KAZUの完全復活を目指して

平成23年1月1日元旦の午前1時 年越しJOGの途中で転倒して大怪我をした。 大腿部と手首の骨折〜救急車の搬送〜2回の入院と手術を経て2月9日に退院。 そして退院後のリハビリ通院は79回をもって、平成23年6月29日に終了した。 さぁこれから、ここから、どこまで出来るのか、本当に復活(完全)出来るのか? 本気でヤルのか、情熱を注げるのか、そして過去を超えられるのか? 質問と疑問に対して、正々堂々と、決して逃げずに、答えを出してみよう。 こういう人生を、こういう生き方を、思い切り楽しんでみよう。 KAZUさんよ、タイトルに負けるなよ!

2014年10月

10 days(30)

10月01日(水)  ストレッチ&筋トレ・こんな10月を迎えるとは予想外
10月02日(木)  ストレッチ&筋トレ・考えないのが良いのか悪いのか
10月03日(金)  パンチに体重が乗っている自覚はある、ボクシング
10月04日(土)  2キロジョグ15分・朝、突然走ろうと思った、走れるよ
10月05日(日)  2キロジョグ15分・雨なのでトレミル、これでも楽しい!
10月06日(月)  REST・こんどは左脚がおかしい、ふっ〜困ったな
10月07日(火)  REST・右脚が良くなると左脚が悪くなる、トホホッ
10月08日(水)  REST・上半身に比べて下半身が弱い、仕方ない
10月09日(木)  走れなくても生活は充実している、足掛け4年だから
10月10日(金)  歩くだけで痛い時もあるし、痛くない時もあるのです

10月11日(土) 走ることは考えたくない、走れない時は考えたくない 
10月12日(日)  まだ普通の健康な脚ではないということ、自覚する
10月13日(月)  走ること以外に問題は見当たらない、おおむね順調
10月14日(火)  走るとまた痛くなるんじゃないか、という虎と馬がいる
10月15日(水)  イオン9800円のスーツ悪くない、こんど買おうかなぁ
10月16日(木)  このところ脚の状態は悪くない、とくに良くもないけど
10月17日(金) もちろんボクシング練習お休み、いまは自信が欲しい
10月18日(土) 違和感が消滅すると、なにをびびってんだと思うのだ 
10月19日(日)  アルイタ〜あるいた〜歩いた、まず三千メートル30分 
10月20日(月)  ストレッチ、筋トレ、明日からは少しだけ走ってみよう

10月21日(火)  3.5キロジョグ30分・問題なし、いや問題は頭のほうか
10月22日(水)  REST・二日続けて走らないようにしてみる、慎重に
10月23日(木)  3.5キロジョグ30分・ほどよく背中に汗をかく、GOOD
10月24日(金)  3.5キロジョグ30分・今はもう秋、今は欲張らないとき
10月25日(土)  3.5キロジョグ30分・もっと走りたいけど、慣らし走行
10月26日(日)  REST・調子に乗らないようにする、自戒を込める
10月27日(月)  3.5キロジョグ30分・気のせいか身体が締まってきた
10月28日(火)  REST・トム&ジェリー、S&G、メリ&ハリが大事!
10月29日(水)  3.5キロジョグ30分・CD聴きながら考え事しながら
10月30日(木)  3.5キロジョグ30分・FM放送聴きながら、懸垂20回
10月31日(金)  3.5キロジョグ30分・あれっ、いい感じじゃないの!

