KAZUの完全復活を目指して

平成23年1月1日元旦の午前1時 年越しJOGの途中で転倒して大怪我をした。 大腿部と手首の骨折〜救急車の搬送〜2回の入院と手術を経て2月9日に退院。 そして退院後のリハビリ通院は79回をもって、平成23年6月29日に終了した。 さぁこれから、ここから、どこまで出来るのか、本当に復活(完全)出来るのか? 本気でヤルのか、情熱を注げるのか、そして過去を超えられるのか? 質問と疑問に対して、正々堂々と、決して逃げずに、答えを出してみよう。 こういう人生を、こういう生き方を、思い切り楽しんでみよう。 KAZUさんよ、タイトルに負けるなよ!

2013年11月

冷静さを奪うもの(STAR・24)

たとえ彼女が有名人でなかったとしても・・・・・

たしかに、たしかに原因はある。しかしそれは、たしかな原因ではない。
そういうものが人生には意外にいっぱいあるし、そういうものが人生には
想像以上に少なかったりする。そしてそれは、そういうものの1つだろう。
みのり会商店街で自転車を押していたときに、足元から上がってきた冷たい
ものは、大昔に枯渇した深くて暗い井戸の底のような悲しさと淋しさだった。

商店街にある街頭スピーカーから流れたBGMは、サイモンとガーファンクル
の代表曲の1つである「明日に架ける橋」。地上3メートルに設置してある安物
のスピーカーから、高野豆腐のように悲しみをたっぷりと浸み込ませてから、
地上に向かってしんしんと降り注いでいた。繊細な北国の粉雪みたいに。

薄暗くて肌寒い夕刻の下町商店街で耳にするには、少なくてもボクにとっては
あまりにも悲しかったが、それでもそこまでは何とか堪えて踏みとどまっていた。
本当なら、甘やかされた子どものように無邪気に泣きたかったが、飛び込み台
のプールのように目尻のしわが深くなった53歳では、そういう訳にはいかない。

きっとBGMが変われば、マイナーコードが変われば、おでんを紀文に変えれば
ボクの気分は変わるだろうと思っていたが、その考え方はペコちゃんのケーキ
のように、過去の怠惰を宝くじで清算しようと考えるように、あまりにも甘すぎた。
耳掃除で取れる耳垢くらいは期待していた次曲は、世界にひとつだけの孤独を
心ゆくまでたっぷりと体感させてくれる名曲、「ミスターロンリー」だった。

どうしてこんなに悲しくて切なくなってしまうBGMを、さら〜と流しているのか。
いったい誰のために、いったい何のために、どういう効果があると言うのか。
そもそも商店街の腹のうちは、地元で沢山の買い物をしてもらうことだし、
そのためには買物客の気分を高揚させる、リラックスの心理効果を担う
街頭BGMであるはずだ。たとえば、パチンコ屋さんの軍艦マーチのように。

とどのつまりは買物客を楽しくさせて、うきうきさせて安心させて、唐揚げを
もう一品、焼鳥を塩で5本、リンゴひとやま300円、一年中特売セール中の
流行遅れのブラウス等を買物客に買わせたい、買ってもらいたいのだ。

それなのに、それだったら、どうしてあの、「ミスターロンリー」なのだろうか。
ジェットストリーム(FM東京)のオープニングと城達也の重厚なナレーション
青春映画「グローイング・アップ」の失恋シーンで流れる”ミスターロンリー”。

とてもじゃないけど、商店街をぶらぶら歩きながら焼き芋とアボガドを買いたく
なる気分ではない。ゾンビの身体のように冷めたくなった河川敷のコンクリート
ブロックに一人ぼっちでベタッと座り込んで、吹き行く風に微かに波打つ川面を
太宰治のように、ただ静かに眺めていたい。頭の上から「ミスターロンリー」が
しんしんと降り注いできたら、ボクだったらそう思う。そしてそれはボクだけでは
ないはず。そのことを実際に年老いたフクロウのような目で確かめようと思った。
映画館で泣いているときに、ふと我に返って周りの状況を確認したくなるように。

「いらっしゃい!いらっしゃい!」と八百屋さんの威勢のいい掛け声が響き渡る。
森進一と北島三郎を足して2で割って、少し濡らして少し乾かしたダミーなダミ声。
「もぉ〜う、何やってんのよ、早くしなさいよ!」子どもを叱るお母さんの金切声を
休憩なしで15分以上聞かされたら、ボクはひとりで無人島へ旅立ってしまう。
「コロッケ4つとハムカツを2つね!・・・ハイよぉ〜!」 「煮込み200グラムね!」
手に取って林檎を見比べる主婦、走り回る子ども達、きょろきょろするオバサン。
そこは、淋しさも悲しさもまったく関係のない場所だった。「ミスターロンリー」の
ことなんか誰も気にしていない。 というか、だれ一人として聞いていなかった。

