13時予備校の恋(30


「呼び捨て」は距離を近づける使い古された手法だ。
洋子はそれを受け入れた。わたしが洋子に「洋子!」
と呼びかけると洋子は嬉しそうな甘い顔になった。

チョコレートパフェを差し出された女子中学生のように。


洋子がわたしを呼ぶときは「和哉」の呼び捨てではなく
「佐藤さん」「和哉さん」でも「ジュリー」や「ジェーム

スディーン」「ロバートレッドフォード」でもなかった。

ほどよくなついたシャムネコみたいに「ねぇ〜」と言った。

洋子の話し方が進化する。普通のアイスからトルコアイス
へ。「ねぇ〜ねぇ〜」「もぅ〜やだぁ〜」語尾が細長く伸び
る収縮性と柔軟性に優れた魅力的なゴムのように。

誰に教わるでもなく、多くの女性がある年齢になると
(個人差はあるが)自然と身につける術である。

 

「やだ〜」と語尾を伸ばして肩を叩くと、どんな男
でも鼻下が確実に11ミリ伸びる、ゴールデンルール。

洋子は既にそれを取得して、多彩な変化球をコーナーに
投げ分ける本格的技巧派投手の術を完璧に使いこなした。


洋子の実家は北関東の開業医院。住まいは小田急線S
から歩いて数分の女子学生専用の高級マンションだった。

わたしの顔を覗き込みながら、洋子は少し怪しい微笑み
を僅かに浮かべた。小さい女の子がアニメを見て笑う時
の純粋で屈託のない微笑みとは真逆のものだった。

洋子は熱い吐息で囁きかけながら、わたしに心温まる忠告

をした。監獄から脱走を企てる輩に「そんなことは無理
プラス無駄だよ」と断念させる釘をさす看守のように。