10/01〜10/10=ジョグ02日間04キロJog
10/11〜10/20=ジョグ00日間00キロJog
10/21〜10/31=ジョグ08日間28キロJog

感想/下の月別走行距離を見て、実に都合のいい仮説を考えた。
今年の5月中旬にハーフマラソンがあり、そこに僕が参加したら
たぶん1時間52分ぐらいで完走できたんじゃないか、と思うのだ。
そう考えてみたら、2015年がとっても待ち遠しくなるのである。

01月ジョグ22日間110キロ・Bike6日間182キロ
02月ジョグ20日間129キロ・Bike2日間054キロ
03月ジョグ26日間200キロJog
04月ジョグ26日間240キロJog
05月ジョグ24日間240キロJog
06月ジョグ06日間043キロJog
07月ジョグ10日間044キロJog
08月ジョグ10日間056キロJog
09月ジョグ10日間087キロJog
10月ジョグ08日間032キロJog

11月の目標/ゆっくりと10キロを走りタイ、そうしたら、めでタイ!

ほとんどの人生では、成功と失敗は投げ損ねた釣り糸のように絡み
合っている。失敗が成功を生み、やがてまた失敗し、再び成功する。
その繰り返しだ。人生を振り返ったとき、かつては見事な勝利と思えた
ものが色あせて見えることがある。逆に、その当時は何とも思っていな
かったものが、とても重要な出来事に感じられることもある。
成功が自己満足にすぎなかったり、失敗が原動力になったりしたことは
後になってからわかるものだ。
リチャード・ファーソン
(米国の心理学者、ウェスタン行動科学研究所設立者&元所長、1926〜)
『たくさん失敗した人ほどうまくいく』

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手話検定試験の3級に挑戦すること(6)

新しいことはすぐに忘れてしまうが、古いことは案外と覚えている。

JR西千葉駅の改札口を出たとき僕は確信した。この記憶は間違いない。
昭和35年から平成26年10月12日まで半世紀と4年、JR西千葉駅に降りた
のはこれが初めてだ。AM8時43分、改札口を出ると頬をかすめた風の中に
少しばかりの湿気を感じた。大型の台風19号が北上しているから、あるいは
単なる先入観だろうか。空を見上げたら偉大な太陽はサンサンと輝いていた。
”台風がくる?そんなもの俺様には関係ないぜ”とでも言っているように。

がらんとした小さなロータリーの左手にサブウェイ(サンドウイッチ店)がある。
条件付きではあるが帰りに立ち寄ろうと思った。この試験が上手くいったら....。

目の前の信号を渡ると千葉大学の南門があり、そのまま校内を進んでいった。
元気なのは小学生か中学生か、その両方か分からないが、親御さんと一緒の
子ども達がやたらと目についた。えっ〜近頃の子供達は手話検定を受けるの?
この育ちざかりが54歳のライバルになる?まるで収穫前のリンゴのように僕は
青くなったが、しかしそうではなかった。それは何かの学力テストらしく、その旨の
誘導看板が道標として貼り出してあった。子ども達より親御さんの方が緊張して
いるようだ。いや人様のことは言えなかった。自分の顔だって制作途中の鉄仮面
みたいに、不恰好に引き攣っていたのだから。

僕は受験票のハガキの地図を何回も見ながら、地図の方向に身体の向きを何回
も変えながら、紅葉の始まった樹木を何回も仰ぎながら、ようやく試験会場の校舎
に到着した。地上2センチほどフワフワと浮き足立ちながら、僕は教室に入った。

座席は3人用の長机と椅子3脚があり、その机の両端に受験番号は置いてあった。
真ん中の席は空いている。真ん中の椅子も空いている。僕は、空いている真ん中
の椅子にリュック鞄を置こうかと少し考えたが置かなかった。先に着席したからと
言って、真ん中の椅子に鞄をどかっと置いてしまったら、後から端席に座った人が
愉快な気分にはならないと思った。だから、リュック鞄は自分の椅子に背負わした。
あらためて教室を見回してみると、鞄を真ん中の椅子に置いている人が70%くらい
足元に置いている人が30%くらいだった。間もなく座席の端に40代の女性が僕に
優しく会釈しながら座った。口角を少し上げた完璧な会釈だ。きっと彼女の手話は
表情が上手なんだろうと思った。ところが彼女は、今度は素敵な会釈も言葉もない
まま、おもむろに真ん中の椅子にベージュのショルダーバッグを勢いよく落とした。
”これは私の椅子だから”という空気が僕の左半身を押し込んだ。へ〜そうきたか
と思った。でも僕は気持ちを切り替えた。今は試験のことだけを考えようと思った。

