KAZUの完全復活を目指して

平成23年1月1日元旦の午前1時 年越しJOGの途中で転倒して大怪我をした。 大腿部と手首の骨折〜救急車の搬送〜2回の入院と手術を経て2月9日に退院。 そして退院後のリハビリ通院は79回をもって、平成23年6月29日に終了した。 さぁこれから、ここから、どこまで出来るのか、本当に復活(完全)出来るのか? 本気でヤルのか、情熱を注げるのか、そして過去を超えられるのか? 質問と疑問に対して、正々堂々と、決して逃げずに、答えを出してみよう。 こういう人生を、こういう生き方を、思い切り楽しんでみよう。 KAZUさんよ、タイトルに負けるなよ!

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聲の形(こえのかたち)

聲の形(こえのかたち)第1〜7巻 感想記

ところで、私は、あの女の子に、ちゃんと謝ったのだろうか.....。

昨夜、第7巻が読み終わったのは、あと20分で今日になる時間だった。
ランナー満塁でファーボールを出したように、私の予定が押し出された。
今朝のジョグはいつもより2時間遅れの午前6時だった。山手線が2時間
遅れたら大変な騒ぎになる。しかし、わたしのランニングが2時間早くても
遅くても、そこには何の問題も発生しない。この世界は私に無関心なのだ。

わたしは玄関を出て、まず、玄関前にあった朝の空気を肺に吸い込んだ。
その空気は、いつもとは違っていた。空気の中には、雨が降る前の挨拶
としての、ずっしりとした湿度感が含まれていた。また、わたしの身体も
いつもとは違っていた。偽の羽毛布団のように、身体はそれなりにフワフワ
していたが、心の中はしっとりとした湿度があった。その原因は、昨夜に
読んだ「聲の形」かもしれない。昨夜に食べ過ぎた焼き芋かもしれない。
あるいは、単なる気のせいかもしれない。

今朝わたしは、「聲の形」のことばかり考えながら、走っていた。いろいろ
と、それ以外のことも考えていたが、主に2つのことを中心に考えた。

1つは、貴田みどりさんの講演会(10/27)だった。美しく、そして楽しそうに
手話していたみどりさんが、ある話しのときの、ある瞬間に、とても辛そうな
表情に急変した。それは、聞こえないみどりさんが、ろう学校ではなくて、
普通学校に通っていたときに感じた、差別などの辛い体験談だった。

もしわたしが貴田みどりさんの同級生だったら、と考えた。しかし、それは
とんでもない、わたしの驕り(おごり)だった。勘違いにも、ほどがあるのだ。
「聲の形」を読んだ時に、その理由がはっきりと分かった。それが2つめだ。

それは、工藤静香やマライア・キャリーがまだ生まれていない頃だ。わたしは
小学校2年生だった。同じクラスに、ある女の子がいた。その女の子は、見た
目は普通だったが、歩くときは人より遅かった。いつも、脚を持ち上げてから
引きずるように歩いていた。その歩き方を、わたしは真似をした。その子が、
嫌がるのが分かっていながら、わたしはそういうことをしたのだ。しかも、楽し
そうに。席替えのときに、その女の子が隣りになった。その時に事件が起きた。
それが、一体どういう理由から発生したのか、わたしは全く覚えていない。
しかし、その時の衝撃を、わたしの身体と心はハッキリと覚えている。

わたしが、その女の子をからかったときに、その子が突然、トマトみたいに
真っ赤な顔になった。その子は、手に持っていた鉛筆を、わたしの左肩に、
思い切り突き刺した。溢れる感情を、その鉛筆に託したのだ。
鉛筆の先の黒い芯だけがポキッと折れて、わたしの左腕に突き刺さった。

わたしは怖くなった。初めて、その女の子が猛烈に怒った。とても怖かった。
わたしは泣かなかったが、初めて感じるような真っ黒で真っ赤な恐怖を感じた。
震えながら芯を抜いたら、真っ赤な血が流れてきた。そのとき、私は理解した。
こうなった全て、わたしが悪い。わたしの全てが悪い。わたしは、惨めだった。