自分だけのズレを考える。ときどき、自分だけがズレていると感じるのだ。
大空をわたる安定した集団飛行の群れから、一羽だけ外れて行くの鳩のように。
寂しさには理由があるけれど、そこには理由はない。「ミスターロンリー」のように。

あのとき、あの場所で、ボクは、「ミスターロンリー」のBGMを想いだした。
その場所は、複合型多目的ショッピングセンターの1階のオープンカフェだった。
アリオ亀有の銀色のぴかぴかに輝く丸いテーブルのこちら側にボクは座っていた。
あちら側には、つまりボクの正面には女性が座っていた。もし街ですれ違ったら
コンタクトレンズをしていたら、お金が落ちていないかの視線が下でなかったら、
絶対に振り返ってしまうほどの美貌だ。たとえ彼女が有名人でなかったとしても。

このブログを読み続けている希少な読者にとっては、”おいおい何だよ!話しが
本筋から外れて地球を七周半してから、今頃になってそこに戻ってくるかよ!”
という都議会議員のような不満を言いたくなるだろう。そのツッコミは当然だ。
そして更に核心的な意見を申し出るなら、いやもっと直接的に言うなら、青大将
のように唾を飛ばしながら、雪ん子のように顔を赤くしながら必ずこう言うだろう。

あなた(ボク)がこのブログで書いている目的とは何だろうか。ここに何を書きたい
というのか?読者である自分が、何故こんなブログを読んで人生の貴重な時間を
潰さなくてはいけないのか。それはそうと、あなたの前に座って二人だけで30分
以上も話している有名人は、誰でも知っている女優さんとは、いったい誰なのか?
そしてその美しい女優さんとは単なる暇つぶしの世間話だけか、あるいは他に
何かしらの進展などないと思うが、ないと思いたいが、まさかあると言うのか?

なかでも、上記の最後の3行の問いがもっとも致命的である。
というのは、その問いに対して、ボクは次のように答えるしかすべがないのだ。
”冷静さを奪うもの”を最終回までお読みになれば、おのずから分かることです、と。

常に沈着冷静でいられる方法は、
「思いもよらない事が必ず起こるぞ」ということを、覚悟していることです。
「準備というのは、必ず不完全なものなり」と思っていることです。
西堀栄三郎(登山家・化学者・第一次南極越冬隊隊長、1903〜1989)

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冷静さを奪うもの(STAR・23)

横歩きしか出来ないカニに自慢しているように

四番打者の打ったボールが高い放物線を描いて外野フェンスを超えていった。
起死回生の逆転ホームランに、うわぁ〜という下から突き上げる地響きのような
大歓声が沸き起こって、ガイラ(サンダ対ガイラ)のような大巨人が球場全体を
持ち上げて、楽天市場で購入したブルワーカー(筋トレ)で鍛えた上腕二頭筋を
使ったベアハッグ(プロレス技)で、ぐわんぐわんと激しく揺さぶった。
一方に歓喜があり、もう一方には落胆があった。

コインに表裏があるように、野球というスポーツには表と裏(攻撃・守り)がある。
その勝負による結果として、NHKの紅白歌合戦のように勝ちと負けがハッキリと
明確に分かれる。勝者を輝かせるのは敗者であるが、それと同時に敗者を奮い
立たせて強くさせて、そのうえ更に輝かせるのは、もちろん勝者の存在である。
このように勝者と敗者に眩しいスポットライトを当てているのが、真剣勝負という
ステージであり、消費電力の大きい照明機材と地味な着衣の照明担当者である。

何だって表があれば裏がある。オ・モ・テ・ナ・シだって、表ナシではなく表裏がアル。
東京都知事の選挙活動だって裏がある。キャバクラ嬢の名刺だって、裏には
手書きのメッセージがハートマーク付の丸文字でカラフルに書き込まれている。
男性諸君よ!飲んだら乗るな、名刺の裏を返すな、名刺を自宅に持ち帰るな!

