KAZUの完全復活を目指して

平成23年1月1日元旦の午前1時 年越しJOGの途中で転倒して大怪我をした。 大腿部と手首の骨折〜救急車の搬送〜2回の入院と手術を経て2月9日に退院。 そして退院後のリハビリ通院は79回をもって、平成23年6月29日に終了した。 さぁこれから、ここから、どこまで出来るのか、本当に復活(完全)出来るのか? 本気でヤルのか、情熱を注げるのか、そして過去を超えられるのか? 質問と疑問に対して、正々堂々と、決して逃げずに、答えを出してみよう。 こういう人生を、こういう生き方を、思い切り楽しんでみよう。 KAZUさんよ、タイトルに負けるなよ!

手話サークル

手話検定試験の3級に挑戦すること(4)

利害関係のない人たちに対して当たり前に優しくできるのか?
こういうことが、その人の優しさ(強さ)の本質だと僕は思う。


現地へ行くまでに、いろいろなことを考えていた。ボランティアへ行くのに
8,000円を支払うこと、東京にいながら義援金8,000円だけを送金すること。
義援金か、ボランティアか?現実問題として、どちらが良いのだろう?
こんなことを考えているようだから、僕はダメなんだと(事後に)痛感する。

(ボランティアバスが宮城県七ヶ浜へ向かう)
どんよりと白み始める東の空、僕は何気なくバスの中を見回してみる。
ほとんどの人が起きている。そのほとんどの人が窓の外を凝視している。
これだけの人(40人くらい)がいながら誰もが寡黙であり口数は少なかった。
いろいろな感情が噴出してきた。僕は何か大きなものに跳ね返されていた。
目の当たりにしたもの、そこは当たり前のことがアタリマエでなくった現実が
灰色の雨雲のように覆いつくしていた。アタリマエでない非日常の状況に
対して、これからの生活として非日常を受け入れなければいけない。
つまり、非日常=日常=現実という事実である。

この状況を理不尽と表現するより、これでは余りにも不公平だと思った。
同じ時代に、同じ日本に生まれて、同じように生活していただけである。
ただ1つ、住んでいた場所が違うという、たったそれだけなのに。

2011年8月5日(金)午前8時15分、京成バスが現地のボランティアセンター
の駐車場に到着するところで、黄色のヘルメットを被り、スコップを持ちながら
歩いている20人くらいの若者の集団が見えた。そこには、全員で1つの方向
に向かっていくときに見られる集団行動の連帯感と力強い熱気を感じさせた。
それはカッコよかったし、すごく羨ましいと思った。こういう情熱を持ち合わせた
経験がなかった。少なくても僕が若者(バカ者)だった頃には...。

そこは生涯学習センターという町営施設だった。まず目に飛び込んだのは
ところ狭しと咲き乱れていたアジサイの花のような色鮮やかなテントである。
そこには大きいものから、マラソン大会で見られるような一人か二人用の
小さなテントまであった。そのテントの綺麗な光沢は、言葉を必要としない
色彩と腹をくくったときの覚悟を感じさせる。テントを見たら分かるのだ。

そのことを僕は一瞬で理解できたし、同時に自分への劣等感を喚起させた。
ここで改めて説明するまでもないが、こういうことだ。そこにあるテントとは
そこで寝泊りをしながら、毎日ボランィアをしている人たちの住居である。
そういう継続的なボランティア生活がどんなものであるのか、という意味だ。
ところが、数時間前の僕はバスの車中泊(狭さ)に辟易としていたリアル。
「へぇ〜、アンタさぁ〜東京から、わざわざここまで観光気分で来たのかい?」
と言われたようだった。

ここまできて、事ここに及んでから、僕はようやく気が付いたような気がした。
しかしそれはまだ”気がした”だけだった。この1時間後に痛感することになる。
そこで僕はハッとする、ボランティアセンターのリーダーからの注意事項に。
ちゃんと考えているつもりだったが、実際にはちっとも考えていなかったことに。
このときの体験が、自分自身のターニングポイントになったのは間違いない。

