KAZUの完全復活を目指して

平成23年1月1日元旦の午前1時 年越しJOGの途中で転倒して大怪我をした。 大腿部と手首の骨折〜救急車の搬送〜2回の入院と手術を経て2月9日に退院。 そして退院後のリハビリ通院は79回をもって、平成23年6月29日に終了した。 さぁこれから、ここから、どこまで出来るのか、本当に復活(完全)出来るのか? 本気でヤルのか、情熱を注げるのか、そして過去を超えられるのか? 質問と疑問に対して、正々堂々と、決して逃げずに、答えを出してみよう。 こういう人生を、こういう生き方を、思い切り楽しんでみよう。 KAZUさんよ、タイトルに負けるなよ!

ローリングストーンズ

24年ぶりのローリングストーンズ(アンコール1)

二日酔いの朝に、天ぷら油の匂いが鼻孔を刺したように

立ちっぱなしの15分が経過すると、心配していた懸念の左脚が張ってきた。
或いはそういう気がしただけ、かもしれない。かもなんばん(南蛮)のように。
とにかくそのときのボクは、待ちに待った24年ぶりのローリングストーンズと
ミックジャガーを、心の底から純粋に楽しんでいるとは言えなかった。
次第にスピードが加速していく5万人が乗り込んだ巨大なバスに、ボクは乗り
遅れる。立ち上がる、そして、ときどき座る。そしてまた立ち会がり、また座る。


そのときに、ふと思い出した。それは最近になって自分が心がけていることだ。
他人の視線とか、自分がどう思われるとか、そういうことをイチイチ気にするのは
馬鹿らしいので止めよう。東京ドーム5万カンの1つ、ボクはかんぴょう巻きなんだ。
立っていようと座っていようと、かんぴょう巻が曲がっていようと腐っていようと、
だれもそんなことに興味も関心もない。アジの開きのように、ボクは開きなおる。
座りたければ座ればいいじゃないか。それにそもそも椅子というのは、座るために
存在するのだ。座らない椅子なら、座れる空気椅子の方が、まだ実用的なのだ。
座らない椅子なんて、まさしく絵に描いた椅子なのだ。ごめん、餅だった。

人生は自分の好きなように生きる。ラーメンにする、それとも、つけ麺にする?
もうそんなことで迷うのは止めようと思った。ボクは、迷わず座席に座った。
そのとき、アッと思った。足元の床が、ドカンドカンと激しく揺れるているのだ。
立っているときは少しも感じないのに、こうやって座ってみると、嫌というほどの
震動が、まるで教師びんびん物語のように下腹にビンビンに感じてくるのだ。
悩み事を隠すの案外へただね!最初はそう思ったのだが、そうではなかった。
不二家ネクターのピーチ缶のように、そんなに甘っちょろくはなかったのだ。
ドスンドスン〜ズンズン〜震動は座っているボクを激しく罵(ののし)ったのだ。
”なにやってんだ、何しに来たんだ、そこの親爺さん!しけたツラしやがって!”

まったくいい歳して大人げないのだが、二日酔いの朝に天ぷら油の匂いが鼻孔
を刺したように、そのときボクは、思わずムカッ〜ムカッ〜ときたのだ。
「そういう言い方はないじゃない?しけた煎餅のように、なにも好きでしけた顔を
してる訳じゃないんだって、ひとには分からないだろうけど左脚の調子がねぇ...」
東京ドームに来ているのに、ストーンズなのに、ボクは何をいじけているのだろう。
こんなことじゃダメなんだ。激安ヒラキの靴のように、もっと大胆にヒラキ直るのだ。
そうやって考えていたら、ある素晴らしいアイデアが、ぱっと浮かんできた.....。

まずはとにかく始めること。どのアイデアが最終的に実を結んで、
どのアイデアが実を結ばないか、確かめる方法なんてないんだから。
できるかぎりいろんなことをとにかくやってみること。
そうすれば、そのアイデアがまた別のアイデアを引き寄せる。
何かをやってみて、それがろくでもないアイデアだとわかったとき、
きみはもとの場所に戻ることは絶対にない。
必ず、何かを学ぶからだ。学ぶべきことが何もなかった場合は、
その前にしていたことに高い価値をおくべきだってこと。
そういう意味で僕は、試してみることに失敗はない、
というのは真実だと思っている。
デイル・ドーテン(実業家・コラムニスト、自己啓発書作家、1950〜)
『仕事は楽しいかね?』


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24年ぶりのローリングストーンズ(後編の後)

座席に座ることは、”ダメだぁ〜こりゃ〜”

