13時予備校の恋(31)
わたしの顔を覗き込みながら、洋子は少し怪しい微笑み
を僅かに浮かべた。小さい女の子がアニメを見て笑う時
の純粋で屈託のない微笑みとは真逆のものだった。
洋子は熱い吐息で囁きかけながら、わたしに心温まる忠告
をした。監獄から脱走を企てる輩に「そんなことは無理
プラス無駄だよ」と断念させる釘をさす看守のように。
「男性は入れないのよ」上目遣いの瞳に力を入れて
洋子は言った。「私の住んでいるところだけど」
駄々をこねる男の子に注意をする女教師の顔だ。
美しい女性の注意は悪くない。眉間の皺も悪くない。
美しさは理由も理屈を求めない。
「分かった」という承認の意味でわたしは頷いた。
他にどのように反応したら良いのか分からなかった。
さらに強烈なダメ押し。「男性は立入禁止マンション
だから」と洋子はとても嬉しそうにつけ加えた。
それが本当に嬉しいことなのか、わたしを裁量?
警戒?単なる微笑み?まったく判断できなかった。
ただ1つ分かったことは、精神的な気後れである。
洋子の方に、明らかに分があった(優位)。
それが何故か、その時のわたしには分からなかった。
40年を経過した今になれば、ストンと腑に落ちる。
マラソン2時間40分ランナーとゆっくりジョギング中
に感じる疲労感だ。または、育ちのいいお嬢様と一緒
に日本橋高島屋に行ったときに感じるソワソワとした
落ち着きのない感覚でもある。
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