次郎系のようにしつこいけれど、何だって表があれば裏が必ずある。喜びの裏に
悲しみがあり、悲しみの裏には喜びがあり、ストーンズには”悲しみのアンジー”
がある。もしそれ(裏)が見えなかくても、それは影のように貴方自身にぴたっと
寄り添っていて、あるいは優秀なカメレオンのように保護色を使って隠れているか、
スキルの高い手品師によって巧妙に隠されている。そしていつの日か、どこかで
の出番をお地蔵さんのように息を殺してじぃ〜と待っている、とボクは思っていた。

ところがそうではなかった。半世紀プラス3年間を生きてきて、ただ悲しいだけ
ただ寂しいだけ、の片面(裏)しかないものを、ボクは生まれて初めて知った。
それは三日前のことだった。職場に近いところに、みのり会商店街という夕刻に
沢山の買物客と買物をしない人、単なる通りすがりの人等で賑わう場所がある。

午後4時30分だった。どんよりと薄暗くて、身体を引き締めるように肌寒い夕暮れ
だった。ぺらぺらのスーツだけでは寒すぎると思ったが、そんなことは自宅を出る
まえに考えるべきだった。本当に寒かったけれど後悔するのは止めようと思った。
前向きに考えようと思って、前向きにしっかりと前を向いて歩こうと思って、ボクが
その通りにしたのは当然だった。大勢の人がいる夕刻の商店街で、前をよく見て
歩くことは、歩き煙草の批判と同じように、改めて言うまでもないことだった。

前かごの変形している自転車を押しながらボクは前向きにゆっくりと歩いていた。
横歩きしか出来ないカニに自慢しているように、誇らしげにボクは歩いていた。
しかしよく考えてみたら、カニの横歩きは素晴らしかった。反復横跳びを競ったら
カニには勝てっこないし、牽制球を投げられたランナーの帰塁だったら、福本豊
より素早いだろう。一円を笑うものは一円で泣くように、蟹を笑うものは蟹で泣く。
そう言えば、ボクは7月生まれの蟹座だった。渋柿を噛んでいるような苦味を口に
感じながら、自己嫌悪を振り払いながら、ボクは商店街をだらだらと歩いていた。

ダイソーで105円で買った濃紺の買物袋に不動産チラシが500枚位が、自転車
の前かごの中に入っていたが、それ以外には防犯用の黒いゴムネットが、まるで
腹黒い蜘蛛の巣のように籠(かご)の底に規格内の根性を出して、べたっと貼り
ついていた。その曲がった前籠とハンドルの間には長さが30cm位の傘キャッチ
(傘立器具)が、アフリカ大陸のクロサイの角のように斜め上(約65度)を向いて
意味もなく威嚇していた。あるいは、威嚇しているつもりだった。

一番混み合う夕刻の一番混み合う場所はスーパー、八百屋さん、向かいのパン屋
さん、お肉屋さんの辺りである。お子さん、ご年配の方、きょろきょろしている人たち
にぶつからないように、単なる通りすがりのボクは、小心者の綱渡りのように慎重に
カタツムリの引っ越しのようにゆっくりと、籠の曲がっているアシストなしの自転車を
のっそりと押していた。ちょうどその時だった。ヒラキ通販で買った安価な靴底から、
まるで万有引力をあざ笑うかのように、下から上に向かって何かが昇ってきた。
それは・・・・・・・・。


ぎ去ったことをいつまでも思いわずらっていてはなりません。
問題点を明らかにするために用いたら、
過去は過去として、後においていきなさい。

今という時点では、今、あなたがしていること以外、
何も、大切ではありません。
この瞬間から、あなたは全く別の人間になれます。
それは愛と理解に充たされ、あらゆる考えや行動に対し、
両手を広げて、意気揚々と、前向きに取り組む人間です。
アイリーン・キャディ
(北スコットランドの「聖なる楽園」フィンドホーン共同体の創設者の一人)


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冷静さを奪うもの(STAR・22)

過ぎ去った歳月が高性能な液晶画面を狂わしたのだろう

くにちゃんとの楽しい会話に、もう1つの特筆すべき事実があった。
ボクに言ったこと。くにちゃんがボクに向かって、ボクだけに言ったコ・ト・バ。
あのとき彼女は、熱い真剣な眼差しだったと友人のMくんが力説する。
「麹町にOOプロ(くにちゃんの事務所)があるから、こんど遊びに来てよぉ〜」

これがどういう意味だったのか、30年以上経ったいまでも真実が分からない。
(そこに真実が、あるいは真実に類似した何かが存在したら、という意味だが)
「くにちゃんはお前を気に入ったんだよ。惚れたんじゃないか。お前のことばかり
見ていた」とMくんは言うのだが、ボクはそうは思わなかった、そうは感じなかった。

この手のことに関して特別に高感度のアンテナを持っていたボクが、女性からの
好意の兆候を少しも感知しないのは腑に落ちない。まるで歩のない将棋のように。
それにMくんの表現をボクは決して嫌いではないのだが、あまり評価していない。
もちろんMくんとは古い付き合い(14〜53歳)で、ナイスガイなのは間違いないが
それゆえ彼の個性というモノをボクはよく知っている。Mくんはヨイショ上手である。
そして彼の感度は、キャンドゥの時計のように、”正確さに欠ける”、ということだ。

