KAZUの完全復活を目指して

平成23年1月1日元旦の午前1時 年越しJOGの途中で転倒して大怪我をした。 大腿部と手首の骨折〜救急車の搬送〜2回の入院と手術を経て2月9日に退院。 そして退院後のリハビリ通院は79回をもって、平成23年6月29日に終了した。 さぁこれから、ここから、どこまで出来るのか、本当に復活(完全)出来るのか? 本気でヤルのか、情熱を注げるのか、そして過去を超えられるのか? 質問と疑問に対して、正々堂々と、決して逃げずに、答えを出してみよう。 こういう人生を、こういう生き方を、思い切り楽しんでみよう。 KAZUさんよ、タイトルに負けるなよ!

手話サークル

こちら葛飾区新小岩駅前街頭募金(その4)

諦めずに、気張らずに、楽しくコツコツやってみよう!

ごめん、来週は手話サークルの担当なんだ。
担当は、手話サークルで使用(学ぶ)する文書(課題)を探して作成する。
(わたしのグループは10〜15人前後です)
ボクは課題の文書を、下記の通り自分で考えでみました。

(動機)手話を勉強しようと思った理由
1.「みんなの手話(テレビ)」を観ました。
出演者の表情豊かな手話を見て、”手話は良い!”と思いました。
2.わたしは手話のことを考えてみました。
以前に観たテレビドラマ、昨年読んだ本の内容をあらためて思い出しました。
(テレビ「愛してくれと言ってくれ」・本「レインツリーの国」)
私は毎週日曜日の「みんなの手話」を見て、手話の勉強を始めました。

(困難)テレビだけの勉強では無理だと思った理由
1.すぐに忘れてしまいます。
手話の言葉(単語)を5個覚えても1週間後には3個忘れています。
2.独学だけでは無理です。
手話は会話です。会話をしなければ実際の手話を覚えられません。

(生活)どうやって手話を学んだら良いのだろうか?
1.わたしの仕事休みは水曜日だけです。
2.朝はランニング、終業後はドラム、ギター、ボクシング、3つの習い事があります。
講習に通うのは無理です。そこで自宅と職場から近い手話サークルを探しました。

(手話サークル)職場から自転車で3分の場所にある手話サークルを見つけます。
1.ホ−ムページに”初心者歓迎”と書いてあります。
2.見学希望のメールを2回続けて出したものの返信がなく、少し気落ちしました。
そこで思い切って電話をして、手話サークルを見学したい旨を申し出ました。

(見学)少し緊張しながら、初めての手話サークルに参加します。
1.約15人の全員が女性であり、自分だけ手話が出来ないことに少し焦りました。
2.参加者の楽しそうな雰囲気と皆さんの温かく優しい表情に感銘を受けました。
わたしは、「ここで手話を勉強したい」と思いました。

(迷い)2回目の手話サークルの時のことです。
1.ソチオリンピツクについての意見を手話で、皆さんが順番で表現します。
2.わたしの手話はこれだけです。「テレビを見て良いと思いました」
わたしは、このまま手話サークルに参加するだけではダメだと思いました。

(技術講座)手話通訳士の講師による講座を受けます。
1.皆さん、どうかこれからも手話を続けていって下さい。
2.自分自身を磨いて下さい。次回までに、お互いに成長しましょう。
とても心に響く講座でした。わたしは手話を続けようと思いました。

(気持ち)手話サークルに参加する時、わたしが心掛けること。
1.出来るだけ手話サークルを休まない。
2.手話が出来ない、手話が上達しないことを気にしない。
継続は力なり。諦めずに、気張らずに、楽しくコツコツやってみよう!

(勉強)しばらくは、以下に「ように手話の勉強を取り組んでみようと思う。
1.手話サークルの時に、事前に話すことを1つは用意する(予習)
2.「みんなの手話」を繰り返して何回も観る(復習・反復継続)
朝の仕事前に「みんなの手話」を観る、生活習慣として手話を組み入れる。

読み聞かせのコツは?とよく訊かれる。
楽しんで継続していく、それに尽きる、と答える。
そうやっていくと本人しか出せない持ち味が出る。
個性を出す最良の方法は何事でも好きになって継続することである。
無理なく個性が光ってくる。
継続は力なり、とはそういうことである。
志茂田景樹(作家・絵本作家、1940〜) 本人ツイッター(2010年11月23日)より

