KAZUの完全復活を目指して

平成23年1月1日元旦の午前1時 年越しJOGの途中で転倒して大怪我をした。 大腿部と手首の骨折〜救急車の搬送〜2回の入院と手術を経て2月9日に退院。 そして退院後のリハビリ通院は79回をもって、平成23年6月29日に終了した。 さぁこれから、ここから、どこまで出来るのか、本当に復活(完全)出来るのか? 本気でヤルのか、情熱を注げるのか、そして過去を超えられるのか? 質問と疑問に対して、正々堂々と、決して逃げずに、答えを出してみよう。 こういう人生を、こういう生き方を、思い切り楽しんでみよう。 KAZUさんよ、タイトルに負けるなよ!

国立能楽堂

国立能楽堂(その5)

白い目で見られることに、わたしは慣れていた

足は地に付かず大地から3cm浮いていた。ふわふわ〜わくわく高揚していた。
55年6ヶ月のマイライフ、初めての狂言。強力磁力に吸い込まれるように、私の
前を歩く人たちは、国立能楽堂へ吸収されていく。その流れに便乗して、アジの
群れに追いついた老いぼれ古魚のように、私の身体も国立能楽堂の入場口に
吸い込まれていった。

そのときほんの一瞬のあいだ、わたしは健康ランドのお風呂を思い浮かべた。
檜(ひのき)の匂いだ。目の前の平屋建ては、檜っぽい日本風の日本建築だ。
国立能楽堂は、規律を重んじる古風な感じと歴史的威厳をさりげなく装いながら
強力な自己主張をしていた。まるで浅草ロック座のストリッパーのように、惜しみ
なく大胆不敵に、その実力をわたしに見せつけていた。

”これが噂で聞いた、あの国立能楽堂だったか!”声に出さずに、私は唸った。
こと歓楽に関することは、わたしは10代後半から、かなりの広範囲をカバーした。
ある部分では深く掘り下げて、自主的に、積極的に、真面目に、体験学習をした。

その努力成果は実に素晴しいものだった。早稲田大学に近いところにある伝統の
早稲田予備校に、60数万円の年間受講料を無収入の両親に負担させ、わたしは
無試験で入学した。そしてその授業を受ける真面目な受講生たちが、快適に勉強
が進むように、わたしは教室には行かずに、高田馬場のビッグボックスや、新宿
歌舞伎町等に頻繁に向かった。そういう行いについて、誰もわたしを責めなかった。
誰もわたしを褒めなかった。ただ、他の予備校生や講師が私を見るときの目の色は
やけに白かった。しかし、それはそんなに気にならなかった。白い目で見られること
に、わたしは慣れていた。慣れ過ぎていた。わたしの人生は脇道にそれていく。
わたしの話しも脇道にそれていく。話しを蔵前橋通りに戻そう。

わたしは歌舞伎町には程よく馴染んでいたが、歌舞伎にしろ能楽にしろ、いわゆる
伝統芸能と称される文化芸術的伝統娯楽は皆目わからなかった。”からっきし”だ。
戸籍謄本を見たところ、わたしは東京生まれの東京育ちのようだが、東京に詳しい
外国人より、東京に詳しい田舎者より、私は東京の街を詳しく知らなかったのだ。

誰か人を批判したいような気持ちが起きた場合には、
この世の中の人が皆自分と同じように恵まれている
わけではないということを、ちょっと思い出すべきだ。
フィッツジェラルド(20世紀前半の米国の小説家、1896〜1940)
『グレート・ギャツビー』

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国立能楽堂(その4)

セブンイレブンと、ドーナツ屋さんのドーナツが違う程度だが...