この体験は、ほとんど忘れていたが、「聲の形」を読んだ時に、あの時の状況と、
自分の気持ちが、まるでDVD映像を見るているように鮮明に蘇ってきた。

ところで、わたしは、あの女の子に、ちゃんと謝ったのだろうか.....。

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オリバーストーン監督

2013.8.6(火)
04:20〜05
:30/ストレッチ・軽く筋トレ・ゆる体操
05:40〜06:25/入浴、ストレッチ・正座
08:30〜09:30/経絡治療院

オリバーストーン監督が語る、「もうひとつのアメリカ史」


アメリカを愛するアメリカ人のオリバーストーン監督が語る、「もうひとつ
のアメリカ史」は、アメリカの近現代史を批判したものである。彼の語る
ところのすべて(あるいは、おおむね)が正しいかどうかは別として、歴史
に対しての姿勢、取り組み、行動力、冷静で建設的なスタンスを、私たちは
もっと真摯に真剣に学ぶべきだろう。

二十四の瞳(ビデオ)、今朝のNHKテレビ(8時15分含む)を観た。
ドン・ジョーンズの「タッポーチョ太平洋の軌跡」、永井隆の「長崎の鐘」を読んだ。
オリバーストーン監督の言葉と行動力、発信力について、ボクは考えてみた。


「プラトーン」「JFK」などで知られる米国の映画監督オリバー・ストーン氏(66)が
4日、広島市内で読売新聞のインタビューに応じ、「原爆投下は戦争を終わらせる
ために必要だったというのは幻想だ。(米国人として)被爆者に謝罪したい」と語った。

ストーン監督は昨年、第2次大戦前夜の1930年代からオバマ大統領登場までの
米国の現代史について、独自の視点で描くテレビドキュメンタリーシリーズ「もうひと
つのアメリカ史」を制作。その中で、原爆投下はソ連(当時)へのけん制が目的で
軍事的に不要だったと主張している。今回は原爆忌に合わせ広島、長崎を初めて
訪問、被爆者との対話などを予定している。

インタビューで、ストーン監督は、原爆を投下した米国は英雄であると教わってきた
と説明したうえで、「80年代までそうした幻想に疑問を差しはさむことはなかったが
歴史をもっと深く見るようになった。

私は歴史に対して建設的でありたい。日本の人々も、米国の神話を
受け入れず、なぜ原爆が落とされたのかを学んでほしい」と話した。
オリバーストーン監督、2013.8.5読売新聞

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風立ちぬ 

映画が終わったら、つっかえ棒がガクッと外れたようにボクはドタバタした。
ドタバタの原因は基本的に映画とは関係がない。スマホの電源を入れたら、
袋とじの週刊ポストのように少しじらされてから、ボクを試すようなきわどい
数値がパッと液晶画面に表示された。アリオ亀有の駐車時間の3時間無料
(映画鑑賞)まで、あと3分しかない。駐車場の車まで急いでも間に合わない
可能性がある。有料になることを覚悟のうえで勝負弱いギャンブラーの顔に
なるか、昼食と買物して無料の駐車券をゲットして、景気回復に少し貢献した
消費者の顔になってから、胸を張ってどうどうと帰るのか。ボクは迷っていた。

扇風機を回すように、首を起点に大きさのわりに中身のない頭を左右交互に
ぐるっと回してみた。冷静になりたいときのボクは、意識して、または無意識の
うちに、そのどちらによって頭をぐるぐると回すことがある。お地蔵さんのように
辛抱づよく同じ姿勢で映画を観ていたので、本当なら10回くらいは連続して回し
たい気分だったけれど、映画を観た人が親爺のぐるぐる回しを目のあたりしたら
「風立ちぬ」の余韻が台無しになるかもしれない。あるいはならないかもしれない。
念には念を押して、自発的に妥協をして、ボクは頭回しを左右1回だけで止めた。
しかし、送りバンド失敗後のクリーンヒットのように、結果的に妥協は正しかった。