手話 「おつかれさま・ご苦労さま」
otukaresamaga



こちら葛飾区新小岩駅前街頭募金(その3)

心から幸せを感じるのは ”感情的な報酬” とボクは思う

あれっ〜と思った。誰もいないなんて、これはちょっとおかしい。

ついさきほど、たった3分前に見た腕時計を念のため再確認する。
時刻は日本時間の12時25分だ。ハワイ時間の待合せとは聞いていない。
新小岩にある武蔵川部屋の師匠(元横綱 武蔵丸)が来るとは聞いていない。
だったら今は集合時間の5分前、マジで恋する5秒前、マジで焦る5秒前。
(ゴメン、お騒がせの広末は嫌いじゃないんだ、とっても〜とっても〜とっても)

ボクの時計に問題はない、ボクの頭には小さな問題はあるが、特に大きな問題
はない(つもり)。それではどうして誰ひとりいないのか、劇団ひとりはいないのか。
「集合場所には早めに来てはいけない」という特別なルールでもあるのだろうか。
下らない頭で下らないことを、まるで安物のイクラのようにイクラ考えたところで
下らない結論しか出なかった。どうしよう〜下らないボクはどうしたら良いのか?
突然の雨雲が空いっぱいに垂れこめたようにボクの呼吸が重苦しくなってきた。

ひょっとして3月29日(土)の今日じゃなかったか?それは明日だったか?
しかし、雨天の場合は日曜日に順延するという説明があったはずだ。
やっぱり明日の日曜ではないのだ。やっぱり街頭募金は今日しかないはずだ。

ちょうどそのときにだった。手話サークルの会員さん3人がやってきた。
「どうも〜お疲れ様で〜す」 春の陽射しのように柔らかい表情である。
そうしたらどこからともなく、次から次へと、どんどん人が集まってきた。
あァ〜そうか、そ〜なんだ、午後1時から募金活動がスタートだから、
こういう感じの集まり方で良かったんだ。郷に入れば郷に従え、なのだ。
来日するオバマ大統領のSPでもないし、ケビン・コスナーでもないのだから、
そんなにピリピリしなくても、そんなにコチコチに緊張しなくても良いのである。

12時55分、集合場所(新小岩駅前)に約15〜20人前後の人たちが集まる。
募金活動用の帽子、チラシ、募金箱、大きな手(80cm?)の小道具、等々。
実施する場所は3カ所、南口は交番前とクッターナ前、北口は改札を出た
あたりのスペースである。ボクが指示されたのは南口のクッターナ前だった。

そして最初の活動、人生53年にして初の街頭募金活動がついに始まった。
ボクの最初の行為は、募金活動の趣旨について書いてある文書(A4で1枚)
を大きな声で読み上げることだ。もちろん、駅前の不特定多数の人たちに
向かってである。募金と言えば「よろしくお願いしま〜す!」と思っていたので
”えっ〜これ(意外と長文である)を読み上げるんだぁ〜”と思った。
ちょっと戸惑い、ちょっと緊張する、ちょっとした馬鹿親爺は53歳と9か月。
(こうやって53歳と言えるのは3か月少々だから、もっともっと言おうと思う)

人が人生からより多くのものを引き出すという点で、
私たちがボランティアに費やす時間は最も貴重なものである。
この種の仕事には物質的な報酬はないが、感情的に大きな報酬がある。
ヘーゼルデン財団
(米国ミネソタ州に本部を持つ依存症回復施設、治療・研究・教育・出版活動団体)
『「今日一日」のヒント』(TODAY'S GIFT)


arigatou


こちら葛飾区新小岩駅前街頭募金(その2)

JR総武中央線「新小岩駅」の南口、交番の斜め後ろが集合場所である。
ここに以前は噴水や植込みがあったが、いまは公衆トイレがあるだけだ。
ちょこっと座るベンチの1つもない。まるで前歯が2本抜けたままの親爺が
中途半端なあくびをしたように、ガランと間の抜けたスペースなのだ。

どうしてガランなのか?どうして虹色に吹き上げる水もなければ、心を慰める
花一輪もないのか。その詳しい経緯は知らないが、たぶんこう言うことだと思う。
その当時その場所は、ホームレスの人達や酔っ払いの溜まり場所になって、
小競り合いのような喧嘩が頻繁にあったり(実際に何度か目撃した)、噴水や
植込みにゴミが投げ捨てられていることがあった。つまりそこは、本来の趣旨
とは異なった事実上のデッドスペースだった。それはまるで駒沢公園と新小岩
公園のように似ているようで似ていない、遠〜くかけ離れた場所(スペース)だ。