新宿駅から総武中央線の千葉行きに乗車した。2つ目の千駄ヶ谷駅で下車した。
いままでに千駄ヶ谷駅で乗り降りした経験があったのか、それとも初めてなのか
少し考えてみたが、少しも思い出せなかった。これ以上考えても、仕方がない。
これは安全保障に関する問題ではないし、わたしは防衛大臣でもないのだ。

わたしの頭は、閉店セール中のコンビニのように、いろいろと不足している。
だから、もっともっと、この足りない頭を使うべきだろう。しかしその一方では、
ただでさえ足りない、この頭を使い過ぎたら、さらに足りなくなってしまうのだ。

わたしが千駄ヶ谷駅の改札口を出たとき、先程の新宿とは、些細ではあるが、
何かしらの異なる空気を感じた。それは、セブンイレブンのドーナツと、ドーナツ
屋さんのドーナツが違う程度ではあるのだが...。

私は駅前にあった、こ洒落れたカフェに入った。歩道に面したところに、オープン
テラス席があった。そこで女性は、削り過ぎた鉛筆のように細いメンソール煙草
をうっとりした表情で吸っていた。ここは、先に注文と会計を済ませて頼んだもの
を自分でトレイに乗せる、スタバと同じセルフサービスの店だった。

私は、トレイの飲み物をこぼさないように、おっかなびっくり歩いて、空いている
テーブルにトレイを置き、ダウンを脱いで、肩掛けバックを外して、座席に座った。

そこでサラダランチを食べて、エスプレッソと追加の珈琲を飲みながら、太平洋
戦争時に、ミンドロ島で俘虜になった文庫本を、眉間に皴を寄せながら少しだけ
読んだ。いや、少ししか読めなかった。

わたしの隣りに座ったサラリーマン二人は、ひっきりなしに電話をしたり、電話が
かかってきたり、立ったり座ったり、また職場の誰かの陰口を熱く語り合っていた。
そんなことは、馬耳東風の如く無視すれば済む話しだが、わたしは耳障りに感じて
しまい、あまり気が進まず、あまり読書が進まなかった。

わたしは午後1時間30分を、スマホで確認した。メールとラインを確認してみたが
何の受信もなかった。営業宣伝メールや迷惑ラインもなかった。世間は、わたし
という人間に、なんの関心もないのだ。私は、そのことを再確認しただけだった。
無言で、無表情で、立ち上がり、わたしは歩いて、お店をそろっと出て行った。

そこで千駄ヶ谷にある空気を肺に深く吸い込んだ。わたしは、また歩き出した。
総武線沿いにあるアフリカ像が集団行進が出来そうな広い道路の広い歩道を
5分ほど歩き、その先の信号を左折したら、その斜め正面に国立能楽堂があった。

どことなく、ふわふわして、わくわくしていた。わたしは、あきらかに高揚していた。
これから、人生初めての狂言をみるからだ。私の前を歩いていた人たちは、強力
な磁力に吸い込まれるようにして、国立能楽堂へ吸収されていった。その流れに
乗って、わたしも吸収された。

明治以降外国に負けまいと振り返る余裕がありませんでした。
これからは古い歴史を振り返り、伝統や歴史を見直して
いかなければなりません。
自分の国の伝統や芸術に誇りを
もたないで育った子供はどうなりますか。
そのために必要なことは義務教育で国語をしっかり教えることです。
瀬戸内寂聴(小説家・天台宗の尼僧、1922〜)新聞のコーナー「新世紀を語る」より

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国立能楽堂(その3)

屈折したスターダスト(星くず)とは真逆の笑顔を浮かべていた

(ガストの女性店員は、寝ていた男性客の肩を揺すり、お会計を促した)

わたしが午前9時にお店を出るとき、店員に肩を揺すられた男性は、まだ店内に
いた。寝ていなかった。店内に置いてある読売新聞を、自分のテーブル上に大きく
広げて読んでいた。あるいは、読んでいるフリをしていたのかもしれないが。

男性は、まだ会計をしていなかった。わたしは、その後の経過と結論がどうなるか、
気になった。しかし、わたしは、これ以上ガストにいない。男性がガストに長く留まる
事情があるように、わたしは、ガストを正味30分で退店しなければいけない事情が
あった。大人には、人それぞれ、いろいろな事情があるのだ。会計を済ませた私は、
ふたたび新宿の靖国通りに出た。