"put yourself in their shoes.「相手の靴に、自分の身をおいてみなさい」

みんな、あまりに考えないで生きている。
それは恐ろしいことです。
考えていないことにすら気づいていない。
何も見ようとせずに生活しているし、
苦しいことから目を背けようとしている。
丸山和也(弁護士、参議院議員、タレント、1946〜)『プロ論。2』

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手話検定試験の3級に挑戦すること(3)

連続性と継続性は、環境における順応性とともに意識の硬直化を促進させる。
「意識の硬直化」、いったい何のことかって?うん。ごく日常的な当たり前の
日本言語に置き換える。意識の硬直化とは、つまり「ア・タ・リ・マ・エ」である。
平穏無事な日常生活をおくっている我々の多く(自分含む)は、このような毎日
が繰り返されるのが当たり前になり、それを総じてふつうの生活と呼んでいる。

しかし一方では、普通の生活というものが未来永劫に続いていくとは誰ひとり
考えない。なぜなら神様は、この世に永遠の愛が存在することを交換条件として
永遠の生命を否決したのだから。そのことは、あらゆる生命体を含んだ地球全体
が共有する認識だ。オケラだってミミズだって、ニンゲンだって知っていることだ。
すべての人間が知っている。しかし、すべての人間が分かっているかと言えば
まったく話しは別である。知ってること=分かっている、ではない。ここのところが
あらゆる諸問題の対応が乖離する根幹(本質)なのだ。

手話の勉強を始めるキッカケ(要因)の1つについて僕が語ること

まるで10円饅頭20個入りみたいにギュウギュウだった。僕の長くない足元には
これっぽっちの余裕もなかった。それは脚だけではなかった。バーに肘を乗せる
と隣りに座る初老男性(初対面)の腕に触れることができた。もちろん触れたい
とは思っていない。そういう趣味は持ち合わせていない。ふ〜、やれやれ....。

僕の人生は下らない嘘が多いが、たまに馬鹿正直な感想を述べる、こともある。
ちえっ、まったく何て狭苦しいバスなんだ。いや30分くらいの乗車だったらいい。
わざわざ座らなくてもいい。だけど今回は、だから今夜は、このバスで寝る。
いや、寝なくてはいけないのだ。これ、つまり車中泊、バスの中で一晩寝ること。

そして、朝になると現地へ到着する。現地で解散ですか?ちゃうちゃう、いまから
おっさん、寝ぼけんといてや。現地で過酷な肉体労働があんたらを待っているや。
いや悪かった。こういうものの言い方は極めて不健全であり、あきらかに不適切。
芸人さんのブログなら大炎上ってやつだ。なぜなら、僕は自ら望んでここに来た。
自分の意志で金8,000円を支払う。大きなリュックには軍手とマスク、安全長靴、
タンスの肥やしの古着(着替え)を押し込んで、この狭苦しい満員長距離の京成
バス(貸切)に乗り込んだのは、それは誰かと言えば自分自身の意志なのだ。

宮城県七ヶ浜 ボランティアバスツアー(車中泊 日帰り)について
2011年8月4日(木)〜6日(土) 主催:京成バス
22:30〜23:30 葛西駅よりバスに乗り込む、秋葉原を経由して京成上野駅
最初に添乗員さんが言ったことば、 ”ようこそ地獄のツアーへ”
23:30〜08:15 車中泊〜宮城県七ヶ浜 ボランティアセンターに到着
10:00〜12:00 ボランティア/戸建住宅のガレキ撤去
12:00〜13:00 昼食/500円お弁当(自腹)
13:00〜14:30 ボランティア/戸建住宅のガレキ撤去
14:30〜15:30 作業終了、海岸を見学する。着替えて七ヶ浜を出発
15:30〜21:45 バス〜秋葉原に到着、リュック背負いJR新小岩駅へ
21:45〜22:20 JR新小岩駅から妻のお迎えで自宅へ到着する
23:30〜07:50 自宅での睡眠は、泥の塊(かたまり)のような深い眠り
08:10〜08:30 入浴後に朝食、8:15 原爆の投下時間、家族で1分間黙祷
09:20〜18:00 いつも通り、8月6日(土)仕事して帰宅する

