KAZUの完全復活を目指して

平成23年1月1日元旦の午前1時 年越しJOGの途中で転倒して大怪我をした。 大腿部と手首の骨折〜救急車の搬送〜2回の入院と手術を経て2月9日に退院。 そして退院後のリハビリ通院は79回をもって、平成23年6月29日に終了した。 さぁこれから、ここから、どこまで出来るのか、本当に復活(完全)出来るのか? 本気でヤルのか、情熱を注げるのか、そして過去を超えられるのか? 質問と疑問に対して、正々堂々と、決して逃げずに、答えを出してみよう。 こういう人生を、こういう生き方を、思い切り楽しんでみよう。 KAZUさんよ、タイトルに負けるなよ!

2017年05月

総武線の車内にて㉑

2017.3.18(土)総武線各駅停車 千葉行き

ミルクを入れすぎたレモンティ、熱湯入れて10分後のカップラーメン
昼食3時〜夕飯6時、無口なカラス、豪華船旅での船酔い。手話初心者
有頂天株式会社 代表取締役の佐藤〇〇のように、中途半端な面々。

いちいち説明するまでもない。そんなことはいつものことだ。
ただ、そのときのわたしは、特に輪をかけて中途半端だった。

中途半端なわたしは、中途半端な手話を、中途半端に駆使していた。
もしろん、一生懸命ではあるけれど。


「わたしは次の新小岩駅で電車を降ります」と三人のろう者への手話
を続けた。「わたしの職場は新小岩です、これから仕事です」。三人は
まるでお孫さんの運動会を見守るような熱心さと不安が交錯した表情
だった。それでも、三人の目はとても優しくて、わたしに十分の安らぎ
を感じさせてくれるものだった。

真ん中のお婆さんの肩にかかる髪に、白いものが少なからず混じって
いた。飾り気のない、さっぱりとした気さくさを、その髪が体現している
ように見えた。

「晴れの日があれば雨の日もある。人生だって同じなのよ。そんなこと
いちいち気にしないで、ご飯をいっぱい食べなさい。はい、おかわり!」
と言って励ましてくれそうなお婆さんに見えた。わたしは亡き祖母を少し
想いだして、少しだけ胸がキュンとした。

電車の揺れに寄り添うように、その髪が少し揺れたとき、お婆さんの目
の奥がキラッと光った。そして、右手を元気よく、やさしくひらひらさせた
(手話=ねぇねぇ〜)。おやつを我慢していた子どもが、しびれを切らし
たときにする、なにかを訴えかける表情だった。

「ちょっと、ちょっと、わたしたちはねぇ〜栃木なのよ!」と手話。

「栃木から来たのですか?」とわたしは手話をした。とても軽やかに
三人は首を縦に振った。肩こりなんか無縁なのよ、と言うように。

「栃木は遠〜いですね。時間かかりましたね」わたしは左手首の時計
を指して(実際は時計はしていないし、いつもしていない)、時計の針
がぐるっと1回転するように手話をした。「大変でしたね」という労いの
表情を、わたしは意図的に浮かべた。

小林捕手が出すサインに肯く菅野投手のように、三人は、また首を縦
に振った。「そうそう、あんたの言う通りだよ」という顔だった。わたしの
出すサイン(手話)は間違っていなかったようだ。「栃木から..お疲れ様
でした」 わたしはサイン(手話)
を立て続けに出した。

「みなさんは、どこへ行くのですか?」

左端に座るお爺さんは、ほんの少しだけ目を細めた。机の引き出しの
奥にある付箋(ふせん)を探すときのように、何かを考えてながら探し
ている表情だった。そして、両手を前に出した。

「小岩へ行くんですよ!」(手話=小さい+岩)

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総武線の車内にて

2017.3.18(土)総武線各駅停車 千葉行き

 (こぶし)+(パッ) を数えてみたら全部で6個(3人×2)もあった。

三人同時の「おめでとう〜!」という手話だ。三人の手からクラッカー
が飛び出してきたように見えた。三人の笑顔は早春の風のように清々
しく、青空のように突き抜けていた。不純物を一切含まない微笑みだ。
愛媛のポンジュース天然果汁100%のように。