私は少し歩いて、すぐに止まった。横断歩道の信号が青に変わる。わたしは左右に
首を振り、車が止まったことを確認する。そして歩いて、新宿ピカデリーに入った。

デヴィッド・ボウイの映画は朝一(9:10)上映にもかかわらず、そこそこ混んでいた。
約2時間の上映が終わるとき、わたしは先ほどまで気にかけていたガストの男性の
ことは、先週の仕事や昨夜の夕飯と同じように、きれいさっぱりに忘れていた。

わたしは映画の余韻に浸っていた。朝のランニングのように、心地よい満足感が
広がっていた。しかし、それと同時に、何かに例えようのない、ある種のもどかしさ
も同時に感じていた。原因は、そう、あのラストシーンだった。

最期の場面のイギリス人女性は、英国風紅茶のパッケージみたいにメイクアップ
された美顔の上に、屈折した星屑(スターダスト)とは真逆の笑顔を浮かべていた。

女性は映画を観ていた私に向かってウインクをした。そして自信たっぷりに言った。
「今後のデヴィッド・ボウイの新しいアルバム、そして活動が、とっても楽しみですね」

映画が始まってから、私は、いつの間にか、映画の世界を単純に楽しんでいた。
しかし、その女性の、その一言によって、わたしは一気に現実に戻された。

わたしが生まれたときに、すでにデヴィッド・ボウイは、この地球に存在していた。
この映画が完成したときに、この地球に、デヴィッド・ボウイは存在していた。
わたしは、いまのところは、紙屑のように軽い存在ではあるが、この地球に存在
している。しかし今、この世界に、この地球に、デヴィッド・ボウイはいないのだ。

私は歩いて新宿駅へ戻った。そして千葉行きの総武中央線に乗り、空いている
座席に座り、座ったまま代々木駅を無視して、次の千駄ヶ谷駅で下車した。

今の世の中って、余りにも沢山の情報が溢れてる。本当なら何が
適切なものなのか選択して生活の中に取り入れていくべきなのに、
それが不可能になってるよ。それを解決するには、僕達がもっと
シンプルな生活スタイルに戻らなくちゃいけない。
デヴィッド・ボウイ


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国立能楽堂(その2)

お客サン、一度、お会計を、お願いしてクレマスカ?

新宿にあるガストは、かつてノーパン喫茶があったような怪しげな場所にあった。
間口は狭く、階段は狭く、鉛筆みたい上にひょろっと高いビルの地下1階だった。

真っ直ぐな階段を、真っ直ぐ転がり落ちないに、わたしは慎重に階段を降りた。
右側に入口のドアがあった。自動ではなく、手前に引くタイプの手動ドアだった。

そのドアを私が引いたときに、何かしらのメロディが、はるか遠くの方から、天井
を這うように伝わってきて、私の鼓膜を刺激した。

それは、わたしの入店を知らしめる合図音だった。お店の奥の方から、すぐに
若そうな女性店員が、床を滑るようにして、するすると、わたしに近づいてきた。

その店員は、真正面から、わたしの顔を突き刺すような強い視線で見ていた。
私への好意を感じさせる視線ではなかった。私が、まともな人間かどうかを判断
しているようだ。そして、その厳しい目の奥は、少しだけ柔らかく緩んだ。店員は、
やたらと丁寧なイントネーションで、わたしに言った。

「お一人デスカ、お煙草は吸われマスカ?」、わたしは「大麻は別として煙草は
まったくやりませんよ」と言おうと一瞬考えたが、それは言わなかった。この街
では、余計なことは言わない方が良いのだ。

店員は、「こちら側が禁煙席ですので、お好きな席へドウゾ」と、丸暗記した文面
を一気に吐き出して、”あなたには何の興味もないわ”との表情に変わった。

そして、反転して背中を見せつけるように、お店の奥へ歩いていった。さながら、
タイムセールに向かうオバサンのように。わたしは、その背中を黙って見ていた。
日本語勉強中と太字で書いてあるような、強い意志を感じさせる背中だった。

