利害関係のない人たちに対して当たり前に優しくできるのか?
こういうことが、その人の優しさ(強さ)の本質だと僕は思う。
現地へ行くまでに、いろいろなことを考えていた。ボランティアへ行くのに
8,000円を支払うこと、東京にいながら義援金8,000円だけを送金すること。
義援金か、ボランティアか?現実問題として、どちらが良いのだろう?
こんなことを考えているようだから、僕はダメなんだと(事後に)痛感する。
(ボランティアバスが宮城県七ヶ浜へ向かう)
どんよりと白み始める東の空、僕は何気なくバスの中を見回してみる。
ほとんどの人が起きている。そのほとんどの人が窓の外を凝視している。
これだけの人(40人くらい)がいながら誰もが寡黙であり口数は少なかった。
いろいろな感情が噴出してきた。僕は何か大きなものに跳ね返されていた。
目の当たりにしたもの、そこは当たり前のことがアタリマエでなくった現実が
灰色の雨雲のように覆いつくしていた。アタリマエでない非日常の状況に
対して、これからの生活として非日常を受け入れなければいけない。
つまり、非日常=日常=現実という事実である。
この状況を理不尽と表現するより、これでは余りにも不公平だと思った。
同じ時代に、同じ日本に生まれて、同じように生活していただけである。
ただ1つ、住んでいた場所が違うという、たったそれだけなのに。
2011年8月5日(金)午前8時15分、京成バスが現地のボランティアセンター
の駐車場に到着するところで、黄色のヘルメットを被り、スコップを持ちながら
歩いている20人くらいの若者の集団が見えた。そこには、全員で1つの方向
に向かっていくときに見られる集団行動の連帯感と力強い熱気を感じさせた。
それはカッコよかったし、すごく羨ましいと思った。こういう情熱を持ち合わせた
経験がなかった。少なくても僕が若者(バカ者)だった頃には...。
そこは生涯学習センターという町営施設だった。まず目に飛び込んだのは
ところ狭しと咲き乱れていたアジサイの花のような色鮮やかなテントである。
そこには大きいものから、マラソン大会で見られるような一人か二人用の
小さなテントまであった。そのテントの綺麗な光沢は、言葉を必要としない
色彩と腹をくくったときの覚悟を感じさせる。テントを見たら分かるのだ。
そのことを僕は一瞬で理解できたし、同時に自分への劣等感を喚起させた。
ここで改めて説明するまでもないが、こういうことだ。そこにあるテントとは
そこで寝泊りをしながら、毎日ボランィアをしている人たちの住居である。
そういう継続的なボランティア生活がどんなものであるのか、という意味だ。
ところが、数時間前の僕はバスの車中泊(狭さ)に辟易としていたリアル。
「へぇ〜、アンタさぁ〜東京から、わざわざここまで観光気分で来たのかい?」
と言われたようだった。
ここまできて、事ここに及んでから、僕はようやく気が付いたような気がした。
しかしそれはまだ”気がした”だけだった。この1時間後に痛感することになる。
そこで僕はハッとする、ボランティアセンターのリーダーからの注意事項に。
ちゃんと考えているつもりだったが、実際にはちっとも考えていなかったことに。
このときの体験が、自分自身のターニングポイントになったのは間違いない。
"put yourself in their shoes.「相手の靴に、自分の身をおいてみなさい」
みんな、あまりに考えないで生きている。
それは恐ろしいことです。
考えていないことにすら気づいていない。
何も見ようとせずに生活しているし、
苦しいことから目を背けようとしている。
丸山和也(弁護士、参議院議員、タレント、1946〜)『プロ論。2』
こういうことが、その人の優しさ(強さ)の本質だと僕は思う。
現地へ行くまでに、いろいろなことを考えていた。ボランティアへ行くのに
8,000円を支払うこと、東京にいながら義援金8,000円だけを送金すること。
義援金か、ボランティアか?現実問題として、どちらが良いのだろう?
こんなことを考えているようだから、僕はダメなんだと(事後に)痛感する。
(ボランティアバスが宮城県七ヶ浜へ向かう)
どんよりと白み始める東の空、僕は何気なくバスの中を見回してみる。
ほとんどの人が起きている。そのほとんどの人が窓の外を凝視している。
これだけの人(40人くらい)がいながら誰もが寡黙であり口数は少なかった。
いろいろな感情が噴出してきた。僕は何か大きなものに跳ね返されていた。
目の当たりにしたもの、そこは当たり前のことがアタリマエでなくった現実が
灰色の雨雲のように覆いつくしていた。アタリマエでない非日常の状況に
対して、これからの生活として非日常を受け入れなければいけない。
つまり、非日常=日常=現実という事実である。
この状況を理不尽と表現するより、これでは余りにも不公平だと思った。
同じ時代に、同じ日本に生まれて、同じように生活していただけである。
ただ1つ、住んでいた場所が違うという、たったそれだけなのに。
2011年8月5日(金)午前8時15分、京成バスが現地のボランティアセンター
の駐車場に到着するところで、黄色のヘルメットを被り、スコップを持ちながら
歩いている20人くらいの若者の集団が見えた。そこには、全員で1つの方向
に向かっていくときに見られる集団行動の連帯感と力強い熱気を感じさせた。
それはカッコよかったし、すごく羨ましいと思った。こういう情熱を持ち合わせた
経験がなかった。少なくても僕が若者(バカ者)だった頃には...。
そこは生涯学習センターという町営施設だった。まず目に飛び込んだのは
ところ狭しと咲き乱れていたアジサイの花のような色鮮やかなテントである。
そこには大きいものから、マラソン大会で見られるような一人か二人用の
小さなテントまであった。そのテントの綺麗な光沢は、言葉を必要としない
色彩と腹をくくったときの覚悟を感じさせる。テントを見たら分かるのだ。
そのことを僕は一瞬で理解できたし、同時に自分への劣等感を喚起させた。
ここで改めて説明するまでもないが、こういうことだ。そこにあるテントとは
そこで寝泊りをしながら、毎日ボランィアをしている人たちの住居である。
そういう継続的なボランティア生活がどんなものであるのか、という意味だ。
ところが、数時間前の僕はバスの車中泊(狭さ)に辟易としていたリアル。
「へぇ〜、アンタさぁ〜東京から、わざわざここまで観光気分で来たのかい?」
と言われたようだった。
ここまできて、事ここに及んでから、僕はようやく気が付いたような気がした。
しかしそれはまだ”気がした”だけだった。この1時間後に痛感することになる。
そこで僕はハッとする、ボランティアセンターのリーダーからの注意事項に。
ちゃんと考えているつもりだったが、実際にはちっとも考えていなかったことに。
このときの体験が、自分自身のターニングポイントになったのは間違いない。
"put yourself in their shoes.「相手の靴に、自分の身をおいてみなさい」
みんな、あまりに考えないで生きている。
それは恐ろしいことです。
考えていないことにすら気づいていない。
何も見ようとせずに生活しているし、
苦しいことから目を背けようとしている。
丸山和也(弁護士、参議院議員、タレント、1946〜)『プロ論。2』