「麹町にOOプロ(くにちゃんの事務所)があるから、こんど遊びに来てよぉ〜」
もし、ボクが本当に事務所に行ったとしたら、果たしてどうなっただろうか?
二人で飲みに行って、そのまま恋に落ちて結婚して彼女のマネージャーになる。
ボクの人生は大きく変わっていただろうか? いいや、そんなことあり得ない。

街の居酒屋で知り合った大学生が、天下のOOプロ事務所に突然遊びに行った
として、「くにちゃん、いますか?」と言ったところで忙しい彼女がそこにいる訳が
ないし、「あなたは誰ですか、うちのY田K子とどういう関係ですか?」と訊かれたら
事実を正直に話したら、彼女の事務所に対する立場は良くないのではと思うのだ。

もちろん大スターとボクの恋は、げつく(月曜9時)のように発展することなかった。
その後の彼女は、自身の名前の付いた冠番組、NHK大河、高感度8年連続1位
など、その活躍は推して知るべしで、日本芸能界の山頂に長〜く君臨していた。
しかし、ウキウキウォッチングにしろ、はなまるにしろ、始まりがあれば終わりが
必ずやって来るように、箱根駅伝の山の神様だって一度上ったら下りなければ
いけない。栄枯盛衰は世の習いの如く、バッシング報道に大病などの険しい谷
を下ってきて、彼女は現在のくにちゃんに至っている。

一方のボクは文系の大学を落第ギリギリで卒業して、バブルに向かう追い風に
どさくさに紛れて便乗し、その後に吸収合併される下流の上場企業に就職したが
監視と評価と転勤族のサラーリーマンに嫌気がさして(脱落して)、不動産の開業
に方向転換して行った。もちろん、石にかじりついてでも絶対にやり抜く覚悟だった。
それには差し迫った経済的問題があり、脱サラが簡単でないことがあり、捨てた
モノの大きさがあり、飢えた野良犬も食わない安っぽい自尊心さえ少しはあった。

このようなイロイロな不安をエネルギーに変えてボクはしゃかりきに働いた。
歩いては転び、転んでは歩くを繰り返しながら小さい山を登り、あるポイント
まで到達して山の空気に慣れて心拍数が100に近くなったら、それまでの
カチカチだった肩の力が、浮き輪の空気が抜けるようにすぅ〜と抜けてきた。

力んでいない、緩んでいない。あのときの、あの場所は、そういうところだった。
競争等の人生の大方の責務に帳尻を合わせた階段の踊り場に辿り着いて
出逢ったスポーツがランニングだ。それは今更ながら、生涯で初めて真剣に
取り組んだスポーツ競技。「そうか、そうだったのか」 ボクは今更ながら思った。

これがスポーツの魅力、素晴らしさ、醍醐味だと体感した。痛いくらいに痛感した。
身体がギュッと締まる、キムチがなくても”ご飯がススム”、セサミン・皇潤・青汁
を購入しない、88匹以上の羊は数えない、少女漫画のようにキラキラ星の瞳、
電車内で空席をキョロキョロと探さない、触れあう風と会話する、月に語りかける、
自分の中に可能性を発見する。このように何から何まで良いことばっかりだった。

それはそれで良かったのだが、ちょっとした後悔とか、羨望とか、嫉妬の気持ちが
無かったと言ったら嘘になる。学生時代に陸上やってたとか、あるいは10年前から
走っているとか、そういうランナーの走力とタイム(記録)が、真夏に煌(きら)めく
海面のようにきらきらと眩しくて、ブリキ玩具の所有者のように、とても羨ましかった。

青春の後姿を忘れてしまったボクが、青春の忘れ物にやっと気付いたときには、
50歳の大台まで、あと3年7か月しか残ってなかった。選択肢は1つしかなかった。
いろいろな気持ちを1つにして、やれるだけやってみようと思った。このようにして
出遅れた分を埋め合わせするために、限界まで追い込んでみようとした矢先に、
信じられないような転倒をしてしまった。それは、ただの転倒ではなかった。

青写真を描いていた階段から、ごろごろと下のほうまで転がり落ちる転倒だった。
精神的苦痛と肉体的な苦痛、過去の後悔と現在の苦痛、未来の不安に、ボクは
ボロボロに打ちのめされた。今まであったものがなくなり、出来たことが出来なく
なって、いままで当たり前だったことが、もはや当たり前ではなくなった。

しかしこの体験によってボクは気がつく。とても遅かったけど、ようやく気づく。
当たり前でなくなったことによって、当たり前の持っている意味に気ついた。
じつは当たり前でないことが特殊ではなく、それも当たり前の1つだと気がづいた。

少なくてもボクの人生には変えるべきものがある。変えるべきでないものがある。
変わりたかった。変えたくなかった。変わらなければいけない。変えてはいけない。
変えたいものの中で、変えられる可能性が少しでもあれば、それは変えるべきだ
と心から思ったから、そういうものを、それだけをボクは変えようと思った。