まるで自分のことのように三人は微笑んだ。。そんな顔をされたらもう
ぐしゃぐしゃに泣くのか、くしゃくしゃに笑うか、どちらかしかない。

だから皺だらけの顔で笑った。血流は目覚めた野鼠のように勢いよく
身体は10代のように軽くなり、頭の中は出来の悪いスイカのように、
スカスカに軽くなった。

「おめでとう」って...凄すぎる。こんなに素敵な表現って他にあるだろうか。
これが笑顔の力であり、手話の力だ。そんなこと、こんなこと、いろいろな
ことをわたしは考えた。ついさっきまで卒業式は面倒だと思ってたくせに。

中学を卒業して、そのまま同じ場所にある高校へ入る。いわゆる中高一貫
校だ。素行問題、あるいは、さらにレベルアップを目指すなど例外はあるに
せよ、ほとんどの生徒はエスカレーターに乗ったかのように、気付いたら
高校1年生になっているのだ。そこには、多少の感慨はあっても、涙なんか
は似合わない。

金八先生の卒業式ではない。集団就職して故郷を離れる「あ〜上野駅」
でもない。親の立場として、息子の卒業式にでるという記憶に刻む行為に
すぎない。実際に、そんな記憶が残っていたところで何の役にもたたない
のだが...。トイプードルにつけた純金首輪のように。

いわゆる世間体とか、見栄とか義務とか、そういう類だ。その義務は
加齢とともに年々増大していくように感じるのは、わたしだけだろうか。
それも加齢のせいか、それとも気のせいだろうか。

朝は起きなければいけない。食後はお茶碗を流し台へ運んで水を浸さな
ければいけない。仕事に行かなければいけない。溜め息をついたら反省
しなければいけない。借金は返さなければいけない。卒業式は出席しな
ければいけない。ゴミは分別しなければいけない。ラブレターを貰ったら
返事を出さなければいけないという義務については、ここ40年くらい心配
する状況は発生していないのだが。

むかしは太陽がいっぱい。いまは義務がいっぱい。ところがどうだろう。
そんなわたしに対して、三人は「おめでとう〜!」と祝福したのだ。こん
なにめでたいことはない、と言わんばかりの満面の微笑みを浮かべて。

三人の笑顔は、わたしの気持ちをく簡単にひっくり返した。お好み焼き
を反転させるくらいの微々たる力で。三人の「おめでとう」は、わたしを
嬉しくてたまらないという気持ちにさせてくれた。

これがもし、初対面の聴こえる人だったら、どんな反応だろう。同じように
「おめでとうございます」という言葉はあるかもしれない。ないかもしれない。

どちらにしろ、それはとってつけたおざなりの社交辞令だ。ただ言ったと
いうだけだ。あるいは、言わなければいけなかったからだ。冷めた目の
コンビニ店員が、冷めた目を合わさずに「ありがとうございます」と冷め
た声で言うように。

もし、嬉しくてたまらないという笑顔を浮かべるとしたら、それは仲の良い
恋人や友だち、親族、ごく親しい知人に限られる。こぼれるような微笑を
浮かべる笑顔の優等生は、選挙が近づいた地元の政治家だけなのだ。

わたしたち聴こえる人の多くは、こういうカラカラに乾燥した会話を常として
いる。その多くには表情はない。その会話には、しっとりとした潤いがない。
水分がないところには花は咲かない。水分のない生命体は存在しない。

わたしたちが感情(表情)を表現するのは、身近なひとに限られる。いや
そんなことを言ったら、家族だってろくに顔を見ない、目を見ないで、ただ
会話しているだけではないか。もちろん、わたしも例外ではないのだが。

ところが、手話は違うのだ。

聴こえるひとの多くにありがちな、言ってることと腹の中が違うことは
聴こえないひと(ろう者)にはない。だから、だから、手話は素晴らしい。

手話を学習して、ろう者と手話で話しをすると、裏表のない会話になる。
聴こえるひとが忘れてしまった、心を伝える会話が手話にはあるのだ。

わたしたちの会話は、いつのまにか屈折してしまった。そういうものに
慣れきってしまい、慣らされてしまい、私たちは大人になってしまった。
そのことに、ほとんどの人は気付いていない。もちろん、わたしの人生
のほとんどは、なにも気付かないで今日に至るわけだが。

