KAZUの完全復活を目指して

平成23年1月1日元旦の午前1時 年越しJOGの途中で転倒して大怪我をした。 大腿部と手首の骨折〜救急車の搬送〜2回の入院と手術を経て2月9日に退院。 そして退院後のリハビリ通院は79回をもって、平成23年6月29日に終了した。 さぁこれから、ここから、どこまで出来るのか、本当に復活(完全)出来るのか? 本気でヤルのか、情熱を注げるのか、そして過去を超えられるのか? 質問と疑問に対して、正々堂々と、決して逃げずに、答えを出してみよう。 こういう人生を、こういう生き方を、思い切り楽しんでみよう。 KAZUさんよ、タイトルに負けるなよ!

総武線の車内

総武線の車内にて㉘(あとがき)

2017.3.18(土)総武線各駅停車 千葉行き

電車に乗ったら、たまたま三人のろう者(聴こえないひと)がいた。

たまたまそこに乗り合わせた初老の男性は、たまたま手話を学んでいた。
そこで初老男性は手話で話しかけた。突然の手話に、三人のろう者は喜んだ。
その三人の反応に、初老男性の心は躍った。

ただ、それだけの話しだ。この話を誰かに語るに値する、なにかしらの感動なり
共感なり、心を寄せる何かがあるのか、とあなたは考えるかもしれない。考えな
いかもしれない。もちろん、それは読む人の判断に全面的に委ねる。

この話しのおおかたは事実であり、大部分は事実ではない。わたしはこう思う。
ここに何が書いてあるかではなく、ここに何を感じるかだと。

だれの人生にも少なからず、こういうことはあるだろう。いままでは、まったく
興味がなかった。ところが、ある日、突然ハッと気が付くことがある。わたしの
場合に、それは加齢に対する対処法であり、新しい価値観の変遷だった。

40代で対処法を取得して、さらに50代で変遷した。つまり、わたしの30代と
50代は外見はもとより、全くの別人になった。

仮に、目の前に空き缶が落ちていたとする。それを蹴飛ばした10代、見て見ぬ
振りをした30代、拾って捨てることもある50代。

加齢に対する対処法
体力の低下、体型の崩壊、精神の劣化に直面したとき、わたしは46歳だった。
ダイエット目的で始めたウォーキングは、3年後にマラソンを2時間58分に至る。
その結果として、健康面の改善は大きな自己改革だったが、それ以上に精神
(心の姿勢)は様変わりした。走ることは、わたしの人生をあらゆる面で大きく
変えた。自分が変わったことに、わたしは大いに満足した。人生の目標と夢を
語る自分をわたしは素直に肯定した。揺るぎない自信を持ったと思った。

この考え方(感じ方)は間違いないと思った。これからの人生はこうやって生き
ればと良いと思った。身体を鍛えて、健康に留意して、新しいことにも果敢に
チャレンジする。自分に厳しく、自分を大事に、自分を第一に。積極的人生主義。

わたしに落ち度があるとは思わなかった。大きな落とし穴が口を開けて、自信
満々のわたしを待ち構えていようとは、夢にも思わなかった。

自分に一生懸命になることは素晴しい。自分を追い込む、自分の意志で自分
に負荷をかけることは結果はともかく、そのひとをいろいろな面で成長させる。

ところが人間には容量がある。コップの水と同様だ。自分に一生懸命になれば
なるほど、自分のことだけでコップの水は一杯になる。

マラソンの練習を真剣に取り組み、より高いレベルを目指そうと考えたら、より
高いレベルのランナーの練習方法に関心が行くのは当然だ。その結果として
その反動として、弱者への配慮、理解は減少する。自分の成長は、ときに相手
の弱さに対して鈍感になる。少なくても、わたしに関してはそうだった。

人生の分岐点
7年目前の大晦日から元旦に開けた30分後だった。ランニング中の転倒はわた
しの左足を、根元から逆方向にポキッと折り曲げた。食べやすいように、ズワイ
ガニのあしを斜めにカットしたような見事な骨折だった。わたしは路上に倒れた
まま人生最大の激痛と恐怖と後悔で、新しい火山灰のように頭は真っ白になった。

車椅子生活になるかもしれない。障害者になるかもしれない。「また、歩けるよう
になりますか?」という医師に対する問いに、その答えがどんなものかを考えると
わたしはとてつもなく怖くなった。その質問をする勇気がなかった。

この体験は、わたしのこれまでの価値観を根底からひっくり返した。いままで見え
なかったものが見える。いままで見ないようにしていた自分に、私は気が付いた。

世の中には、いろいろなことがある。いろいろなことが起こる。いろいろな人がいる。
そのいろいろには絶対はない。特例も例外もない。そしてそこには、わたし自身も
含まれているのだ。あした、どこかの誰かは、まったく予期せずに、突然死ぬ。その
人はまさかわたしがと思う。その人は、わたしかもしれないし、あなたかもしれない。