何がしたいのか、自分はどうありたいのか、これからの自分をどうしたいのか。
それはとてもシンプルなことだったし、道徳の教科書のように基本的なことだった。
自分に嘘をつかない。本質をみる。必要と不要を選択する。ハッキリすること。

まるでTPP交渉のように、守るべきものは守り、切り捨てるべきものは捨てる。
不要なものはバサッと捨ててしまう。そして新しい価値観を身体に取り込んでいく。
そのことを1つの縮図と例えれば今朝のボクの身体だった。まず水分を補給する。
そして河川敷を7キロ走る。大量の発汗、つまり身体の内側から水分が出ていく。
その補給としてバナナを1本と新しい水分を身体に入れていく。ふくろはぎの筋肉が
日々大きくなる。こうして身体は新しく変わり始める。変われるなら、変えるべきだ。

喪服のくにちゃんがぽろぽろと泣いた。「人生いろいろ」を唄いながら泣いていた。
くにちゃんの泣き顔を観ていたら、液晶の調子が突然おかしくなってきて、テレビ
の画面が歪んで滲(にじ)んで、焦点が合わずにぼんやりとして見えてきた。
それはきっと、過ぎ去った歳月が高性能な液晶画面を狂わしたのだろう。

たとえそれが30年であろうと、1日24時間であろうと、バナナのようにハッキリと
見た目が変色するものがあれば、ポールマッカートニーのように、ちっとも変わら
ないものもある。昭和から平成になって、平成生まれのHey!  Say! JUMP が登場
してくると、昭和のあれもこれもすべてが懐かしく、切なく心地よく、昭和の人間に
しっとりと浸透じてきた。平成25年11月21日木曜日、晩秋と初冬が交錯している。

まさしく、光陰矢のごとし。くにちゃんが変わったように、ボクも変わった。
そして、くにちゃんが、いつまでも変わらないように、ボクも変わらない。
「君といつまでも」のように、若大将の名曲が色褪せることはない。
本当の自分と、本当の目標は変わらない、いつまでも。

38歳の脱サラが無謀なんて、そんなことを誰が決めたのだろう?
加齢したら必ず劣化するなんて、そんなことを誰が決めたのだろう?
49歳の初サブスリーが無理なんて、そんなことを誰が決めたのだろう?
大スターと一般人の恋が難しいなんて、そんなことを誰が決めたのだろう?
大腿骨骨折したらマラソンは無謀なんて、そんなことを誰が決めたのだろう?
今から小説家を目指すのは遅すぎるなんて、そんなことを誰が決めたのだろう?
ほとんどの人の夢は夢のままで終わるなんて、そんなことを誰が決めたのだろう?

そんなことは誰も決めない、少なくても神様はそんなことを決めないはずだと思う。
そういうことを決めるのは、少なくても最初と最後は自分でありたいと、ボクは思う。

今の時代はね、しつこいほど、何がやりたいのか?
と自分に問い続けなければいけない時代なんだ。
「本当の自分」を知り、本当の自分に根差した
「本当の目標」を見つけて時代がいかに変化しようとも、
常に変わらない「自分らしさ」を持ち続けるという、
強固なアイデンティティーを確立しなければいけない時代なんだよ。

リチャード・H・モリタ(カウンセラー、オリソン・マーデン財団日本支部理事長1963〜)
『自分らしく成功する6つのレッスン─自分の中の天才を見つける技術』

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冷静さを奪うもの(STAR・21)

あたしは聞く耳持つよ!と言いながら、彼女は耳たぶを持った

窓の隙間から新しい風がさっ〜と吹き込んできたように、一瞬だった。
すっぽりと空いた前席にどかどかと入ってきた男女4人の一人は毎日のように
テレビに出演していた女性そのものだった。その距離はボクの正面から、たった
1メートル、わずか100cm 。手を前にちょっと出しただけで欧米式の握手ができる。
日本式の腕相撲、ゆび相撲、”にらめっこしましょう”だって出来る距離だった。

その座席の状況を客観的にみたら、まるで待ち合わせをしたように、あるいは、
合コンをしているように見えただろう。ボク達の男女4人(男2・女2)の前の席に、
突然入ってきた男女4人(男2・女2)、その内の一人は誰もが知っている有名人。

そのひとは、その辺でぶらぶらして掃いて捨てるような芸能人ではなかった。
ボク(大学生)と同年でありながら、飛ぶ鳥を落とす勢いで芸能界を駆け上がって
きた芸能人だった。当時はバスガイドネタでブレイクして”笑っている場合ですよ”
など多数のテレビ番組、CMに出演していた。そう〜あの、くにちゃん(Y田K子)。
(くにちゃん、これってバレバレだけど良いよね?30年以上前のことだし・・・・・)