ボランティアバスツアーに参加する。骨折した脚を引きずり、僕は参加する。
よい状態ではなかった左脚(大腿骨骨折)はあきらかに、さらに悪くなる。
しかし、そんなことはどうでもいいことだった。バスの座席周りがコンパクトだ
として、路面震動や同乗者のいびき等で良質な睡眠がとれなかったとして、
怪我した脚の回復が1か月遅くなったとして、それはおしなべて大した問題
ではなかった。そういうマイナス面を補って、まだまだ余りあるような素晴しい
体験をしたのが、いまから4年前の自分だった。(続く)

日本の記者がロジャー・フェデラーにインタビューしたときに
「なぜ日本のテニス界には世界的な選手が出てこないのか」
と聞いたらしいんです。するとフェデラーは
「何を言っているんだ君は? 日本には国枝慎吾がいるじゃないか!」
と答えたというのです。スポーツジャーナリスト/二宮 清純


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手話検定試験の3級に挑戦すること(2)

人見知りとは[名]子供などが知らない人を見て恥ずかしがったり嫌ったりすること。

人見知りの手話、「人+見る+分かる」を3つ続けてあらわす。
ひと・・・・・人差し指で、前に向かって漢字の”人”という字を書く
見る・・・・・人差し指+中指(ちょき)を顔の辺りで前方へ指すように
分る・・・・・手のひら(ぱぁ)を胸に当てて少し下におろす

ヒ・ト・ミ・シ・リ。人見知りという言葉の響きが恰好わるいと20代の前半は
”自分はシャイなんです”。しかし、さすがに54歳になって”僕ちゃんはシャイ
でナイーブなんでちゅう”なんて戯言を言ったら、だれにも相手にされない。
(いや正確には、そういうことを言っても言わなくても相手されていないが)
赤い生姜が無くなれば牛丼屋さんは困る、しょうがないことを言うのはやめだ。

手話ができない人見知り54歳が手話サークルに入る。そしてようやく気づく。
重要な事実に、当然の真実に、当たり前の現実に、そして僕は愕然とする。
手話サークルに集まって手話の学習をするのに、手話をするのに、更なる
レベルアップを目指しているのに、それなのに手話ができない54歳。もちろん
人それぞれのレベルの差はあるにしても、僕の場合は妖怪人間レベルゼロ。
僕だけが突出している。東京ブルーストーリー、あるいは東京真逆スカイツリー
のように、僕だけが飛びぬけて手話ができない。それがどうしたんだい?
いま、あなたはそう考えたかもしれない。なにも考えなかったかもしれない。

一例としてこういうことだ。自分を含めて全部で14人が手話サークルに集まる。
これ、いつものグループ学習。お値段以上のニトリで2980円で売っているような
長い合板テーブルを2つくっつけて、そのまわりに椅子を並べる。並べた椅子に
すわる。全員が向かい合う。火曜日の営業会議のように、保険会社の棒グラフ
のように、そこは違いとレベルがとっても分かりやすい、シンプル&リアルタイム。

こうしてひとり一人が順番に手話をするから、各々の手話レベルが一目瞭然だ。
たとえ隠したくても隠しようがない、見えすぎちゃって困るマスプロアンテナ状態。
すべて分かる。昨夜飲んだのはビール、発泡酒、第3のビールか、それも分かる。
ワカル=バレル。全員が見えるイコール、全員から見られている状態である。

ここでの基準は当然のことながら手話である。年齢、性別など一切関係がない。
マラソンを走った経験があるとか、お立ち台でブイブイいわせたとか、節税対策、
紫外線対策、アンチエイジング、アンチジャイアンツなどは手話とは無関係だ。
こういう状態で約2時間の学習がスタートする。各自に配られた手話の学習資料
を見ながら、ひとり一人が順番に手話を表現する。トランプみたいなパスはなし。
自分が手話をするときは、瀬戸内海の大石先生よろしく、”24の瞳”が見つめる。
穴が空くように見つめる、見つめられる、そのキラキラした、瞳はダイヤモンド。
聖子ちゃんの歌が上手い下手か、残念ながら関係ない。ここは手話サークルだ。

