13時予備校の恋

 

日大附属は3人いた。附属高校にいながら、なぜ日大へ
進学しなかったのか、と貴方は疑問に思うかもしれない。

答えはシンプルだ。しなかったのでなく出来なかったのだ。

 

東京でも有数の高級住宅街の新小岩から通学のイケメン

浪人生だけではない。群馬、福島、福岡など、遠路は
るばる都会へやってきた田舎臭い田舎者の男女もいた。

もちろん彼等は、アパート、マンション、学生寮だ。

優秀なお子さんを持った親御さんには相当な負担である。
(当時はバブル10年前、日本経済は右肩上がりだった)

ちなみに、わたしが一番仲の良く、気の合ったT君は
小田原からロマンスカーの定期券で通学していた。

余計な話だが、この後にT君の結婚式に、わたしは2回
も出席した。そのため、小田原まで2回も行ったのだ。

さらにこれも余計だが、2回目の結婚式でスピーチを
頼まれた私は、新婦に向かって、新婦の名前を間違え
て呼んでしまった。頭の中で、いろいろな名前が浮か
び、正しい新婦の名前を選択出来なかったのだ。

わずか3年間に結婚式を2回も呼ぶから、私は名前
を間違えたのだ!と言いたかったが、言わなかった。

T
君は「憎みきれないろくでなし」なのだ。
そう言うわたしもまた、同じようなものだが。

 

さて、予備校に話しを戻そう。4月のクラス開校時は
30
人いたのに、9月になると20人前後に減少した。
女性8人は屈強だ。脱落者は、1人もいなかった。