2014.2.26(水)18:35 東京ドームの1階1塁側の青スタンド席に座る。
特設ステージの正面にボクの席は位置しているが、そこは中田翔が
打ったホームランと同じくらいの長〜い距離がある。ノープロブレム。
なぜなら、バックステージにある巨大な高画質オーロラビジョンは、
こう叫んでいるのだ。”そこの5万個の米つぶしょくん!キョロキョロ
よそ見をするなよ。いいかい、オレ(大画面)だけをじっと見ていれば
いいのだ!それは、ただのロックンロールだけど、それが好きさぁ!”
うん?何だか、どこかで聞いたような言い回しだと思った。しかしまぁ、
ドームコンサートとは、なるほど、オーロラくんのおっしゃる通りなのだ。

開演前は独特の緊張感がある。ざわざわしたり、そわそわしたりする。
セブンイレブンで買った、おにぎり(焼飯)と納豆巻きを食べようとするが
ボクのマラソン(復活)のように、それがなかなか思うように行かない。
1〜2〜3の順番に従ってビニールを剥がすだけなのに、まるで気の小さい
万引親爺のように、視線が近くと遠いところを行ったり来たりするので、
こぼれていることに気付かずに、手のひらに納豆がねっとりとくっついた。
何を焦っているのだろうと考えながら、ボクは糸を引いた納豆の右手を
卑しい犬みたいにペロペロと舐めながら、温かい爽健美茶で流し込んだ。

いまさらながら、自分で自分のした行為を上品じゃないなぁ、と思った。
リチャード・クレイダーマンを観にいく成城学園駅の紳士は、こういうこと
は絶対にしないだろうと思った。成城学園駅と言えば、女子学生専用の
高級マンションがあり、19歳の頃に数回訪ねた(宿泊)ことがあったが、
あれ以来一度も成城学園に行っていない。ごめん、余計なことだった。

午後6時55分、この馬鹿でかい東京ドームは既にぎっしりと満員だった。
まるで大きな寿司桶に入った気分だ。これでもかっていうぐらいに、ぎゅう
ぎゅうに詰め込まれた寿司ネタ5万カンの1カン、ボクはかんぴょう巻きだ。
そして、すし詰め状態の場内の照明が少しだけ暗くなると、5万の寿司ネタ
は、まるで炊き上がった炊飯器のように、一斉にプシュ〜と叫びだした。

うわぁ〜グワァ〜うおぉ〜グワァ〜ウオォ〜地鳴り〜地響き〜渦巻く歓声。
スタートミーアップ!とミックが叫んだ瞬間に5万の大観衆は総立ちになる。
ボクも立ち上がる。あぁ〜あぁ〜嫌だなぁ〜事前に恐れていた事態なのだ。
最初からこれでは、つまり、立ったままの2時間30分になってしまうリアル。

個人的なことだが、ボクは左脚に不安がある。たとえば、60分間をゆっくり
走るのは日常的行為であり大丈夫なのだが、”2時間30分を立ちっぱなし”
は、ちょっと不安を感じる。ただ立っているだけじゃないかと思うだろうが、
いつもと違う筋肉を長時間続けて使うリスク(不安)は、ボクのように怪我を
経験して完全な完治に至らない者は、それを敏感に考え恐れてしまうのだ。

”オヒサシブリデス”、とミックが話し出したときに、試しにボクは座ってみた。
ダメだった。まるでロシアの美し過ぎる女子バレーボール選手がアタックを
ブロックしているみたいに、人々の壁が邪魔して、何にも見えやしないのだ。
いや正確に言えば、人の背中とお尻が小刻みに揺れるは、よ〜く見える。
しかし、ここでそんなことをいちいち説明するまでもないのだが、ぷるぷると
揺れるお尻を2時間30分眺めるために、わざわざ東京ドームに来た訳では
ないのだ。もちろん、他のひとの気持ちを、たとえば尻フェチの人の感覚とか
そういうのはまったく分からないのだが、少なくてもボクはそうだった。
いかりや長介ではないが、座席に座ることは、”ダメだぁ〜こりゃ〜”、だった。
(24年ぶりのローリングストーンズ、アンコールへ続く)

昨晩東京ドームでのライブは最高だったよ!
みんなの素敵な衣装も目に入ったしね!
次回はもっと日本語がんばれるようにするよ!

Mick Jagger  2014.2.27のfacebookより転記

https://www.facebook.com/mickjaggerofficial
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24年ぶりのローリングストーンズ(後編の中)

僭越(せんえつ)ながら、ミックジャガーにエールを!