手話に惹かれる。だから、手話を学んでいる。手話には表情
があり、表現があり、水分があり、潤いがあり、生命体がある


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総武線の車内にて

2017.3.18(土)総武線各駅停車 千葉行き

電車のガタガタする音、風を切る音、いびきの音、イヤホンから
こぼれ落ちる音楽、電子機器、誰かと誰かの会話、春風の囁き
車内アナウンスなど、それらのすべては、三人には聴こえない。

電車にひとが20人、いや200人いたとして、その人数は関係ない。
三人が話し(手話)のできるひとは、三人だけしかいない。
(わたしを含めた場合は4人)

もちろん、手話ができないからと言って、ろう者(聴こえないひと)
と話が出来ないわけではない。いくつかの選択肢からの中から
適切な方法を選び、実行すればコミュニケーションは可能である。

例えば紙に書く(筆談)、マスクを外しての身振り(ゼスチャア)、
口の形が分かり易いようにゆっくり話す、スマホや携帯の画面に
文字を打ち込んで、それをお互いに見せ合うことなど。

それがどのような状況であれ、何かをやろう思えば、何かしら
の方法や、何かしらの対処の仕方はあるはずだ。突然の大雨
のときに、雨宿りをしたり、骨の折れたビニール傘を拾ったり
シャワーだと開き直ったりするように。

どちらにしろ、そこには、多少の労力や工夫、時間が必要だ。
相手が外国人であれ、バリバリの津軽弁であれ、ろう者であれ。
おおむね聴こえる人のほうに、やろうという気持ちがあるとしたら。

しかし現実問題として、そのような事態が発生したとき、果たして
適切な身振り、筆談等ができるだろうか。緊急の時に、消火器や
AEDをちゃんと使いこなせるか、と同じように。知識、経験もなく。

わたしの場合は少しばかりの手話を覚えた。手話サークル、手話
講習会(ウェルピアかつしか)など、それなりではあるが学習を続
けてきた。果たして学んだことは役に立つのか?腕試し、手話試し。
わたしは実践で手話を使ってみたかった。
「ペンパイナッポーアッポーペン」を覚えた営業部長のように。

「いやいや、あんたの手話は上手だよ!」

手話のアマチュアは、車内の初対面のろう者三人から褒められた。
たまには、わたしだってやるのだ。掛け算(九九)一の段ができた
幼い子が、爺さんから「坊ちゃんはたいしたもんだ!」と頭をよしよし
と撫でられるように。

自慢ではないが昔はよく褒められた。昭和30年代は毎日のように。
40年代後半(10歳)から、徐々にその頻度は減少していく。平成に
なってから今日までの30年近くは平成不況さながらだ。人様から
文句こそ言われても、褒められることなど、まったくなくなった。

そんなわたしが、実に久し振りに人から褒められた。子どものよう
に恥ずかしく、子どものように嬉しかった。微笑みの目尻のまわり
(しわ)は子どものように新しくなく、青トマトのような新鮮な張りも
なかったが。

疲労と加齢を完全に隠すためには、縁日のひょっとこお面でも被ら
ないといけない。そんなわたしの顔を三人は温かい眼差しで、じっと
見ていた。住宅展示上で、戦隊ヒーローの登場を待っている子ども
みたいに、キラキラした目だった。三人はわたしの手話を待っていた。

そう、今度はわたしの番だ。野球にしろ、会話にしろ、基本はキャッチ
ボール。わたしはボールを受け取った。そのボールをふわっと浮かして
三人へ投げ返した。もちろん、速いボールは技術的に投げられないが。

「わたし、今日は中学生の息子の卒業式に行ってきました、わたしは」
最後に、人差し指を自分に向けた(わたしは)。ゆっくりと手話をした。

三人はほんの一瞬だけ、へぇ〜という驚いた顔になり、すぐ嬉しそうな顔
に変わった。両こぶしを前に突出し、上に向かって、こぶしをパッと開いた。

 (こぶし) + (パッ) を数えてみたら全部で6個(3人×2)もあった。

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総武線の車内にて

2017.3.18(土)総武線各駅停車 千葉行き

お婆さんは「うん、うん」と首を2度縦振った。
隣りのお婆さんは「うんうんうん」と続けて3度首を振った。

三人のろう者の目の中に、とろんと光るものが広がった。初対面
のひとと話したとき、故郷や学校が同じとか、納豆やプロレスや
巨人が好きなど、お互いに共通する何かが判明したときに、目の
前の壁が崩壊して、視界がさーと広がったときに浮かべる、親し
みと安らぎが穏やかに着地したときの、とろんとした眼差しだ。