わたしは、モーニングメニューの一番右端にあった一番価格の安かったトースト
モーニングを頼んだ。店員は、オーダーを、手にした端末機に素早く入力すると
直ぐに移動して、近くの座席で眠っていた高齢男性の左肩を左右に揺らすように
触った。そして諭すように男性に話し掛けた。私のときより、トゲトゲした声だった。

「お客サン、お客サン、一度、お会計を、お願いしてクレマスカ?」

アタシだって、本当は、こんなことは言いたくないんだけど、コレも仕事だから仕方
ナイノヨ、と言いたげな表情だった。束の間の夢から覚めた男性は、ぼう〜とした
表情のまま、何も考えず、何も言わず、首を重そうにゆっくりと縦に振った。それは
まるで、その男性が、今日しなければいけない、一番大事な大仕事のようだった。

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国立能楽堂(その1)

冷たい北風と人生を語り合いたい気分でもなかった

新小岩駅の1番線ホームに電車が到着したとき、午前7時40分だった。
駅の階段を上る人、電車に乗る人は多かったが、電車から降りて、階段
を降りて行く人は少なかった。まるで甘いものに群がる蟻のように、いたる
ところに、いろいろな種類の人間が大勢ひしめいていた。

わたしは久し振りに乗った電車だったので、たまには満員電車も悪くないと
自分勝手に考えた。御茶ノ水駅で高尾行きの快速電車に乗り換えた私は、
新宿駅で下車して、東口の改札から、モグラのようにキョロキョロしながら、
ビルの隙間から青空が見える地上に出てきた。

日本一の歓楽街の独特な空気を肺に吸い込み、私はスタジオアルタの前
から伊勢丹に向かって歩き、適当なところで左に曲がり、だだっ広くて騒々
しい靖国通りにでた。

排気ガスを気前よくまき散らす車は多かったが、歩道を歩いている人間は
それほど多くなかった。新宿の歌舞伎町という街は、暗くなるとゴキブリの
ようにピカピカに元気になるが、午前8時30分は、「ちょっと〜お客さん!
凄くいい女がいますから、1時間セット料金3000円ポッキリです」と言って
私に声を掛けてくる男は、一人もいない。まるで、朝のコウモリのように
礼儀正しくて控えめで、山火事が鎮火した後の山々のように、ひっそりと
平穏だった。

新宿ピカデリー(映画館)は、まだ開いていなかった。パソコンのワードを使い
3分間で作成した「8時40分に開店します」と印字されたA4の白い紙は、入口
の自動ドアに、四隅を透明テープで貼り付けてあった。私は近くによって見た。
その透明テープに、誰かの指紋が確認できた。さらに私は、自動ドアの前に
しばらく立っていたが、わたしを完全無視するかのように、自動ドアは1センチ
たりとも開かなかった。

すぐ近くにいた、氷川きよしが好きそうな60代の女性二人は、手をひらひら
させながら、素早いキャッチボールのように回転の速いおしゃべりをしていた。
彼女達は、開店するまでの10分間を、そうやって楽しく笑いながら、ベッキー
のことや、芸能人や、あるいは誰か共通の知人の悪口を笑顔で話しながら、
人生の貴重な時間を有意義に過ごすのだ。

一方、わたしの場合は、いつものように、唯一の話し相手は北風だけだった。
早朝の歌舞伎町で、冷たい北風と人生を語り合いたい気分でもなかった。
わたしは、わたしの場所を移動することにした。

ここ(映画館)からすぐ近くにあり、ボッタクリの危険のないお店を考えて、私
の視界に飛び込んできたのは、新小岩にもある、どこにでもある白い看板の
ルノアールと、赤い看板のガストだった。

たまには、ルノアールのふかふかしたソファーに座り、世界中に大量に複製
された心温まる有名絵画を眺めながら、ゆったりと珈琲を飲みたいと思った。

しかし、私は10m歩いてから、気持ちが変わった。ルノアールで、温かい珈琲
を4杯飲んだら、映画料金より高くなると考えた。それでは、わたしの身の丈に
は合わないのだ。わたしは、ドリンクバーのあるガストを選択すべきなのだ。
自分の選択を変更して、わたしは歩いてきた歩道を、180度方向転換した。

歌舞伎町1


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