そういう気持ちでは、マラソンは走れない

屈辱の疲労感と秋晴れ土曜日。情けない。許せない。腹立たしい。
さまざまな感情の塊りは、一瞬のあいだ、わたしの前で漂ってから
いきなり方向転換して、わたしの向かって体当たりする。グサグサと
突き刺さる。そのときわたしに出来ることは、生気を失い、ただ茫然
とするだけだ。

もちろん、これまでにわたしは最高の人間などとは思っていなかった。
しかし、これほどまでに最低な奴だとも思わなかった。わたしは大体が
適当だし、いい加減だし、チャランポランだし、愚図で鈍感で神経質で
目立ちたがり屋だけど、それでもやるべきときは、それがベストでなか
ったとしても、そこそこはやる。少なくても投げ出したりしないと思った。

今朝は最低のポイント練習だった。過去を振り返っても、こんなに
最低の練習をした記憶はない。苦しくても、タイムは維持できなくても
最後の30舛泙如▲ーミンのアラート音を聞くまで、わたしは走るべき
だった。それが最低限だ。それが、ランナーというものなのだ。

そうした(最後まで走る)からと言って、すれ違いのウォーキング中の
女性から褒められることはないし、晩酌のビールが増える訳でもない。
また、そうしなかったからと言って、誰かから石を投げられたり、見る
からに不摂生を表現している人から、怠け者と罵られることもない。

先だっての水曜日の10疏の疲労が抜けていなかったのかもしれない。
また、お腹の調子が緩かったこともあるかもしれない。そういう要因が
あったとしても、それが練習を途中で止めてしまう理由にはならない。
忙しいからと言って、メタボを仕方ないという太鼓腹親爺と同じように。

苦しくなってやめてしまえば、そういう気持ちでは、マラソンは走れ
ない。マラソンは楽しくない。そんな輩にマラソンを走る資格はない。
マラソンを語る資格はないのだ。

雨ざらしのマンションの外階段が、ところどころ錆びついているように
わたしはケアを怠っていた。日ごろから、注視して点検しなければ
いけない。わたしは、身体と精神とマラソンのケアが足りないのだ。
簡潔に言えば、マラソンを舐めていたのだ。

走らない人はマラソンを舐める。これはある意味では、仕方がない。
素人さんだから。しかし、もっとも罪深いのは、マラソンを走った人間
がマラソンを舐めることだ。

「反省はするべきだけど、後悔はしなくてもいい」って。
反省は未来に繋(つな)がるけど、
後悔は過去に縛られてるだけなんだってさ。
ゲーム『テイルズオブデスティニー2』


10/15(日) 6’00”×20      →107'43"(5’22”)
10/22(日) 5’30”×20繊  →104'21"(5’13”) 10/21(土)
10/29(日) 5’30”×25繊  →133'39"(5’21”)  10/28(土)
11/05(日) 5’30”×30      →108'20"(5’25”)20 11/4(土)
11/12(日) 5’00”×20繊   →いわき将門ハーフマラソン
11/19(日) 5’00”×10
11/26(日) 5’20”×42.195羨つくばマラソン


23c067bd