2017.3.18(土)総武線各駅停車 千葉行き

楽しそうに三人の会話(手話)は続いていた。

わたしは、三人の様子を真正面から凝視することに
幾分かの躊躇を感じた。わたしは目線を上に外した。

向かい合う三人席(南側・北側)の間につり革があった。
しばらくのあいだ、三人の上部にある、つり革を眺めた。
ほとんど揺れない。まるで冬眠中のカエルのようだ。

昔のつり革は感情があり、自己表現があり、まん丸い吊り
輪には昭和の趣があった。電車の振動の際は快く付き合い
快く反応して、快く揺れた。あの丸い吊り輪を愛するのは
今では、日本体育大学などの体操選手だけかもしれない。

つり革を握る人はいない。ぶらさがりながらスマホに夢中の
人もいない。すべての座席は埋まり、すべての吊り輪は空き
地に不法投棄されたゴミのように誰もが見て見ぬふりだった。
ラッシュ時には、つり革2本を独占する人もいるというのに。

わたしは不人気なつり革に哀愁と親しみを感じた。わたしに
似たせいかもしれない。事実上、つり革を実行支配する電車
の中では、乗客の質と量は、そこそこであり、スカスカだった。

すっきりした表情で、そこそこのスカスカ電車は走り続けた。
レース中にトイレに駆け込み、排泄物を排泄したあとの市民
マラソンランナーのように。

走っては止まり、走っては止まる、遅延証明を気前よく大量
発行する総武中央線各駅停車。しかし、心配無用。今日は
銚子鉄道のような春の小川感覚をさらさらと漂わしていた。
終点の千葉駅まで走るスタミナ計算は、必要ないようだ。

座席に座るわたしは、両膝の上に軽く両肘を乗せた。
比較的軽めの前傾姿勢にした。この姿勢が前向きに
見えるか、または疲れた人や悩める人に見えるか?
わたしを見る人の判断に、全面的に委(ゆだ)ねる。

わたしは人の目(他人)を気にしない。必要ない。良し
悪しは別として、いまとなっては、不要になったのだ。

若い頃、私は人の目をいつも気にした。よく鏡(かがみ)
を見た。鏡の中の自分に対して、理由もなく微笑んだ。
1000円カット(現在)の5倍を支払い、わざわざ表参道
のカリスマ美容師がいるカルスマ美容院にも行った。

わたしが、そうすることは、それなりの恩恵を受けられた
からだ。恩恵について1つの例を上げると、異性からの
アプローチだ。他には異性へのアプローチ。または異性
への急接近など、理由はイロイロであり、エロエロだった。

世界中の女性は、20代のわたしに注目した。それが30代
で半分になり、40代はゼロになった。もちろん、このさきに
V字回復は見込めない。永遠のゼロ。いま、わたしに微笑
みを投げ投げかける女性はいなくなった。正確を期すため
に補足説明しよう。例外的に、妻だけははわたしに微笑む。
ただし、妻がわたしに微笑んでくれるのは、わたしの在宅
時ではなく、外出後である。

もし、わたしに心を許すような(そう見える?)女性がいる
としたら、それは商業的な見返りを期待してのものだ。
女性たちは、劣化中のわたしではなく、劣化しない聖徳
太子やクレジツトカードに対して、満面の笑みを咲かせる。

それが証拠に、女性たちはわたしの所得を察した段階から
表情が段階的に変わる。最初の微笑から、微笑みを後悔す
る苦笑いになり、最後は微笑軍を完全撤退させるのだ。もう
そこには組織的行動はなく、表情と呼べるものは、何ひとつ
残さない。無関心+無表情+無反応=眼中なし(別世界)。

しかし、時は過ぎる。それは確実であり、公平である。わたし
だけではない。商業的な見返りを求める美容整形美人にし
ても、来るべき消費(賞味)期限は来る。その期限は小学校
卒業式スピーチのように、長いようで短かかった6年間という
のが相場だ。女性が少し長めの溜息をついたら、それで終
わってしまう。はぁっ〜〜〜〜あぁ〜〜〜〜という間である。

とにかく、わたしは、人の目を気にする恩恵がなくなった。
正確には、まったくないとまでは言えないのだが、ようは
コストパフォーマンスの問題。努力の甲斐は、なくなった。

しかしだからと言って、ここで終わらない。それが、わたし
という欲深くて罪深い人間だ。転んでもタダでは起きない。
大腿骨と手首を骨折しても、筑波マラソンは諦めない。
「座して死を待つ」に対して、断固としてノーと答える。

わたしという人間の容量は、小さ目のコップ一杯分。
もともとはそこに、たっぷりの新鮮な水が入っていた。
コップの水は、経年により乾燥して、徐々に減少する。

その減少分を補うために、わたしは従前の水ではなく
新しい水分を補充する。その新しい水分が、マラソン
ギター、手話、執筆活動だ。評価されない小説を懲り
ずに書き続ける理由は、ここ(水分)にある。

ここ8年くらいだろうか、わたしはすこぶる機嫌がいい。
覆水盆に返らず。コップの水が、どんどん減ったからだ。
にやにやしながら、わたしは新しいもの、新しい価値観を
自分の中に放り込んで(補充)やるのだ。自分を新しくする
以上に、楽しいものが他にあるのだろうか...。

(ふぅ〜、もう分かった!KAZUさん、はなしを戻してくれ)

これまでのわたしの僅かな鋭意努力、大きな偶然の産物
大いなる出会い、大いなる不運と小さな幸運により、不要
なものは排除して、必要なものは加えてきた。

さて、わたしからアクションを起こして、手話べりする
環境(電車内)は、申し分ない段階に到達したようだ。


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