1990年2月14日東京ドーム公演のあと、我々は居酒屋で呑んでいた。
このとき誰が考えただろうか。ボクが4年後に真っ先に会社を辞める。
9年後には不動産屋を開業する。さらに20〜24年後に発生すること。
49歳のフルマラソン完走(サブスリー)、50歳の大腿骨骨折と手首骨折。
そしてさらに、24年後に24年ぶりのローリングストーンズを観ること。
神様は知っていただろうか、お釈迦様は存じ上げていたのだろうか。

1990年2月 ミックジャガー(音楽家 46歳)・佐藤和哉(会社員29歳)
2014年2月 ミックジャガー(音楽家 70歳)・佐藤和哉(自営業53歳)

光陰矢のごとし。タイムマシンに乗ったように、あるいは亀の背中に乗り
竜宮城まで行ってきたように、気の遠くなる24年という歳月がアっという
間に過ぎ去った。この24年間に何がおこったのか、推して知るべし。
NHKテレビの紅白歌合戦は24回放送される。大晦日の夜には2592回
(108×24)煩悩の鐘を打ち鳴らす。あの鐘を鳴らすのは〜あな〜たぁ〜

ソチ五輪で日本中が涙した1990年生まれの浅田真央は24歳。
29歳のサラリーマンは、53歳の零細自営業に転身(転落)していた。
46歳のミックジャガーは、コキナナジュッサイ(古希70歳)。
著名人70歳、関口宏・樹木希林・橋幸夫・加藤登紀子・ミックジャガー

1943年(昭和18年)いまから70年前の出来事
02月01日 ガダルカナル島から日本軍撤退
02月02日 スターリングラード攻防戦でソ連軍に包囲されていたドイツ軍が降伏
04月18日 山本五十六大将、米軍機の攻撃を受け戦死
07月25日 イタリアでムッソリーニ総統が失脚、ピエトロ・バドリオが首相就任
05月29日 米領アリューシャン列島のアッツ島で日本海軍の守備隊が玉砕
07月26日 ミック・ジャガーの誕生(イングランドケント州ダートフォード)

10月21日 学徒出陣壮行会挙行(明治神宮外苑競技場)
11月18日 イギリス空軍440機によるベルリン空襲
11月28日 ルーズベルト・チャーチル・蒋介石の米英中首脳によるカイロ会談
12月18日 キース・リチャーズの誕生(イングランドケント州ダートフォード)
12月24日 徴兵年齢を1歳引き下げ満19歳からとする。第84議会召集

1943年から70年、しつこいようだが、つまりミックジャガー70歳。
2014年2月26日(水)、ローリングストーンズの東京ドーム公演(初日)

いざ東京ドームへ、24年ぶりのローリングストーンズ公演に行く。
ボクはこう思った。たぶん、ストーンズは以前と変わっていないだろう。
ミックジャガーは、ステージ上では、いままでと同じパフォーマンスを魅せるだろう。
彼らのキャリア、彼らのプライドに掛けて、衰えたところなんか、見せないはずだ。
そういうことは、あらかじめ予想していたし、頭ではちゃんと分かっていた。

生まれ持った気質とか個性は、変えられるものではない。
個性は、変えるものではなく、磨くものだ。
その磨かれた個性が、“魅力”になるんだよ。
そして、この魅力が“自信”になる。
自分を変えたいという希望は、誰でも持つものだが、
“変わる”のではなく、個性を磨いて“成長”していくんだ。
外見は、変身することができるが、内面は変身できない。
ただ、成長した自分を、“変わったな”と、思えるだけなんだよ。
リチャード・H・モリタ(カウンセラー、オリソン・マーデン財団日本支部理事長、1963〜)
『自分らしく成功する6つのレッスン─自分の中の天才を見つける技術』

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24年ぶりのローリングストーンズ(後編の前)

ストーンズの初来日、24年前の東京ドーム公演の初日

熱狂コンサートが終わり、4人のサラリーマンは次の移動先へ急いだ。
通勤ラッシュの時間帯にポイント故障が発生したように、人混みをかき
分けながら職場の3人とボクは、水道橋にある最高級でも大衆でもなく
中の下(価格)身の丈に合った居酒屋に入る。その我々の全部の顔が
いつもとは明らかに違った。まだ乾杯前なのに、まだ生ビールを飲む前
なのに、まるで過呼吸の茹でタコみたいに、その顔に赤味がさしていた。