電子レンジがチンと教えるように、頭をぐるっと回した瞬間に正解が分かった。
頭の中にある電子レンジを開いてみたら、シウマイを温めたときのようなシュ〜
という蒸気が立ち上り、風船のようにふくらんだラップには「どうでもいいです」
と表記があった。小学校に掲示されている太字の「廊下は走らない!」のように
駐車券のことなんか「どうでもいいです」、たしかにその通りだ。

そんなことに頭を使うより、もっと他に考えなくてはいけないことが、マクドナルド
のようにいっぱいある。もちろん、不完全な頭で考えることは、きわめて不完全
なことだ。たとえば、ゼロ戦の設計はできないし、まともな小説さえ書けない。
結核の治療はできないし、アニメ制作と、「ひこうき雲」だって上手に唄えない。
だからといって、何も考えなくていい訳ではない。不完全な頭で考えたところで
不完全で抽象的で中途半端な結果しか出ないだろう。きっと、たぶん、おそらく。
答えが出ない?そうだ。答えなんかでない。それでいい。不完全な頭を使うため
には、あるいは継続的に鍛錬していくためには、解けない難問に挑むしかない。

蜘蛛の糸が吹っ切れたように、空腹の鼠ように、ボクはテキパキと動き出した。
ユニクロの足の長い店頭マネキンが着用していた七分丈のカーゴパンツを買い、
中華屋さんのランチ写真の1番上にあった半チャンラーメンを食べて、スタバで
一番安かったアイスコーヒーを飲みながら、クリームパンのように柔らかいソファ
に座って、「グアムと日本人」戦争を埋め立てた楽園(山口誠)という本を、1時間
10分のあいだ、集中して読んでいた。

それから、跡形もなく全部の氷が解けきった初心を忘れたアイスコーヒーの残りを
貧乏臭くずるずるとすすりながら、あらためて「風立ちぬ」のことを考えてみた。
平日の9:30からの上映にもかかわらず、座席の90%は埋まっていた。大五郎を
乗せた子連れ狼はいなかったけれど、小学生くらいの子連れのお母さんが以外と
多かった。若者たちとカップルもいた。ボクの両隣りは、ともにご年配の御爺さん。
学生風とOL風、ボクのような、ひとり親爺もいた。早い話が老若男女である。

このような老いも若きもの老若男女を対象とする、つまり商業的成功を目指した
場合の歴史と戦争について、製作者側がどこまで踏み込むのか、踏み込める
のか、あるいは口当たり良くさらっと流すのか、その境界線をどこに引くのか。
ボクは思った。境界線の引き方が後退してきているのではないかと・・・・・。

ぐっと前に踏み込んだら、逃げる、あるいは拒否反応。それでは伝わらない。
それにスポンサーがつかない。映画はヒットしない。
では境界線を下げる。あえて踏み込まない。しかし、それでは伝わらない。
「風たちぬ」が伝えたいこと、感じて欲しいことは、いったい何だろうか。
小学生に伝わるのか、ご年配の方の情感に訴えたのか。
それが分からない。分からないのは、ボクがズレているから、なのか。
不完全な頭には常にその可能性がついてくる。
「終戦のエンペラー」を観てから、また、考えてみようと思う。

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終戦のエンペラー 岡本嗣郎

終戦のエンペラー 岡本嗣郎 読書感想記

追憶(沢田研二)、ひとりぼっちのメリー(アート・ガーファンクル)
よそゆき顔で(荒井由美)、タイム・イン・ア・ボトル(ジム・クロウチ)
あなたがここにいてほしい(ピンク・フロイド)、純愛(片平なぎさ)


たとえば、悲しいときには悲しいと感じる歌が聴きたくなる(ときがある)。
心がブルーなときには、真っ白にキラキラと輝く世界より、むしろ濃紺の
キャンパスに身を沈めたほうがしっとりと馴染んできて落ち着いてくる。