そのことをごく控えめに言うなら、駅前ロータリーの環境が芳(かんば)しくない。
いやそんな遠慮をせずに、もっとはっきり言おう。そこは大きな大問題なのだ。
そもそも駅前と言えば、通勤通学など大勢の人たちが利用するところである。
お子さんの送迎をする若いお母さん、あまり若くないお母さんもいるだろう。
お仕事のお母さんに代わって、お孫さんを送迎するお婆ちゃんだっている。
女性や子供がそこを通るときに、駅前の公衆トイレを使用するとき、すぐ近くに
酔っ払いや身なりの良くない人達が大勢いたらどう思うだろう。どうなるだろう。

いぃい?お母さんの言うことをちゃんと聞いてね。駅前のアソコは通らないでね。
アソコのトイレも使っちゃダメよ。トイレに行きたいときは、コンビニで借りなさい!

さてこのような諸問題(苦情)に対してどうしたら良いのか、考えられる解決方法
は3つしかない。1つ、そういう人達だけをその駅前スペースから排除すること。
しかしそれは無理だ。そんな法律(条例)は憲法の基本的人権に反するからだ。
2つ、酔っ払いに禁酒させる、ホームレスを止めさせる。これも無理だ。巨人の
シーズン全勝優勝と同様に不可能に決まっている。ゲームばかりしている自分の
子どもさえ止めさせられないのに、他人様の生活習慣を360度変えるなんてことが
できる訳がない。そして最後の3つ、そうこれしかないのだ。噴水、植込み、ベンチ
などの何もかも全部取っ払ってしまうことだ。そこに何もなければ、それでもそこに
留まりたいのなら、そこに立っているしかないのだ。渋谷のハチ公のような銅像や
小岩の栃錦など、そこには何ひとつ置かないのだ。座れるようなものは勿論のこと
股(また)げる、寄りかかる、触れるなど、それは完全試合のようにすべてアウト。
その駅前の交番横のスペースにいたければ、まるで郵便ポストのように赤い顔を
して立っているしかない。その日が猛暑日だったり、はじめてのデートだったり
そこの場所で週刊ポストの袋とじグラビアを見ていたら、赤い顔をすれば良いのだ。
そう、ここは葛飾区新小岩駅前の待合場所なのである。

おいおい、待合場所の説明に、なんでこんな長々とした駄文を書いているのか?
えぇ〜たしかに仰る通りなんですが、これにはちょっとした事情がありましてね。
もちろん、生まれも育ちも新小岩の人間としては、ボールペンを握った指がですね、
いや、キーボードを叩く指に無駄な力が入るところなんですが、それだけではない
のです。じつは募金活動が終わったときに、ここのガランとした場所でちょっとした
ハプニングがあったんです。これは良い意味です。まぁ〜それは、とても些細な事
かも知れません。取るに足らないことかもしれません。しかし、ボクがこのブログを
書いている意味(趣旨)は、まさにこの小さなハプニングなんです。そうなんです。
ここの場所で起こったことに、このブログの本質が集約されているのです。

その瞬間に、突然パッと光り輝いたのです。ガランとしているそのスペースで。
それでそれは何なんだって、お尋ねですよねぇ?えぇ〜と.....ご、ごめんなさい。
ボクには意外と律儀なところがありまして、こういうことは事態の順番通りでないと
ダメなんです。お風呂入ってから夕飯を食べる、お風呂の前にドラムと筋トレする。
納豆はグルグル100回かきまぜる。ドリンクバーは、まとめて最初に持ってくる。
そういうのは、そうしないとダメなんです、ダメな人間なんです。そういう訳なので、
すみませんが、そこのことは時系列に従って最後のところで記したいと思います。

物事にはすべて光と影があります。
明暗と言い換えてもいいでしょう。
例えばどんな名画も、光だけで描かれているものはない。
影があればこそ光も活きてくる。
影がなければ絵にはならないのです。
人にはできることもあれば、できないこともある。
得意なものもあれば、どうしても不得意なものもある。
それが一人の人間が持っている光と影なのです。
光にばかり目を向けるのではなく、
影の部分もしっかりと見据えることが大切です。
曽野綾子(作家、1931〜)雑誌『PHP』2004年2月号