さっき終わったばかりのローリングストーンズの余韻が色濃く残っていた。
そして同時に我々は、誰かに何かをすっと引き抜かれたように、ぐったりと
疲れ切っていた。まるで、自販機で買ったスーパードライを持ち込んだ
ラブホ帰りのケチで鼻の下の長〜い不倫男のようだった。

丸い顔と四角いメガネ、丸い体型のSさん(27歳)は中ジョキをぐびぐびと
一気に半分飲み干した。そして興奮したタコさんみたいに熱く語り始めた。
「ミックジャガーって46歳なんですよ、もうすぐ50歳のジジイじゃないっすか
あんなに走り回るなんて、それあり得ないですよね、っうか異常ですよぉ」
(Sさんの言う通り。しかし彼のキャラとストーンズには違和感を覚える)

今度は四角い顔に丸いメガネをしているCさん(26歳)がバトンを受けた。
「彼らはランニングしているらしいですよ、ちゃんと鍛えているんですよ」
そう言いながら、枝豆を右手でがばっと掴んで口の中に続けて放り込む。
(Cさんのキャラはストーンズより、どちらかと言うとオフコースだと思う)
カラオケでは「愛は勝つ」を熱唱する最年長31歳Kさんが、あとを続いた。
「腐るほどお金があるのに、どうして日本なんかに来たんですかねぇ〜」
(確かにそうだと思う。ではどうして我々は、こうして観に来たのだろう)

あの頃の僕たちは若かった。(もちろん、相対的に今の53歳と比べたら)
しかし、あの頃の僕たちは疲れていた。ヒロイ意味で言えばヒロウだった。
20代の後半とは、男性が体力の低下をはじめて実感する時期である。

頭髪の絶対数は顕著に減少する。性格は相変わらず角ばっているのに、
体型だけは躊躇なく丸くなる。以前のようにはブレーキが効かないのだ。
昨日の仕事が残る。昨日の疲れが取れない。昨夜のお酒が翌朝に残る。
そのくせ、ちっとも残らない財布のお金。増えない貯蓄額と増えていく
カード残高。仕事のノルマはハッキリしているのに、人生の目標は何にも
見えない。まるで深夜の東京湾の底のヘドロのように、血液はドロドロに
なり、肌はカサカサになり、疲れたダボハゼみたいに真っ暗なのだ。

若いころには何も意識しなくても、まるで草津温泉のように自然に湧き上
がってきたアノ元気がないのだ。昔のような、若い頃の体力がないのだ。
エンジンは以前と変わらない軽自動車なのに、もっと気合入れて加速しろ
とプレッシャーをかけられる。ぴたっと止まれと言われても、肝心のブレーキ
がすり減ってきて、腹回りのようにだらしなく緩んできて思うようにならない。

いやぁ〜こどもの頃の夢なんて、そんなの馬鹿馬鹿しくて笑っちゃいますよ。
えぇそうです。大人なんて、社会人なんて、現実なんてぇ〜こんなもんです。
えぇ〜たしかにそれは否定しませんよ。っうか、それは否定できないですよ。

たしかに恰好悪いですよ。でもねぇ〜そういうのって〜みんな同じでしょう。
多少の差はあるにしても50歩100歩とか、どんぐりの背比べじゃないっすか。
学生の頃はねぇ、サークルのお遊びですが、ギターは少しだけやりました。
じゃっ・じゃっ・じゃぁ〜、って奴です。スモーク・オン・ザ・ウオーターですよォ。
今ですかぁ〜そんなのやりませんよ、時間もお金も全然ないじゃないですか。
スポーツですか?中学生のときに少しだけやりましたよ、クラブ活動ですよ。
高校になったら〜えぇ〜やりません。だって、スポーツ刈りは嫌ですからねぇ。

肝機能、中性脂肪とコレステロールですよ。運動不足なのは分かってます。
でもねぇ〜これから〜この身体で運動始めるなんて〜それは無理ですよねぇ。
もう30ですからねぇ、学生時代のような体力はないし、無理効かないですよ。
46歳のミックジャガーは凄いですよねぇ。ちょっと〜考えられないですよねぇ。


世の中はいつの時代も矛盾に満ちています。
特に若い人たちは矛盾に敏感ですが、そこから逃げてはいけません。
その矛盾に立ち向かってこそ、自分の人生を作ることができるんです。
人間は生まれる時代も、場所も、自分で選ぶわけにはいきません。
いつ、どこにいてもそこで幸福になれないようでは駄目です。

大林宣彦(映画監督、1938〜)

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24年ぶりのローリングストーンズ(中編)

