2017.3.18(土)総武線各駅停車 千葉行き

お婆さんは「うん、うん」と首を2度縦振った。
隣りのお婆さんは「うんうんうん」と続けて3度首を振った。

三人のろう者の目の中に、とろんと光るものが広がった。初対面
のひとと話したとき、故郷や学校が同じとか、納豆やプロレスや
巨人が好きなど、お互いに共通する何かが判明したときに、目の
前の壁が崩壊して、視界がさーと広がったときに浮かべる、親し
みと安らぎが穏やかに着地したときの、とろんとした眼差しだ。

この電車の中で、わたしだけは手話ができる。三人とわたしは
話し(意思疎通)ができる。もし、電車が緊急停止して、車内の
アナウンスが放送された場合にば、その内容をわたしは三人
に伝えることができる。

こういう状況は、さまざまな場面で想定される。例えば土砂災害
危険情報、津波の緊急避難情報など、聴こえないひとに情報が
届くか、届かないかは、人命に関わることでもあるのだ。

社会から、ろう者(聴覚障碍者)が孤立しないためには聴こえる
人たちの理解が必要だ。手話は、聴こえない人(ろう者)の世界
と聴こえる人(健聴者)の世界を繋ぐ。手話は分断された世界を
ひとつにする、共生社会という名前の重要な架け橋なのだ。

三人のろう者は、わたしを認めた。手話(会話)ができることが
分かったのだ。そのとき初めて三人の視界の中のモノ(無言)
からヒト(会話)へわたしは変化した。三人は、ろう者(聴こえ
ないひと)だけではなく、聴こえるひとと繋がった。

それまで、つまりわたしが話(手話べり)を始める前において
三人のろう者は、わたしが目の前にいることを認知していた。

三人は、わたしの視線を捉えていた。しかし、三人は1センチ
ばかり視線をすっと上げて、わたしの存在などは、どこかに
やってしまった。

視線を外すことは、ある意味においては当然であり、日常的で
あり、マナー(暗黙的常識)でもある。視線をいつまでも外さな
ければ、いらぬトラブルを誘引することもある。

ヒロシくん&トオルくん(ビーバップ・ハイスクール)は別としても
普通は知らない人と目があったら、だれだって視線を外すのだ。

また、たとえ知ってる人であっても、意図的に視線を外す場合も
少なからずある。話したくない、関わりたくない等の事情(理由)
かもしれない。または、素敵な人に対しての恥じらいの気持ちの
表現(かまとと?)かもしれない。わたしへの視線は、ある時期を
境にして、後者から前者へスムーズに切り替わったようだが...。

視線について言えば、聴こえない人と聴こえる人のあいだでは
様相は異なる。手話は、言葉(音声)で会話する訳ではないので
その分の視覚的情報の依存は当然強くなる。相手をしっかり見る
そこから情報を読み取ることは、ろう者にはとても重要である。

手話を使っているとき、それを見る社会の目はいろいろだ。例えば
ランチのあとに、わたしは決まってコーヒーを飲む。季節に限らず
ほとんどの場合は、ホットコーヒーのブラック。このときの決まり
ごとは、手話辞典を見ながら手を動かす(勉強)。このときに、わた
しを見るまわりの人たちの反応は2つある。

まずは、チラッと見てからサッと視線を外す。この見て見ぬふりが
大多数だ。ご飯にかけるフリカケ程度ではあるが、これには幾分
かの配慮が含まれるのだが。

多くの人は、聴こえないひとの手話をじっ〜と見ているのは失礼
だと思っている。特に、場所や席が近いほど、この傾向は顕著だ。

ところが遠い席の人は違う。遠くから息を潜めて、じ〜と見ている。
このように、日本人は隠れて、あるいは隠れながら、相手を観察
したり、こっそりこそこそと何かをやるのが大好きなのだ。

麗しき奥様のへそくりのように。これ対する麗しき旦那様の場合
は、想像力を具現化して潜在的欲望を満たすのだ。趣向を凝ら
した風俗業のように。隠れて、隠れながら、こっそり&こそこそ。

つぎは手話を使っているひとの近くで、手話をじっ〜と見ている
ひと。この場合は、さらに3タイプに分かれる。まずは遠慮を知ら
ない子ども。よく言えば、無邪気な子どもたち。

無邪気者は不思議そうに手話を見たり、憎たらしく笑ったりしなが
ら少しずつ距離を詰めてきて、接近戦を仕掛けてくるのだ。迂闊
にこの手の挑発に乗ると、ランチの勉強時間を無駄にすることに
なる。子どもは厳しくみてはいけないが、甘く見てもいけないのだ。

次に、遠慮を忘れてしまった高齢者。これは実体験である。わたし
の正面2メートルに座っていたお婆さん。ハゲタカのような鋭い目で
わたしをじっ〜と見ていた。その目には不可解さが浮かんでいた。

まるで初めて見た宇宙人のように。その状態が15分間続いたあと
お婆さんは、おもむろに椅子から立ち上がる。接近してきて、わた
しの前に仁王立ちする。テーブルの上の手話辞典を5秒間見下ろ
してから、一言だけ呟いて、そのまま無言で立ち去った。
「あ〜手話ね....」という言葉を、しばらく空中にふわふわと漂わした。

最後は、手話を勉強中など手話に携わっている人たち。ただ、その
携わりの人、手話のできるひとが、たまたま電車で乗りあわせていた
ろう者に、声を掛ける(手話)かどうかまでは、わたしには分からない。

ただ少なくても、その中の一人は声を掛けた。
それが、わたしだった。

douyatte