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こちら葛飾区新小岩駅前街頭募金(その1)

「たましろの郷(ろう重複障害者)」支援の街頭募金活動
http://www.tamasiro.net/index.html
日時/平成26年3月29日(土)午後1時〜3時
場所/JR総武中央線「新小岩駅」南口と北口、三か所
主催/葛飾たましろの郷後援会、他

「お礼の言葉として 佐藤和哉(53歳・男性・自営業)」
募金して頂いた皆さん、チラシを受け取って下さった皆さん
通りすぎた(スルー)皆さん、うるさく、うっとおしく感じられた皆さん
みずから申し出て集合写真を撮ってくれたイケメンのお巡りさん
そして募金活動に参加した皆さん、自分を参加させて頂いたうえで、
郷(さと)の漢字の読み方とか、いろいろと親切に指導してくれた皆さん
すべての皆さんに感謝します。 ほんとうに、ありがとうございました!

(ここからいつもの、”お馬鹿ブログ”です)
ぽか〜ぽかぽか。これならソメイヨシノの開花が、さらに加速するはずだ。
雨の心配はないし、たいした風も吹いていないし、たいした人間でもない
ボクの体調は、60分で10キロ走れるぐらいに、自分としては七分咲きだった。

集合場所まで歩いていく途中にある、ぱぱす(ドラッグストア)に立ち寄る。
店頭の入り口付近に陳列してあるニベアのスキンUVクリームを、ボクが
見つけるまで、世界最速のボルトより速い7.5秒だった。かなりの方向音痴
なのに、すこしも迷うことなく、お目当ての商品を見つけた。きょうは特別に
上出来だと思った。しかしそれは、いつもはモタモタするボクが珍しく冴えて
いたと言うべきではない。お店の陳列が冴えていたと正直に言うべきなのだ。

冴えているのは、単に商品の陳列だけではなかった。テキパキと無駄のない
隙(すき)のない、素晴らしい迅速な接客を美しい店員さんは心掛けている。
会計のときに若い女性店員さんは、大型のイモ虫と同じ12cmのクリームを
小さなレジ袋に素早い動作でさっと放り込んだ。袋に入れますか?と聞いて
くれたらと思ったが、いまさら袋はいらないと言ったら、一度入れたレジ袋から
それを出さなければいけないし、それは店員さんにとっても、うしろに並んで
いるお化粧の薄くない女性客にとっても面倒(不満)に感じるだろうと思った
ので、結局ボクは、そのままのレジ袋を店員さんから受け取った。言いたい
ことが言えるようで言えないことが多い、そういう人間なのだ、このボクは。

とにかく春の紫外線対策として、ボクはUVクリームをひとつだけ買った。
総武線の高架下を歩きながら、スキンUVクリームを顔にまんべんなく塗る。
手のひらに少し余っていたので、ろくろ首みたいに伸ばした短い首にも塗った。
クリームを塗りながら歩くことは良くないと思ったが、「歩きスマホよりは危険性
が少ないのではないか」、まるで真面目にカンニングをしている学生みたいに
真剣に自己弁護を考えていた。

もしだれかに、”おっさん、なんで歩きながら顔にクリームを塗ってるんだ?”
と訊かれたら自説を語ろうと思ったが、そんなことを言う人はだれもいなかった。
きっと、ボクに関心がないのだ。オッケー、それで良いんだ。ボクも通行人には
関心がないのだ。つまり、お互い様なんだ。あっごめん!いまの取り消します。
ボクが馬鹿でした。ごめんなさい。これからボクは、通行人の皆様に向かって
街頭募金をするのです。後悔と反省しながら、ボクは集合場所へ向かった。

迷ったり、悩んだりしたときには、文字にしてみる。
メモを取る。日記を書く。
なんとなく頭の中でもやもやしているから、迷ったり悩むんです。
文字にすると、もやもやの原因が整理されて、すっきりする。
人は、いろんなことを曖昧にしておきたいんです。
なぜなら、覚悟しなくていいから。
文字にしてはっきりさせると、そうはいかなくなる。
覚悟しないといけなくなる。反省もしないといけなくなる。
そのかわり、ぼんやりしたもやもやは消えていく。
つまり、やるべきことが見えてくるんです。
勝谷誠彦(コラムニスト、1960〜)『プロ論。2』

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