このように人間というのは、ある種の矛盾によって成立している。自分
だけの色を発揮したい気持ちと同時に、自分のカラーを出したくない
目立ちたくない、という異なる思想を抱えているのだが、それを指して
矛盾ではないかと批判すべきではない。そもそもが思想と思考ではない。
もちろん宗教でもない。それは、首から上だけの一部分で考えること
ではなく、身体の全部が本能的に感じること。つまり、生存本能である。

大海原を大群で回遊するイワシは、自己主張(カラー)により子孫を繋い
でいくし、個性を消去(集団行動)することにより外敵から防御している。

サンタナの「僕のリズムを聞いとくれ」のように、自他ともに誇れるなら
「ボクだけの色を見て欲しい」と懇願するだろう。しかし、恰好悪いこと、
情けないこと(たとえば怪我とか病気など)は、決して見てほしくない。
目立ちたくない、自分の色を消したい。だけど、ここでは色を消せない。

そういうときには、自分の色が目立たないところ(場所)に行くしかない。
同じ色の場所を求める、それが防衛本能である。そこに行けばチカラ
を入れなくても、なんの努力しなくても自然と混ざり合って溶け合う。
そのときの状況に応じて、居心地のいい場所を求めて移動して行くのだ。

イワシのように大群で泳げなくなった、心に傷を負った平目(ひらめ)が、
暗い海底にどんよりと沈んでいく。そして悲しみの地底色に同化(保護色)
して、ひっそりとしたエラ呼吸をする。突発的な転倒により、泳げなくなった
50歳の平目が沈んでいったところにあった(見えた)のが歴史と戦争だった。

最初はそんな動機(同化志向)だったから、精神論として決して褒められる
ものではない。ただあえて自己弁論をするならば、または、本音を言わして
もらうならば、ダイエット目的に走りだしたランナーがサブスリーを目指した
ように、大概はそんなものだろうと思うし少なくてもボクの場合はそうだった。

「あぁ〜そうか、そういうことだったのか」。実際に海底に沈んでみたら、それ
までにボクがイメージしていたこと(歴史と戦争)とは大きくかけ離れていた。
イワシの大群の中に混じって皇居のまわりをぐるぐると回遊していたときには
陽光の差し込む紺碧の海水と集団しか見ていなかった。そんなときに、陽の
届かない暗い海底に思いを寄せようなどとは考えなかった。

歴史と戦争を学びだしてから、ボクの内側にある種の変化が起こってきた。
無造作に放り出していたシャツを針金ハンガーに掛けたら、しわになっていた
後ろめたさがすっ〜と伸びたように、潜在的に歪んでいた精神が引っ張られて
本来の形に矯正された。この暗い海底から上部を見上げてみると、いままでの
逃避的な自分の姿に否応なしに気づく。大海原を回遊しながらも、海底のことを
本当は恐れていたし、たしかに、たしかに、ボクは避けていた。

海には必ず海底があること。不安定な自分を見出すこと。世界の海は国境を
越えて繋がっていること。すべての過去(歴史)が現在に繋がっていること。
過去からのバトンをしっかりと受け取ること、そしてバトンを引き渡すこと。
これが歴史を学ぶ本質だと、53歳が目前に迫ったボクは思うのだ。

「七の力を与えられている人が精いっぱい励んで八点を取った。
十の力を与えられている人が九点を取った。人間の目には
九点の方が上でも、神様の目には八点の方がずっと上です」

「お前の戦争に関する意見はまったく正しい。戦争には何の
いい訳も成り立たない。戦った双方の国民とも戦争を望んで
いない。国民を戦争に巻き込むのは、いつも思索によって
問題を解決することを怠った自分勝手な指導者たちだ。
私はこのことを今度の戦争でたくさん学んだ。
きょうまで私はルーズベルト大統領がアメリカ国民を戦争に
巻き込まない努力した行動をひとつも見出すことができない。
そうではなくて逆にあらゆる施策がまっすぐ戦争の向けて
リードされた。(略)
今日では軍事情勢に新しい要素が加わった。科学が人間の
進歩を追い越し、文明を絶滅させる手段を可能にした。
このことは戦争それ事態を避けることが、文明の絶滅を防ぐ
唯一の解決策であることを示している。」