くにちゃんは、ぴっかぴっかの赤青ツートンのスタジアムジャンパーを着ていた。
(当時はスタジャンが流行だった。新宿丸井にスタジャンコーナーがあった)
向こう側から、思わず目に飛び込んでくるキラキラした色鮮やかなジャンパー、
新しい消防車のように赤くて、新しい出来立てのエーゲ海のような青さだ。
こんなにお洒落で素敵なスタジャンを見たのは、ボクは生まれて初めてだった。

新小岩の西友、長崎屋、駅前の商店街に、そんなハイカラな洋服は売ってない。
おそらくは、New York、London、Paris、まで行かないと買えない代物だろう。
(もちろんボクは行ったことがない。新小岩のスナック、ニューヨークは別として)
要するに派手なスタジアムジャンパーだった。しかし、その派手なスタジャンが
大スターくにちゃんに馴染んでいたし、とてもよく似合っていた。こうして目の前
に座ったくにちゃんを目の当たりにして、ボク達は言葉を失うほどに驚いた。

ただし、少なくてもボクについて言えば、有名人を見たのは初めてではなかった。
椿ハウスでアンルイスが踊っていたし、六本木で三浦友和が撮影していたし
ディスコ前ではサブローシローが若い女性と寄り添っていたし、山本コータローは
赤坂の坂道を歩いていた。元旦に日枝神社の階段をゆったりと降りてきたのは、
ジャイアント馬場だった。その容姿はジャンボマックス(ドリフの全員集合)のように
信じられないほどに大きくて、下から見上げた小学生のボクは普通に小さかった。
女性を誘って原宿の地下喫茶店に入ったときには、そこに横浜銀蠅と島大輔と
代々木九園で踊っているようなローラーの女の子達がキャ〜キャ〜と大騒ぎして
いたこともあった。

ただし、それまでの有名人は、ボクが見ただけであり、見かけただけだった。
たまたま街中で遭遇して、ほんの数秒間だけ視界に入ったことが確認できた、
という客観的な事実だけだ。そこには人と人の会話もなければ、中村雅俊の
唄う”ふれあい”などの要因はなく、ただブラウン管を通さずに肉眼で見たと
いう結果、あるいは、わら半紙のような”ぺらぺらの記憶”だけだった。

ところが今回の有名人との遭遇は、カレーライスとハヤシライスが違うように、
”うらめしや”と”裏はメシ屋”が異なるようにそれまでとは決定的に違っていた。
通りすがりではないし撮影中でもない。まったくのプライベートの時空間だった。
同じテーブルの正面にどすんと座って、他に割って入って邪魔する人もいない。
ただ普通に座って正面を向いて、普通に目を開けて、水泳用の耳栓さえしな
ければ、くにちゃんと視線が合うし、くにちゃんの声が聴けるし、自分の手を
伸ばしたら、本物のくにちゃんと握手ができた。

このように限定された間近な空間で有名人と対峙すると、意外な感情が沸き
起こってきた。それは羞恥心という大きな樹木の小枝のようなものだった。
相手側(くにちゃん)からボクを見ていること、ボクが見られていることに、何か
しらの気恥ずかしさを発生させた。こんな気持ちは、もちろん初めてだった。

むずむずしてきて、小っ恥ずかしかった。しかし考えたら当たり前のことだった。
いままでテレビでボクが観ていた大スターから、今度は反対にボクが見られて
いる。いつもの完全な一方通行を白のマーチで走っていたら、来るはずのない
向こう側から赤青ツートンのポルシェが猛烈に走ってきて、ボクの前で急停車
してから、大スターが車から降りてきたのだから、僕等の戸惑いは当然だった。

しかしそんな戸惑いは、シャボン玉が飛んだように、ほんの一瞬で消え去った。
「ねぇ・・・・Y田K子だよ」とボク達が小声でひそひそと話したら、即座に反応した。
こちらを見ながら、くにちゃんはゼスチャー付きの大きな声で言った。
「えっ〜なに?あたしは聞く耳持つよ!」と言いながら右手で耳たぶを持った。
そのタイミングと言い、その惚(とぼ)けた表情と言い、まさに見事な一瞬芸だ。
それまでの緊張、それまでの戸惑いから、一瞬で爆笑の渦へ劇的に変わった。

それは楽しい時間だった。くにちゃんは気さくで話しやすくて、そして優しかった。
お刺身の船盛りをこちら側に押して「これぇ〜食べてよぉ〜」とご馳走してくれた。
ボクの持っていたドイツ語の教科書にサインをお願いしたら、そのサインの下に、
”このペンはインクが薄いので書きにくい”と説明を書いて、みんなを笑わせた。
お笑い、漫才(THE MANNZAI)の話などを、けっこう真剣に話し合ったりした。