この電車の中で、わたしだけは手話ができる。三人とわたしは
話し(意思疎通)ができる。もし、電車が緊急停止して、車内の
アナウンスが放送された場合にば、その内容をわたしは三人
に伝えることができる。

こういう状況は、さまざまな場面で想定される。例えば土砂災害
危険情報、津波の緊急避難情報など、聴こえないひとに情報が
届くか、届かないかは、人命に関わることでもあるのだ。

社会から、ろう者(聴覚障碍者)が孤立しないためには聴こえる
人たちの理解が必要だ。手話は、聴こえない人(ろう者)の世界
と聴こえる人(健聴者)の世界を繋ぐ。手話は分断された世界を
ひとつにする、共生社会という名前の重要な架け橋なのだ。

三人のろう者は、わたしを認めた。手話(会話)ができることが
分かったのだ。そのとき初めて三人の視界の中のモノ(無言)
からヒト(会話)へわたしは変化した。三人は、ろう者(聴こえ
ないひと)だけではなく、聴こえるひとと繋がった。

それまで、つまりわたしが話(手話べり)を始める前において
三人のろう者は、わたしが目の前にいることを認知していた。

三人は、わたしの視線を捉えていた。しかし、三人は1センチ
ばかり視線をすっと上げて、わたしの存在などは、どこかに
やってしまった。

視線を外すことは、ある意味においては当然であり、日常的で
あり、マナー(暗黙的常識)でもある。視線をいつまでも外さな
ければ、いらぬトラブルを誘引することもある。

ヒロシくん&トオルくん(ビーバップ・ハイスクール)は別としても
普通は知らない人と目があったら、だれだって視線を外すのだ。

また、たとえ知ってる人であっても、意図的に視線を外す場合も
少なからずある。話したくない、関わりたくない等の事情(理由)
かもしれない。または、素敵な人に対しての恥じらいの気持ちの
表現(かまとと?)かもしれない。わたしへの視線は、ある時期を
境にして、後者から前者へスムーズに切り替わったようだが...。

視線について言えば、聴こえない人と聴こえる人のあいだでは
様相は異なる。手話は、言葉(音声)で会話する訳ではないので
その分の視覚的情報の依存は当然強くなる。相手をしっかり見る
そこから情報を読み取ることは、ろう者にはとても重要である。

手話を使っているとき、それを見る社会の目はいろいろだ。例えば
ランチのあとに、わたしは決まってコーヒーを飲む。季節に限らず
ほとんどの場合は、ホットコーヒーのブラック。このときの決まり
ごとは、手話辞典を見ながら手を動かす(勉強)。このときに、わた
しを見るまわりの人たちの反応は2つある。

まずは、チラッと見てからサッと視線を外す。この見て見ぬふりが
大多数だ。ご飯にかけるフリカケ程度ではあるが、これには幾分
かの配慮が含まれるのだが。

多くの人は、聴こえないひとの手話をじっ〜と見ているのは失礼
だと思っている。特に、場所や席が近いほど、この傾向は顕著だ。

ところが遠い席の人は違う。遠くから息を潜めて、じ〜と見ている。
このように、日本人は隠れて、あるいは隠れながら、相手を観察
したり、こっそりこそこそと何かをやるのが大好きなのだ。

麗しき奥様のへそくりのように。これ対する麗しき旦那様の場合
は、想像力を具現化して潜在的欲望を満たすのだ。趣向を凝ら
した風俗業のように。隠れて、隠れながら、こっそり&こそこそ。

つぎは手話を使っているひとの近くで、手話をじっ〜と見ている
ひと。この場合は、さらに3タイプに分かれる。まずは遠慮を知ら
ない子ども。よく言えば、無邪気な子どもたち。

無邪気者は不思議そうに手話を見たり、憎たらしく笑ったりしなが
ら少しずつ距離を詰めてきて、接近戦を仕掛けてくるのだ。迂闊
にこの手の挑発に乗ると、ランチの勉強時間を無駄にすることに
なる。子どもは厳しくみてはいけないが、甘く見てもいけないのだ。