常に沈着冷静でいられる方法は、
「思いもよらない事が必ず起こるぞ」ということを、覚悟していることです。
「準備というのは、必ず不完全なものなり」と思っていることです。
西堀栄三郎(登山家・化学者・第一次南極越冬隊隊長、1903〜1989)

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10 days(29)

10月01日(水)  ストレッチ&筋トレ・こんな10月を迎えるとは予想外
10月02日(木)  ストレッチ&筋トレ・考えないのが良いのか悪いのか
10月03日(金)  パンチに体重が乗っている自覚はある、ボクシング
10月04日(土)  2キロジョグ15分・朝、突然走ろうと思った、走れるよ
10月05日(日)  2キロジョグ15分・雨なのでトレミル、これでも楽しい!
10月06日(月)  REST・こんどは左脚がおかしい、ふっ〜困ったな
10月07日(火)  REST・右脚が良くなると左脚が悪くなる、トホホッ
10月08日(水)  REST・上半身に比べて下半身が弱い、仕方ない
10月09日(木)  走れなくても生活は充実している、足掛け4年だから
10月10日(金)  歩くだけで痛い時もあるし、痛くない時もあるのです

10月11日(土) 走ることは考えたくない、走れない時は考えたくない 
10月12日(日)  まだ普通の健康な脚ではないということ、自覚する
10月13日(月)  走ること以外に問題は見当たらない、おおむね順調
10月14日(火)  走るとまた痛くなるんじゃないか、という虎と馬がいる
10月15日(水)  イオン9800円のスーツ悪くない、こんど買おうかなぁ
10月16日(木)  このところ脚の状態は悪くない、とくに良くもないけど
10月17日(金) もちろんボクシング練習お休み、いまは自信が欲しい
10月18日(土) 違和感が消滅すると、なにをびびってんだと思うのだ 
10月19日(日)  アルイタ〜あるいた〜歩いた、まず三千メートル30分 
10月20日(月)  ストレッチ、筋トレ、明日からは少しだけ走ってみよう

10/01〜10/10=ジョグ02日間4キロJog
10/11〜10/20=ジョグ00日間0キロJog

感想/恰好悪いし、情けないと思う。もちろん、自覚している。
だけどべつに諦めるつもりはないし、その必要もないと思っている。
自分の人生は自分で選択していく、そこは少しも揺るがない.......。

1月ジョグ22日間110キロ・Bike6日間182キロ
2月ジョグ20日間129キロ・Bike2日間054キロ
3月ジョグ26日間200キロJog
4月ジョグ26日間240キロJog
5月ジョグ24日間240キロJog
6月ジョグ06日間043キロJog
7月ジョグ10日間044キロJog
8月ジョグ10日間056キロJog
9月ジョグ10日間087キロJog

10月の目標/手賀沼はギブアップする、ごめんなさい。
鬼は大笑いするけど、自分としては来年こそは、と考えたいのです。

The youngest day of my life(今日は私の一番若い日)
朝起きたときそう思って起きてください。「今日は私の一番年を
とった日」と思って起きる方と「今日は私の一番若い日、今日
より若くなれないのだから若々しく生きよう」と三百六十五日
心がける方とでは、一年の終わりにお顔が違ってきます。
それは化粧品の問題ではありません。
心の問題、心の象(かたど)りとしての時間の過ごし方の問題です。
渡辺和子(ノートルダム清心学園理事長・シスター、1927〜)

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10 days(28)