誰が好きかと訊かれたので”昭和のいる・こいる”とボクが言ったら、”知らない”
とくにちゃんが首を振ったので「はいはいはいはい」「へいへいへいへいへい」
などと実演して説明した。このようしてボク達は、真面目に話したり、ふざけたり、
話さなかったり(お互いの連れ(仲間)と話す)、あっという間に1〜2時間が経過
して、くにちゃん(四人)は「じゅあねぇ〜」と言いながら先にお店を出て行った。
(まだ続く、くにちゃんネタ、ここからが・・・・・)

変わる時期は読めないから、予想も立てられない。
でも変化は突然やってくる。それが人間の複雑で面白い所なんだ。
三田紀房(漫画家、1958〜)漫画『ドラゴン桜』

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冷静さを奪うもの(STAR・20)

アンパンマンは甘いアンコを包み込むように、ただニヤッと微笑んだ

(すみません、間違えました。道玄坂じゃなくて渋谷センター街でした)

まるで工場見学のベルトコンベアーを見ているようだった。渋谷の夜は行き交う
人の流れが途切れることがない。渋谷駅という名の人間ポンプから排出された
色とりどりの生き物が、道玄坂、センター街、井の頭通り、公園通りなどに蜘蛛
の子を散らすように四方八方に散っては消えて行った。上空の雨雲のマスプロ
アンテナのセクシーな神様(ヒョウ柄を着衣)がこの様子をじっと眺めていたら、
”ひとが多すぎちゃってェ〜困ァるのォ〜”、と悩ましく唄っただろう。

どうしてこんなに人が多いのか。いったいどこからやってくるのだろうか。
そういうボクは、下高井戸駅(京王線)から新宿駅(国鉄線)で乗り換えて
乗り越し精算してまで、わざわざやって来た。いったい何しにきたのか?
もちろん、それは未知との遭遇を求めてのことだ。新しい、シ・ゲ・キ。
闘いを求める剣豪の如く、おのれの身体ひとつでの路上勝負だった。

渋谷駅から歩いて行くとセンター街の右手に、”カチン・カチン・カチン”という
踏切の警報音が鳴っていて、そこに赤と青の電気がチカチカと点滅していた。
ここが居酒屋、酔い所(よいしょ)の外看板で階段を降りた地下1階がお店だ。

さきほど声を掛けた女性二人(女子大生風)を連れて、ボクたち4人が階段を
降りて行くと、その店内はスポットライトを浴びているような明るさだった。
ちょっと明る過ぎる。ここは地下の居酒屋だけど決して怪しい所ではありません
と正当化しているような照明だった。そして、思いのほか店内は広々としていた。
段差を結んだ2つのスペースが”ひょうたん”のように連なっていて、ダンス教室
の初級者クラス・中級車クラスが同時に練習できるくらいの広さだった。

ここの経営者の趣向なのか、お店のコンセプトだろうか、店内には駅の鉄道に
関連する看板などが、ところ狭しと無造作に、べたべたに貼り付けてある。
宗谷、福岡、宮崎、宇都宮、石川、熱海、鶯谷、その他にボクの知らない駅名
が嫌になるほど沢山あった。そこにはプロ野球の公式ボールのような統一的な
ものは存在していない。そればかりか、期限切れの定期券がうんざりするほど
壁いっぱいに貼り付けてあった。お正月の神社の絵馬が重なり合うように。
「新小岩〜下高井戸、S56.4.1〜9.30迄、佐藤馬鹿哉(21歳) 金54,110円」
どうやら、お客さんが好き勝手に自由に貼っているようだった。

”そうか、なるほど、そういうことか”、ボクは、お店の意図するところが分かった。
東京の大都市、渋谷でお酒を飲んでいるのは都会人だけではなく地方出身者が
沢山いる。現住所だって壁の定期券の通り、遠距離通勤、遠距離通学をしている
ひとがいっぱいいる。そういう人たちが都会の灯り求めて、寂しい心にお酒を浸して
”本当は田舎者なんだ、こう見えても実は孤独なんだ、何だ、俺たち一緒じゃないか
寂しいのは君だけじゃないいんだよ”、こういう価値観を共有したり、慰め合うために
この店にやってくるのだろう。そのように、お客さんと店員さんの顔に描いてあった。

そこは大勢の男女でごった返して、がやがや、がちゃがちゃと騒々しかった。
ありとあらゆる種類の全体的に30%増量された男女の声が店内の隅々まで
無軌道に飛び交って人や壁などにぶつかり、まるでピンボールゲームのように
ビンビン〜ガンガン〜ダンダン、あっちこっちに跳ね返っていた。