悲しいけど、これが会社員というリアル&デストニー

スポーツクラブ(飯田橋)は午前6時30分にオープン(当時)する。
開店に一番乗り、筋トレで身体を絞り、シャワーを浴びてスッキリ。
午前7時55分にキリン一番搾り、ゴメン、カイシャ一番乗り。

電気をカチカチとONにする。濡らしたゾウキンで、自分の机をキレイに拭く。
一人ぼっちのオフィスで仕事を始める。8:00〜8:45の45分間は、世界に1つ
だけのゴールデンタイム。他のひとが出社する前に、他の人が2時間かけて
やる仕事を45分間で片づける。優先順位と効率が、自分の仕事スタイルだ。

チキータバナナみたいな総武線に揺られているとき、ベンチプレスの太いベルト
を腰に巻くとき、栄養ドリンクを飲んでいるとき、ボクはまず仕事のことを考える。
アレを片付けてから、アッチをやって、アソコまでは今日中に終わらせる。

千葉支店で抜群の実績をだした佐藤主任に、ここの命運がかかっているのだ。
この特別なプロジェクトは、たんに関東地区だけの問題ではなく、会社としての
試金石、つまり今後の経営の方向性を左右するのだ。大きな責任があるのだ。
だから、私は君を選んだのだ。ところで佐藤しゅにん、まだ結婚しないのかね。

まわりのひとよりボクは努力をした(つもり)。そして結果を出したから、成果の
報酬を会社から受けるのは当然の権利だ。自信があったし、おごりもあった。
会社の待遇、仕事、上司等に不満を持っている奴等の気持ちが、分かるようで
分からなかった。文句があるなら、もっと頑張れば良いじゃないか。上司が気に
いらないなら、まず実績を出して上司を追い抜いたら良いじゃないか。ボクは、
君たちより1時間早く出社して仕事を始めているんだ。コムサを着ているんだ。

しかし新しい変化は、新しい問題を誘発する。いままで先輩だった社員(年上)
が、ある日を境(人事)にして自分の部下になる。相手の立場から言えば、自分
の後輩が上司に。それは当然ながら、突然のぎっくり腰のように、ぎくしゃくする。
こちらと相手の飛び方、呼ばれ方に、苦い薬を飲み込んだような違和感を感じる。

椅子が変わって、名刺が変わって、ホワイトボードの名前順が入れ替わって、
あわてたアヒルはグワァ〜グワァ〜鳴いて、人間関係が大急ぎで入れ替わる。
戦後日本を急成長させた形態である、終身雇用と年功序列の崩壊が始まる。
これが終わりの始まり。悲しいけど、これが会社員というリアル&デストニー。

気軽に馬鹿(愚痴)を言い合った同期入社の部下に対しても、やはりそれなりに
気を使うようになる。気を使う、神経を使う、距離ができる。これがストレスになる。
会社と仕事がだんだん楽しくなると同時に、或いはその果実の報酬と交換取引
のように、ボクはだんだんと疲れるようになる。あと1年で30歳、あと2年で31歳。
24年だと53歳。健康に必要のない余分な贅肉が付き始めた29歳の主任さん。

しかし、ずっしりと重たくなったのは、自分の身体(体重)だけではなかった。
肩パット入りの両肩に、肉眼では見えない何かが乗っている。乗せられている。
それは守護霊ではない。白い恋人でもないし、白いフケでも白いブランコでもない。
肩に乗っているのは、真っ白なジューアツ(重圧)と真っ赤なセキニン(責任)だ。
こんなに重たいモノを乗せやがってとボクは不満を言いながら、ほくそ笑んだ。
会社にとって、自分にとって、もの凄く重要な仕事にボクは全力で打ち込んだ。
とても辛かったし、かなり疲れていた。同時に楽しかったし、すごく元気だった。

なんだかんだ言いながら、ボクのサラリーマン生活は成功していると思った。
課長 島耕作みたいに、順調に出世するかもしれないし、しないかもしれない。
もちろんそれは大きな勘違い。あきらかなに錯誤であり、完全なる錯覚だった。
(この4年後に、このボクが辞表を出すなんて、いったい誰が想像できただろう)
日本はバブルの絶頂だったし、ボクのサラリーマン評価もピークを迎えていた。

そんなときに、彼らがやってきた。
世界一のロックンロールバンド、ローリング・ストーンズの初来日である。

人に認められたいなんて思わないで、己を貫くんだね。
でなきゃ、自分を賭けてやっていくことを見つけることは出来ないんだ。
岡本太郎(芸術家、1911〜1996)『強く生きる言葉』


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