2017.3.18(土)総武線各駅停車 千葉行き

電車のガタガタする音、風を切る音、いびきの音、イヤホンから
こぼれ落ちる音楽、電子機器、誰かと誰かの会話、春風の囁き
車内アナウンスなど、それらのすべては、三人には聴こえない。

電車にひとが20人、いや200人いたとして、その人数は関係ない。
三人が話し(手話)のできるひとは、三人だけしかいない。
(わたしを含めた場合は4人)

もちろん、手話ができないからと言って、ろう者(聴こえないひと)
と話が出来ないわけではない。いくつかの選択肢からの中から
適切な方法を選び、実行すればコミュニケーションは可能である。

例えば紙に書く(筆談)、マスクを外しての身振り(ゼスチャア)、
口の形が分かり易いようにゆっくり話す、スマホや携帯の画面に
文字を打ち込んで、それをお互いに見せ合うことなど。

それがどのような状況であれ、何かをやろう思えば、何かしら
の方法や、何かしらの対処の仕方はあるはずだ。突然の大雨
のときに、雨宿りをしたり、骨の折れたビニール傘を拾ったり
シャワーだと開き直ったりするように。

どちらにしろ、そこには、多少の労力や工夫、時間が必要だ。
相手が外国人であれ、バリバリの津軽弁であれ、ろう者であれ。
おおむね聴こえる人のほうに、やろうという気持ちがあるとしたら。

しかし現実問題として、そのような事態が発生したとき、果たして
適切な身振り、筆談等ができるだろうか。緊急の時に、消火器や
AEDをちゃんと使いこなせるか、と同じように。知識、経験もなく。

わたしの場合は少しばかりの手話を覚えた。手話サークル、手話
講習会(ウェルピアかつしか)など、それなりではあるが学習を続
けてきた。果たして学んだことは役に立つのか?腕試し、手話試し。
わたしは実践で手話を使ってみたかった。
「ペンパイナッポーアッポーペン」を覚えた営業部長のように。

「いやいや、あんたの手話は上手だよ!」

手話のアマチュアは、車内の初対面のろう者三人から褒められた。
たまには、わたしだってやるのだ。掛け算(九九)一の段ができた
幼い子が、爺さんから「坊ちゃんはたいしたもんだ!」と頭をよしよし
と撫でられるように。

自慢ではないが昔はよく褒められた。昭和30年代は毎日のように。
40年代後半(10歳)から、徐々にその頻度は減少していく。平成に
なってから今日までの30年近くは平成不況さながらだ。人様から
文句こそ言われても、褒められることなど、まったくなくなった。

そんなわたしが、実に久し振りに人から褒められた。子どものよう
に恥ずかしく、子どものように嬉しかった。微笑みの目尻のまわり
(しわ)は子どものように新しくなく、青トマトのような新鮮な張りも
なかったが。

疲労と加齢を完全に隠すためには、縁日のひょっとこお面でも被ら
ないといけない。そんなわたしの顔を三人は温かい眼差しで、じっと
見ていた。住宅展示上で、戦隊ヒーローの登場を待っている子ども
みたいに、キラキラした目だった。三人はわたしの手話を待っていた。

そう、今度はわたしの番だ。野球にしろ、会話にしろ、基本はキャッチ
ボール。わたしはボールを受け取った。そのボールをふわっと浮かして
三人へ投げ返した。もちろん、速いボールは技術的に投げられないが。

「わたし、今日は中学生の息子の卒業式に行ってきました、わたしは」
最後に、人差し指を自分に向けた(わたしは)。ゆっくりと手話をした。

三人はほんの一瞬だけ、へぇ〜という驚いた顔になり、すぐ嬉しそうな顔
に変わった。両こぶしを前に突出し、上に向かって、こぶしをパッと開いた。

 (こぶし) + (パッ) を数えてみたら全部で6個(3人×2)もあった。

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