20代後半くらいのアゴの長い店員さんが、苦い薬を口に入れたような顔をして
「すみません。ご覧のとおり混んでいまして、こちらの大テーブルしか空いてない
んです」と言うので”まぁ〜仕方ないよねぇ”という感じでボク達はそこへ向かった。

そこは10〜12人くらいは座れる楕円形の木製のでかいテーブルだった。
ボク達はその空いている椅子に、女・女・自分・Mくんという順番に縦に一列
に連なって座った。と言うより、なかば強引な店員さんの誘導で座らされた。
まぁ仕方ない。お店側はお客さんをまず座らせて、飲ませて気持ちよくさせて
気持ちよくお金を出させるのが商売だし、こっちはこっちで、彼女たちの気が
変わらないうちにタイミングよく入店することがボク達の魂胆なのだから。

もちろん、ここは相席だった。向かい側には安っぽいスーツを着たサラリーマン
風の三人が(たぶん30代)ラガービール、ホッピーを飲んでいた。三人そろって
同じようなネズミ色のスーツだった。ひとりはキツネを連想させる吊り上った目。
ひとりはアンパンマンみたいにポッチャリとして、もうひとりは、肝臓の良くない
トカゲみたいだった。ときどき、キツネ目のサラリーマンと視線がぶつかった。

キツネ目の瞳は、ゆで太郎の冷やしきつね蕎麦のように、冷たくてさっぱりと
していた。”お前たち、そんなことして楽しんでいられるのは今のうちだけだぞ”
キツネ目はそう語っていた。キンキンに冷えたラガービールのような視線で
”あんたみたいなサラリーマンだけは、なりたくないんだ”とボクは瞳で返した。
すると今度はトカゲが、”君たちも、いずれ分かることだから”と視線を送ると、
となりのアンパンマンは甘いアンコを包み込むように、ただニヤッと微笑んだ。

”これはダメだぁ〜”とボクは思った。2つ目の壁を突破するには条件が良くない。
未知との遭遇をノンフィクションに変更するには大きな3つの壁が越えなければ
いけない。まず最初の壁はもっとも厳しくて10%、つまり最初のトライの90%は
”ごめんなさい”でゲームオーバー。そして次の第2の壁を突破できるのが50%。
ここでは、お互いの腹の探り合いと同時に、会話が盛り上がるか否かによって
全てが決まる。会話が弾まなければ次はないから、ここでの酒代(さけだい)は
無駄銭(おごり)になる。そして第2を超えて第3までくると・・・・今回は省略しよう。

とにかく最初に入ったお店が騒々しくて、さらに輪をかけて会話しにくい席なので
ボク達のテンションは、負け試合の敗戦処理に登板したピッチャーの気分だった。
ところがこのあとに、ヒッチコックにも想像できない大どんでん返しが待っていた。
まず向かい側に座っていた三匹のサラリーマンが、お会計をして出て行った。
相席の若者4人が大声で話しているのが嫌になってお店を変えるかもしれない。

彼らは帰宅するのだ。もしくは帰宅しないのだ。いや、やはり帰宅せずにもう一軒
どこかへ行くのだ。締めのラーメンかもしれない。ゲームセンターに立ち寄って
インベーダーゲームで500円使うかもしれない。あるいは、帰りの山手線の網棚
に捨ててあった東京スポーツを読んでいるうちにムラムラしてきて、目黒駅で途中
下車してから、指名料込5000円のお店で濃密な40分間を楽しむのかもしれない。

まぁ〜どちらにしても関係ないことだった。つまり、見ず知らずのサラリーマンが
まっすぐ帰ろうが、くねくね曲がって帰ろうが、ハシゴしようが、どこかでズボンを
下ろそうが、そんなことは、その時のボク達には、どうでもいいことだった。
ただ1つの歓迎すべき事実は、相席の向かい側の席が空席になったことだった。

ところが、それからものの5分と経たないうちに、空席はすべてキレイに埋まった。
新しく入って相席になったひとは、ボク達と同じように男女4人組(女2・男2)だった。
ただしボク達と決定的に違うことは相席4人の中にひとりの大スターがいたことだ。

それはびっくりした。あまりに驚いてボクは口をぽか〜んと開けていた。
最初の壁を超えたけれど、2つ目の壁で苦しんで敗戦の覚悟をしようとしていた
その矢先に突然パアーッと世界が開けたのだ。
いや、世界が大きく変わろうとしていた・・・・・。

壁はいくつもあるけれど、同じ曲を何十回、何百回と弾き続ける中で、
突然パアーッと青空が開けたような瞬間が来る。
その時、自分の力が一段と飛躍した感覚になって、
面白くてたまらなくなりますよね。
諏訪内晶子(ヴァイオリン奏者、1972〜)

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