だから「手話ができない(全然)とつらいよ」である。そして同時に、もう1つある。
「男はつらいよ」である。男性の参加者は(ここのところ)僕を含めて二人だけだ。
つまり、12人キラキラした24の瞳は女性なのだ。これでお分かりだろう。
手話のできる24の瞳からじ〜くりと見つめられるときの手話のほとんど出来ない
54歳の気持ちがどういうものか......。

ただ恥ずかしいから、どえらいカッコ悪いから、そんなことを言いながら目の前の
現実から尻尾を巻いて逃げてしまう....。(でもバックれるのは恥ずかしくない?)
それとも、未来の現実を肯定するために自分の中にある少しばかりの勇気に
手を突っ込んで引っ張りだすのか、そこから懸命に振り絞ろうとするのか。
でもこれ、別に難しいことじゃない、とくに珍しいことでもない。だってこうのって
よくあるケースじゃない。そう、いつものありきたりの選択肢であり、これはその1
つにすぎない。さて君の本当の本心(理想)は、どちらの道を進みたいのだろう。
そして今回の選択肢に対して、いったい君はどちらの道を選ぶのだろう。

ほんのすこしばかり勇気に欠けていたために、
多くの才能ある人々が一生功を成すことなく終わっている。
思いきって着手する勇気がなかったために一生無名に終わった、
大勢の人間が毎日墓場へ送られる。
こうした人々も実行に取りかかる決断さえついていれば、
おそらく名声をあげていただろう。
もし人に認められるようなことを行いたければ、
寒さや危険を恐れて、ぼんやりと立ちすくんでいては駄目だ。
思いきって飛び込んで全力を尽くして泳ぎ渡れ!
これが冷厳な現実である。
たえず危険を見積もって、小手先の調整ばかりしていては駄目だ。
シドニー・スミス(イギリスの詩人・作家、聖職者、1771〜1845)

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手話検定試験の3級に挑戦すること(1)

第9回 全国手話検定試験 3級試験日 平成26年10月12日(日)
◎試してみませんか?あなたのコミュニケーション能力
◎試験内容 実技試験のみ   ◎受験のめやす 手話学習1年半くらいの方
◎単語数約800〜1000程度   ◎受験料4,320円

"佐藤さんに、手話検定試験のチラシを1枚差し上げて下さい"
キッカケは、手話サークルの女性(手話通訳士)のひと声だった。

それまでの僕は、手話の検定試験や手話通訳士の資格を取ろうという気持ちは
潔癖症の河童の上頭部のようにホワイトであり、サラサラなかった。手話の勉強
を始めた動機は、杉良太郎の「すきま風」のように、ちょっとした風が頬を撫でた
ようなもの。たとえば、シルベスター・スタローンの「ロッキー」の影響により、5個
の生卵をごくごく飲んで走り始める昭和時代の帰宅部高校生のように、テレビの
「みんなの手話」貴田みどりさんの笑顔をでれ〜っと見ていたら、”よし、手話を
覚えよう!”と恐ろしく単細胞なゾウリ虫のように単純に考えたに過ぎなかった。

つまりこういう行動規範の根っこは(見た目は古くなっているが)中身が同質で
あり、そこに何かしらの違いがあるとしたら、なま卵の早朝ランニングは一週間
として続かなかったが、手話の勉強は奇跡的に9か月続いていることだろう。
球根そのものは同じだが、上に伸びていくときの枝葉のケアについて、少しだけ
上手になったかも知れないし(確信はない)、なっていないのかもしれない。
もちろん、ここで上手と言ったのは、平均レベルの他者との比較ではなく、以前
の自分(底辺)という意味ではあるが...。

そんなわけで「みんなの手話」を毎週見るようになり、ランニングを始めた人が
ランニングクラブに入るように、僕は職場に近い地域の手話サークルに入った
(入れて頂いた)。手話サークルとは、それぞれの地域で毎週開かれており、
(そこは)ろう者と聴者を繋ぐ場所であり、手話の学習の他にボランティア活動
などを促進するところでもある。