10月01日(水)  ストレッチ&筋トレ・こんな10月を迎えるとは予想外
10月02日(木)  ストレッチ&筋トレ・考えないのが良いのか悪いのか
10月03日(金)  パンチに体重が乗っている自覚はある、ボクシング
10月04日(土)  2キロジョグ15分・朝、突然走ろうと思った、走れるよ
10月05日(日)  2キロジョグ15分・雨なのでトレミル、これでも楽しい!
10月06日(月)  REST・こんどは左脚がおかしい、ふっ〜困ったな
10月07日(火)  REST・右脚が良くなると左脚が悪くなる、トホホッ
10月08日(水)  REST・上半身に比べて下半身が弱い、仕方ない
10月09日(木)  走れなくても生活は充実している、足掛け4年だから
10月10日(金)  歩くだけで痛い時があるし、痛くない時もあるのです

10/01〜10/10=ジョグ02日間4キロJog

感想/明日と言う日は明るい日と書くのね!

1月ジョグ22日間110キロ・Bike6日間182キロ
2月ジョグ20日間129キロ・Bike2日間054キロ
3月ジョグ26日間200キロJog
4月ジョグ26日間240キロJog
5月ジョグ24日間240キロJog
6月ジョグ06日間043キロJog
7月ジョグ10日間044キロJog
8月ジョグ10日間056キロJog
9月ジョグ10日間087キロJog

10月の目標/いっそのこと上手くいかないことを前提にしてみたら
結果的には意外と上手く行くこともあるかもしれない、と考えてみる。

壁にとじこめられて、ニッチもサッチもいかない、
悩めば悩むほど行き詰まってしまう、絶望の季節もある。
そういうとき、どうするか。焦らない。
自分と向き合うチャンスだ、と思ってじっくり腰をすえて、
自分は本当に何がしたいのか、見極めることだね。
岡本太郎(芸術家、1911〜1996)『壁を破る言葉』


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手話検定試験の3級に挑戦すること(5)

改めて言うまでもないが、人の気持ちが分かることは素晴しいこと。
でもそれは、そんなに単純なことでも、そんなに簡単なことでもない。
例えば相手のことを考えているようでありながら、実は自分本位だったりする。
やはり大切なことは、”相手のことを分かろうとする気持ち”だと思う。


(他者への)想像力はみんな持っています。
でも、鍛えないと磨り減って鈍くなってしまいます。
瀬戸内寂聴(小説家・天台宗の尼僧、1922〜)講演会「若者への遺言」より

(2011.8.5 宮城県七ヶ浜ボランティアセンター)
男性はたぶん30代後半〜40代前半だろう。東銀座の花形歌舞伎役者のように
よく通る声だ。「ボランティアの皆さんにお願いが1つあります。ここでの写真は
撮らないで下さい!」 瞬間的にその場の空気をぎゅっと圧縮するような声色だ。
迷いがなく自信のある人間が自信たっぷりに語り掛けるときに魅せる、遠山の
金さんが片腕を出した(遠山桜)時のように寸分の隙もない威圧的な表情である。

そういう人間に対して僕はなにも反論ができないのだ。すぐに萎縮するのだ。
遠山桜を見せられる前に、”あ〜そうかい”と”べらんめい口調”に変わっただで
小心者の僕はびびってしまう。しかしだからと言って納得なんかしていなかった。
”えっなに、どうして?”という気持ちだった。何故なら、ここで目の当たりにした
現状を写真に撮ってブログに貼り付ける、東京で待っている家族に見せて一つ
ひとつ説明しようと僕は考えたのだ。そういうことはテレビニュースを見るより
より身近な人間が体感したこと、直接語るほうが説得力があると思ったのだ。
そのことに対して自分に何の疑いも感じていなかった。僕は正しいと思った。
しかしそれは、次の説明を聞くまでは、ということだったのだが....。