終戦のエンペラー 岡本嗣郎 一部抜粋

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「黄金のバンタム」を破った男 百田尚樹

(読書感想記)
ボクは想いだした。3年以上前のマラソンレースのことだ。
その日が刻一刻と近づいてくると、自分のまわりの重力だけが
メフィラス星人(ウルトラマン)によって狂わされたように、やたらと
ふわふわしている。どこかの変なところに入ってしまった精神は、
どうしたらいいのか、どこにいれば良いのか、どこの場所なら落ち
着けるのか、その居場所が分からずに彷徨っていたのだ。

受験とか、就職試験の前とか、そういうときの気持ちとは異質だ。
とにかく、あんな気持ちになったのは生まれて初めてだった。
あの時の心境を、ありきたりな凡庸な表現をすれば、”不安と期待
でいっぱい”なんだろうけど、もう少しグッと踏み込んで考えてみたい。

まず不安の正体とは何か?これを、ひとつ1つ挙げたらキリがなく
たとえば天候、交通手段、着替など、人生イロイロとあるんだけど
やっぱり一番大きいのは”結果について”に尽きる。たぶん誰でも。
しかし結果を考える行為にリスクがあるのは、当たり前である。

結果思考型の過程と落とし穴は、このようになるだろう。
結果を考えて・・・不安になり・・・冷静さ失う・・・やるべきこと(ペース)
ができない(冷静じゃない)・・・本来の力がだせない・・・結果が悪い

そこでだ、そんなひとは、このように考えたらどうだろうか。
レースとは、これまでの練習が正しいかどうかの、発表会である。
つまり、練習の合否を確認(検証)するだけの、公式な発表会だ。
もし結果が良くなかったら、それは練習が良くなかった、という貴重
な資料が得られる訳だし、そうしたらそれを参考にして、これからの
練習を変えればいい。ただ、それだけのことである。

そう、レースとは公式な発表会だ。こんな楽しいことはない。
あと5日、あと4日・・・・・・いよいよ、あと1日、なんてCMがあった。
そう、日産初の軽自動車、DAYZ(デイズ)の発表会みたいなもんだ。

やっと発散できるんだ。楽しくないはずないじゃないか。
あのマラソン、スタートラインのボクは、そんな気持ちだった。
もし結果が悪かったら、そんなのボクのせいじゃないし・・・・・。
そのときは練習メニューが悪かった、というだけのこと。
それに、ボクの自前の練習メニューじゃないし(ずるいねぇ〜


打たれても打たれても前に出る男は、こんなにも美しい――
敗戦から十余年、十九歳で世界王座についたファイティング原田。
三年後、史上最強と言われていた「黄金のバンタム」 エデル・ジョフレ
を破り、日本人初の二階級制覇。だが 時代の寵児となった原田の前
に、世界の強豪が立ちはだかる。1960年代、日本人を熱狂させた
男の戦いを描きつつ、昭和の“熱"を見事再現した傑作ノンフィクション。


原田にインタビューした時、彼は非常に印象的な言葉を何度も口に
していた。それは「試合をするのが楽しくてしかたがなかった」という
ものだ。試合が怖くなかったのですかと聞くと、彼は愉快そうに「怖い
ことなんか全然ないよ」と答えた。「苦しい練習を積み重ねてきて、
それをやっと発散できるんだ。楽しくないはずないじゃないか」

こう言い切れるほど、原田の練習量は凄かった。もちろん個々の
性格による違いはあるが、思う存分に練習をした男だけが、こう
いう境地になれるのかもしれない

「黄金のバンタム」を破った男 P115〜116の一部抜粋


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