次に、遠慮を忘れてしまった高齢者。これは実体験である。わたし
の正面2メートルに座っていたお婆さん。ハゲタカのような鋭い目で
わたしをじっ〜と見ていた。その目には不可解さが浮かんでいた。

まるで初めて見た宇宙人のように。その状態が15分間続いたあと
お婆さんは、おもむろに椅子から立ち上がる。接近してきて、わた
しの前に仁王立ちする。テーブルの上の手話辞典を5秒間見下ろ
してから、一言だけ呟いて、そのまま無言で立ち去った。
「あ〜手話ね....」という言葉を、しばらく空中にふわふわと漂わした。

最後は、手話を勉強中など手話に携わっている人たち。ただ、その
携わりの人、手話のできるひとが、たまたま電車で乗りあわせていた
ろう者に、声を掛ける(手話)かどうかまでは、わたしには分からない。

ただ少なくても、その中の一人は声を掛けた。
それが、わたしだった。

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総武線の車内にて

2017.3.18(土)総武線各駅停車 千葉行き

手のひらを下にして、前に差し出して、わたしは
その手をひらひら(人を呼ぶように)させた。

手のひらひら(手話=ねぇ〜ねぇ〜)が視界に入った瞬間
三人の目が凍りついた。ダイヤモンドより硬い氷河の目だ。

空港の手荷物カウンターの職員のように、何かを検分する
何かを警戒する、それが危険物かどうかを見極めるようと
するプロフェッショナルの監視の目だ。

三人の目が凍りついたとき、世界は一斉に止まる。時間は
止まり、華厳の滝は止まり、皇居回りを走るランナー、新聞
の高速印刷機もピタッと止まった。

もちろん、わたしのノミの心臓も停止した。混乱を避けるため
だろう、電車だけは動いていたが、それは嘘だ。本当は動い
ていない。普通に動いているフリを、完璧に演じていたのだ。

このような状況下において、私の許された時間は僅かだった。
わたしの所得のように。その僅かな時間にわたしは懸けよう
と思った。ささやかな人生のすべてを。

「わたしは手話を勉強中です」と、わたしは手話を使った。
「わたしは手話講習会に通って3年です。先ほどから皆さん
(三人)の様子を見ていましたが手話が読みとれません
(分からない)」 温かく見守るような目で、三人はわたしを
見つめていた。父兄参観日の親御さんのように。

手話は、まだまだ下手です。ダメなんです、わたしは!」
わたしは手を動かし(手話)、顔には手話をするときに大切
な表情(もちろん手話に限らず表情は大切だが)を顔に貼り
つけた。

「わたしはダメ」という情けない表情は、かなり上手にできた。
何事もダメなわたしには、自然にできる表情であり、使い慣
れたものだ。(なかなかやるじゃないか、ミスターダメ男)

三人の目は、カップアイスをスプーンで150回かき混ぜたように
ふわふわに柔らかくなった。その笑顔を合図に、止まった時間
が復旧した。地球は、太陽まわりを周回する役目を再開した。
電車は走行しているように見せる偽装工作はやめて、本来の
伸び伸びした走りを満喫していた。

わたしが微笑むまえに、三人は顔をくしゃくしゃに崩した。
警戒心を解いただけではなく、親しみをたっぷりと含ませた
キラッキラッの笑顔だった。三人同時の、おまけつきだった。

左端のお爺さんの顔は、これでもかっていうくらいの緩みっぱ
なし。そのお爺さんの人差指がわたしに向かってきてピタリと
止まる。「あんた!」とお爺さんは言った(以下すべて手話)。

「いやいや、あんたの手話は、とっても上手だよ!」

となりのお婆さんは「うん、うん」と首を2度縦振り
その隣りのお婆さんは「うんうんうん」と続けて3回振った。


わたしの左側に座るオバサンは、顔に角度をつけて私を見た。
突然スタートした、わたしの手話を見ていたのだ。新種のうじ虫
のように、何か珍しいものを思いがけず発見したときにする
めったにお目にかかれない目の輝きだった。その目の輝きが
一瞬で消滅したあとに、どんよりした落胆の色が広がった。

おそらくは、うじ虫に関心がないのだろう。分かる人には分かる
し、分からない人には分からない。うじ虫に、どのような魅力が
あったとしても。まったくなかったとしても。

いやいや、あんたの手話は、とっても上手だよ!(三人)

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