ボランティアセンターのリーダーの説明が続く。芯の強そうな厚みのある声だった。
「ご覧の通りここら辺りにあった家々は津波で流されました。長年住み続けた家が
流されたのです。そしてここに住んでいた沢山の方が亡くなりました。ここのガレキ
処理は重機だけでは出来ません。だから人手が必要なんです。だからボランティア
なんです。そのボランティアの方が写真を撮ることが、どういうことか分かりますか。
皆さんのご自宅が津波に流されて、ご家族を失くされて、そこにボランティアの方が
お手伝いに来てくれて、そのボランティアの方が思い出の自宅跡で写真を撮って
いる行為を、それを見た皆さんはどう思うのか、そこのところを考えてみて下さい」

ここは新小岩、荒川決壊により流された自宅の敷地跡で写真と撮っている人々。
その場面を僕は想像する。ボソボソと話す、その声を想像してみる。
”ここが玄関で、ここがリビングだったんだね、ここにアンパンマンの三輪車がある
から、これも写真に撮っておこう”。リーダーの云わんとしていることの意味について
僕はようやく(全部ではなく、その一部ではあるが)理解することができたのだ。

"put yourself in their shoes.「相手の靴に、自分の身をおいてみなさい」

ボランティアセンターに長渕剛の直筆メッセージの大きな横断幕が掲げてある。
あっそうか、彼は(長渕剛)ここに来たんだと思った。僕は帰りのバスに乗る前に
首に巻いたタオルで汗を拭きながら(ぼっ〜としながら)その横断幕をしばらくの
あいだ眺めていた。そこに書かれているメッセージを読んだ。とても読みずらい
くせのある字だった。疲れているときは、いや疲れていないときであったとしても
そういう字を読むことは気が進まないはずなのに、その時は無性に読みたかった。
その筆跡を眺めていた僕は、嬉しさと悲しさとがぐちゃぐちゃに交錯した不思議な
気持ちになっていた。

あのリーダーを思い出した。僕は横断幕を見ながらそのときの場面を想像する。
ここに長渕剛がいて、ボランティア帰りの僕に対して「ありがとう、お疲れさま」と
声を掛けたと仮定する。それはどんなに嬉しいだろうか、と思った。たった1日
だけのボランティア、自分は被災者ではないのに、僕は図々しい奴だと思った。

長渕の奥さんで元女優の志穂美悦子さんが宮城県七ヶ浜町(しちがはままち)
でボランティアとして約1週間、活動していたそうですね。それも普通に一般受付
での活動だったそうで本当に頭が下がります。マスクをしていたせいか?気付か
ない方も大勢いたそうです。悦子さんは避難所や災害センターでの雑用や物資
の移動、個人宅の泥だしなどテキパキと大活躍だったそうです。
http://70fc959470.seesaa.net/article/200731085.html


帰りのバスが出発してすぐに隣りの初老男性がぐぅ〜ぐぅ〜とイビキをかき始めた。
その不規則な音声を聴きながら僕は何だか微笑ましいような嬉しいような気持ち
になる。まだ高速道路にも乗ってないのに、かなり疲れているんだなと思った。
そう考えていた僕の意識は、すぐに底なし沼の中へどんどん沈んで行った。

"put yourself in their shoes.「相手の靴に、自分の身をおいてみなさい」

手話の勉強を始めようと考えたときに、そのボールを蹴ってみたくなったときに
僕の目の前にボールをパスしてくれたのは、これまでのいろいろな経験だった。
ただそのうちの1つは、きっとこのときの体験だと僕は確信している。

手話の勉強を始めたキッカケは、確か8年くらい前なんですけど
(グループ名)V6の握手会が行われたときに、ろうの女の子が
僕の前のきて手話で話しかけてくれたのですが、僕は手話が全く
分からなったので、そのとき何も答えることが出来ませんでした。
それがずぅ〜と気にかかっていて地域の手話講習会に通いました。
講習会を卒業したあと5年間のブランクがあるので、この番組を
担当するのにあたり、初心に帰って視聴者の皆さんと一緒に勉強
したいと思います
。(三宅健 NHK「みんなの手話」より)


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