怠け心に調子を合わせていれば事足りる。
だが、成長することが成功だとしたら、毎朝、心新たに目覚め、
終日しっかりと目を見開いていなければならない。

ヘンリー・フォード(19〜20世紀米国の実業家、フォードモーター創始者)

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ウォーキング日誌(05/30)

2013.8.28(水)
04:00〜04:50/ストレッチ・軽く筋トレ・ゆる体操
04:55〜06:55/11キロWALKINNG(上平井橋〜高砂橋)
07:00〜07:40/入浴、ストレッチ・正座

デジタル時計を確認したら、午前3時55分だった。

深海のような暗闇に沈んでいた意識が底の方から上ってきた。ここはどこ?
もちろん、小笠原諸島ではない。ボクは深海ザメでもダイオウイカでもない。
ベッドから右手を伸ばしてデジタル時計を確認する、午前3時55分、にんまり。
うん、よしよし。こうやって5分前に自然と目覚めるのって完璧。理想形だ。
てくてく歩く、まい朝、1日11キロ、連続30日間、目標330キロ、楽しく、あるく。

おこるな しゃべるな むさぼるな ゆっくりあるけ しっかりあるけ

種田山頭火(明治〜昭和初期の俳人、自由律俳句で有名、1882〜1940)

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ウォーキング日誌(04/30)

2013.8.27(火)
04:00〜04:50/ストレッチ・軽く筋トレ・ゆる体操
04:55〜06:55/11キロWALKINNG(トレッドミル)
07:00〜07:40/入浴、ストレッチ・正座

慣れるにしたがって、その傾斜は少しづつ緩やかになる

三日坊主をクリアしたら、それまでの自分とは、つきものが落ちたように
ガラガラと小気味いい効果音をたてながら、状況はがらっと変わってきた。
身体の中と外の両方同時に、その変化の兆しを感じるとるのである。

最初は、そのヒステリックなものが何を意味する音なのか分からなかった。
デジタル時計のアラーム音は、ボクの鼓膜を先の尖がった鋭利なナイフで
攻撃的に突き刺してきたのだが、その行為、その爆音(電子音)が、まるで
手のひらを返したように変わってきた。破滅的だったキングギトラの雄叫び
からプログレッシブなキングクリムゾンのように。そこには、いくぶんの憂慮
ささやかな同情と温情、関心、あるいは前衛的な奥行さえ感じさせる。

空を飛べなくなったペンギンが泳げるように、毎朝の11キロウォーキングを
継続することにボクは順応してきた、適応してきたのだ。初めての海外旅行
でニューヨークへ行った日本人のように、ごくごく控えめに謙虚に言うならば
ささやかな小さな進化を求めてボクはスタートさせた。あるいは、ボクの内側
にあるものが外側にあるものを求めて、その環境に自分を押し込んで行く、
その環境に慣れさせようとしている。

なれる、慣れる、ナレル、(求めているものに)なれる、ように。
ひとの生活パターンは、そのほとんどが定例化した緩い馴れ合いである。
このような馴れ合いは堕落を誘因するし、馴れ馴れしいは不快を発生させる。

慣れる、これは良い。しかし、なかなか慣れない。これでも全然良いのだ。
お互いに共通しているのは、新しい環境(目標)に挑戦している事実だろう。
その違いは目標の上り坂の傾斜(角度)であり、慣れるにしたがって、その
傾斜は少しづつ緩やかになるのだ。これが良い。これが楽しいのだ。
成長過程の苦しみを喜びに転換するのは、前へ前へ、自分で踏み込んで
行くことにより、少しづつ緩やかになる傾斜を身体で実感することである。

慣れて行くこと、ここには成長がある、歓喜がある。しかし挫折と苦悩もある。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし、徳川家康の言う通りだ。
どうするのかって?それは挑戦することだ。慣れていくことだ。成長することだ。
挫折と苦悩を理解すること、受け入れることである。
それは簡単じゃないけれど、それでも、そのようにありたいと思うのだ。

私たちは、よろこびをもって生きたい。
それを待っているだけではなく、
自分からさがし出すことに慣れなければならない。
どんなにつまらないことであってもいい、
それをきょう一日の収穫として大事にしたい。
「よろこび上手」こそ苦しい世に生きていく知恵なのだ、
とぼくは自分の体験から思うのです。
五木寛之(小説家・エッセイスト・評論家、1932〜)『生きるヒント』

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