ねぇ どうして 涙が 出ちゃうんだろう・・・・・
劇団四季アイーダの観劇
第1回 2010.9.4・第2回 2012.4.19・第3回 2012.5.10・第4回 2012.6.7・第5回 2012.8.5
今回のアイーダは、主役級の3人(アイーダ、ラダメス、アムネリス)のキャストが
変わっていた。 いつも観るたびに感動するけれど、今回は、半端じゃなかった。
いままで5回観てきたけれど、今回は、最初から最期まで涙がとまらない・・・
何かがおかしい、どうしたんだろう、一体 どうなっちゃったんだろう
劇団四季のアイーダだから 涙が出ちゃうのか
「月のあかり」が歌えないから 涙が出ちゃうのか
戦争の本ばかり読んでいるから 涙が出ちゃうのか
先日、お墓参りに行ってきたから 涙が出ちゃうのか
大怪我をしたから、 走れないから 涙が出ちゃうのか
原爆投下と終戦記念日が あるから 涙が出ちゃうのか
根津甚八のCDとDVDを 買ったから 涙が出ちゃうのか
五輪を観て、 泣き癖がついているから 涙が出ちゃうのか
座骨神経痛と微熱の日々があったから 涙が出ちゃうのか
立原正秋の「冬の旅」を 読んでいるから 涙が出ちゃうのか
左足が曲がらない、正座が出来ないから 涙が出ちゃうのか
「涙そうそう」のギター練習をしているから 涙が出ちゃうのか
寺川綾の泣き笑いの表情を想い出すから 涙が出ちゃうのか
ランニング、 マラソン等から逃げているから 涙が出ちゃうのか
高校生からのファン、 エルトン・ジョンだから 涙が出ちゃうのか
今度はいつ観劇できるのか 分からないから 涙が出ちゃうのか
どうしてこんなに泣けてくるのか、その理由を、考えてみた。
ボクの身体の中に、泣けてくるような哀しいこと、切ないことが、一杯詰まっている。
泣けてくるようなこととは、自分自身のこともあるし、自分以外のこともある。
日常生活では、そういった様々なことを、自分の内面に封じ込めている。
少なくても外見上は、何一つ心配事が存在しないようにして、普通に振る舞っている。
ところが、ある瞬間に、この潜在的な悲しみが、切なさが、次から次と溢れだしてくる。
ある瞬間とは、非日常的な状況に遭遇したときに、いきなり動き出す、そのときである。
例えれば、休火山の奥底にある大量のマグマが、大地震などの地殻変動によって、
巨大な刺激を受けて、地底から噴火して大爆発する、というようなものだろう。
「アイーダ」を観ながら、パイル地のタオルは、塩分を含んだ水分で濡れていく。
終演が近づくにつれて、あちこちの観客席から、鼻をすすり上げる音が聞こえてくる。
ボクだけじゃない、みんな泣いているんだ、みんな悲しみを抱えて生きているんだ。
人は誰でも、哀しさと切なさと共に、迷いながら、傷つきながら、それでも生きていく。
生きていく、ということは、こんなに哀しくて、辛くて、切ないことなのか・・・・・
終演と同時に、満員の会場からは、カーテンコールの拍手が地響きのように発生した。
3回目のカーテンコールになり、自然発生的に、観客は立ち上がり始めた。
もう、理由は分からないけれど、誰もが、座っていられる状態ではなくなっている。
スタンディングオベーション、さっきまで、鼻をすすり上げていた観客達は総立ちになり、
みんなスッキリした、輝くような、泣き笑いのような、少しおかしな表情になっている。
そうか、そうだったのか、どうして涙が出ちゃうのか、ようやく分かってきた。
ボクは生きたい、人は生きたい、ボクは笑いたい、人は笑いたい、
ボクは感動したい、人は感動したい。
哀しいから、 切ないから、人を助けて、人に助けられて、
人と人は手を取り、心を通わせて、そうやって生きていく、それでも生きていく。
だから、だから、涙が出ちゃうの! 真珠じゃないのよ、涙は ハッハァ〜(^∀^)
誰にとっても、笑いと涙は心の内にある同じ深い泉から
湧き出るものである。
そして安心かつ嬉しいことに、
時によき涙のあとには笑いが待っていることに気づく。
笑いは悲しみの向こう岸で待っていてくれる贈り物なのだ。
ヘーゼルデン財団
(米国ミネソタ州に本部を持つ依存症回復施設、治療・研究・教育・出版活動団体)
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劇団四季アイーダ
2012/8/714:13
2012/6/717:50