こうして僕は、手話サークルが開催される毎週火曜日に参加するようになる。
それを成り上がりと言うか成り行きと言うか、流しそうめんみたいにそれまでの
流れの勢いみたいなもので手話サークルの門を叩いた訳だが、問題はここから
だった。その問題は当然であり必然だった。その問題はすぐに発生したのだ。

「わたしの名前は佐藤です」という手話に対して、人差し指を自分の顔の向ける
「わたし」という手話だけ、そのときの僕は完璧にできた(それ以外はできない)。
つまり手話サークルに入ったものの、僕は手話がまったく出来なかった。(続く)

人生を変えるきっかけっていうものは、
日常茶飯のいろいろなところに転がっていると思うんです。
転がっているのに気付くか、気付かないか。
気付いたときに取るのか、取らないのか。
向井千秋(日本人初の女性宇宙飛行士、1952〜)


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こちら葛飾区新小岩駅前街頭募金(その5)

種を蒔く、水をやる、いつか芽が出ることを願う

(感想)2014年3月29日、初めての募金活動が終わりました。
今回の経験によって、わたしは、いろいろなことを学び考えました。
下記は、手話の初心者、募金活動に初参加の私が考えたことです。

(趣旨)募金活動の目的(意図)とは何だろうか?
1.(お金)募金をたくさん集めること。
2.(周知)募金活動の内容(趣旨)を世間に広く知らしめること。
3.(理解)いろいろな人たち(世間)を、私たちが理解すること。

(気持ち)対象となる歩行者等の皆さんの気持ちをよ〜く考えること。
1.(内容)なんの募金活動をしているのか分からない、分かりにくい。
2.(財布)少しなら募金を出しても良い、少しは出しにくい、出したくない。
3.(配布)チラシだけなら受け取る、受け取らない。

(重要)通り過ぎる歩行者の皆さんに、募金活動の内容を理解してもらう
ためには、次の3つの事項(時間・ひと・思い)が重要だと思います。
1.(時間)足早に歩いていく歩行者が理解できる、印象的なフレーズを使う。
2.(ひと)子ども〜ご年配の方まで理解できる、簡単な言葉づかい。
3.(思い)皆さんの共感を得る、思いが伝わる、優しくて温かい言い回し。

(言葉)募金活動における効果的な言葉づかい、文章等を考えてみる。
1.(掛ける言葉)「みなさん、こんにちは!」などをもっと頻繁に使う。
2.(お詫び言葉)「ご通行人の皆様、お騒がせしています、お願いします!」
3.(本質の言葉)「たましろの郷」の言葉をもっと頻繁に使う、知ってもらう。

(子ども)募金活動の実施者は老若男女、とくに、お子さんが良いと思う。
1.(安心)子どもが参加している募金活動なので、おかしな募金ではない。
2.(募金)少ない募金の場合は、子どもの持っている募金箱の方が入れ易い。
3.(共感)子どもが頑張っている様子に、多くのひとは気持ちが動かされる。
(子どもを利用するという意味ではない。むしろ情操教育と考えて欲しい)

(演出)募金活動を効果を上げるための演出を考えてみる。
1.(小道具)大きな手の形をした小道具。
2.(共通1)共通の帽子、バンダナ等を身に着ける。
3.(共通2)募金活動者が同じ言葉(お願いします、など)を同時に発声する。

(反応)募金活動を実施すると、そこには様々な反応がある。
1.(善意)募金してくれる、チラシを受け取ってくれる。
2.(無反応)まったく関心を示さない、スルーして行く人たち。
3.(観察)様々なひとを観察することが、今後の募金活動の参考になる。

(種まき)募金活動をスルーして行く人たちを、あらためて考えてみる。
1.彼等(無関心)に対する募金活動は無駄なのか、意味がないことか。
2.無駄、無意味ではない。後になってから彼らが気付くことがあるかもしれない。
3.種を蒔く、水をやる、いつか芽が出ることを願う。先行投資で良いと思う。

樹木にとって最も大切なものは何かと問うたら、
それは果実だと誰もが答えるだろう。しかし実際には種なのだ。
ニーチェ(19世紀ドイツの哲学者、1844〜1900)


手話 おはよう
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