だけど人間は、楽しいことと同じくらいに、いやそれ以上に泣か
ないといけない。私はそう考えるようになった。最近になってから
だが、わたしは、あることに気が付いた。涙というものは、自分の
ためではなく、第三者のために流す涙が、重要だということに。
他者の為に流す涙が多いほど、その人は他者(人間)を知ること
になる。他者を知れば、その人は人間に対して、より優しくなれる。
フィリップ・マーロウを例に出すまでもないが、優しさとは強さだ。
「あなたの様に強い人が、どうしてそんなに優しくなれるの?」
「しっかりしていなかったら生きていられない。やさしくなれなかったら
生きている資格がない」(『プレイバック』(早川書房、1959年10月)
自分のことばかり考えていると、より利己的な人間になり、思い通り
にならないことに、他者に対して苛立ちやストレスを感じやすくなる。
その結果として、当人に言えない陰口などをネット上に書き込んだり
政治家や芸能人の失言に、強い憤りを覚えるのだ。
逆説的だが、自分を大切するとは、他者を大切にすることだ。
戦争というのは、相手が分かっているからよけい怒りを感じます。
私はプロ野球を引退後、広島原爆の平和記念資料館に2度行こうと
したのですが、手に汗がにじんで震えて、入ることができなかった。
苦しみだけでなく、怒りと恨みがこみあげてくるのです。よくもこんな
姿に、こんな形で。身代わりで、あれだけの人をね。それはやった方
は言い分があるでしょう。それがないともっと犠牲者が出たとかね。
やられた方は、忘れることができない。
2006年、新聞に載った「8月6日は思い出したくない」という私のインタ
ビューを見て、小学生の女の子から投書が来た。自分は長崎の原爆
資料館を、怖かったけど見てきたと。聞いた時には私の方が恥ずかし
くてね。被爆の当人が行かなくてどうすると。それで、初めて広島の
資料館に行った。その入場券はその女の子に送りました。
(2015.8.7 読売新聞 元プロ野球選手 張本勲さん 75歳)