ボランティア、手話活動をやっているひとは偉いと思った。だけど、それはそういう
ことが好きな人や、時間やお金に余裕のある人がやればいい、と私は思った。

ところが「わたしも障害者になるかもしれない」という体験は、それまでの自分の
視野が狭、く自己本位であり、傍観者だったことをハッキリと私に突き付けた。

人生の変遷(傍観者から参加者へ)
2011年7月、東日本大震災のボランティアに参加した。2014年1月、わたしは手話
の学習を始めた。このような活動を始めて、わたしはいろいろなことに気が付いた。
それまで想像したものとはまったく違っていた。この経験により、わたしは変遷した。

わたしの吸い込む空気はきれいに浄化され、わたしの耳に届く音は鮮明になり、
わたしの視界をクリアにして、あらためてこの世界のありようを見せてくれた。

わたしはハッキリと気が付いた。誰かのために何かをやる、何かを使う(時間・お金)
ことは、とっても楽しい。それは誰かのためであり、誰かの喜びであり、そして同時に
わたしにとっての極上の喜びになるのだ。

逆説的ではあるが、自分を大切にしたいのなら、利害関係のない他者に対して
どこまで優しくなれるかだと、わたしは思う。


つまらない芝居を見ると退屈する。
しかし自分が芝居に出る時にはつまらない芝居でも退屈しない。
だから「幸せになりたい人は舞台に上がらなくてはならない」
アラン「幸福論」より

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ながらく、ご拝読いただきましてありがとうございました。
いま振り返ると、自分でも上手く書けた部分もありましたが、
その10倍は苦しみました。とくにこの「あとがき」については
いまだに煮え切れないままです。わたしにとって、自分の言
いたいことを文書で表現してみて、それを読んでみて、とき
に不快に感じることもままあります。だったら止めたらという
意見は、ごもっともです。

あらためて考えたら、下手だから止めたものは、それはもう
山ほどあります。ゴルフ、一輪車、習字、各種資格試験等々。
しかし、すべてを止めた訳ではないし、まるごと諦めた訳で
はない。1つか、2つか、それが夢や目標だったら、それが
生活の中の一本の芯だったら良い、と私は思います。














総武線の車内にて㉗

2017.3.18(土)総武線各駅停車 千葉行き

「ちょっとちょっと」 左端のお爺さんの右手がわたしを呼んだ。 お爺さんは柔
らかく微笑んでいた。人生を真面目に生きてきた人間だけが出来る、包容力
のある微笑みだ。お爺さんの表情は、わたしに心地よい安らぎを与えてくれた。
早さと効き目は抜群だった。まるで即効性精神安定剤のように。


「あんたも元気でね!」お爺さんは両手の拳を力強く上下(手話:元気)。

その拳は、ひとを傷つけるものではない。それは心強くて頼りになる拳であり
相手の背中をトントンと叩いて、優しく激励するものだった。

わたしは立ち上がり、頷いて、三人に向かって「バイバイ」と手を振った。満面
の微笑みを浮かべた三人は、わたしに「バイバイ」と手を振って返した。 

背中に視線を感じていたが、わたしは後ろは振り返らなかった。「さよなら」は
もう終ったのだ。わたしは振り返らずに歩き、電車を降りて、そのまま新小岩駅
の固くて長いホームを、生涯孤独人のように無言で歩いた。

ただ、いつもの駅ホームを歩くときとは明らかに違った。ふわふわしていた。
まるで雲の上を歩いているように。実際に雲の上を歩いた経験はないが...。

わたしの左側に止まっていた電車は、ハッとなにかを思い出したかのように、
それでいて慌てず、ゆっくりと滑らかに動きだした。コバンザメみたいに電車
に追随する微かな風は、わたしの背中を後ろからさーと撫で回した。その風
は、いつもの乾燥した電車風とは違い、温もりのある、何かしらのメッセージ
を含んでいるように、何かしらの気持ちを運んでいるように、わたしは感じた。

瞬間的に、わたしは電車を振り返った。そこには、いつもの電車が、いつもの
スピードで走り出していた。いままでどれだけ電車に乗ってきたのか分からな
いし、そんなことをいちいち計算する気にもなれないが、とにかく、この電車
だけは、特別なものだった。

わたしは歩きながら動き出した電車の中を目で追った。動き出した電車の中
の三人は、駅のホームを歩くわたしを探すように、見ていた。わたしが振り
返ったとき、その瞬間、ドンピシャだった。

子どものような顔で、三人はわたしに両手を振った。わたしもすぐに、子ども
のように手を振った。わたしの顔だけは、いつもの年寄のままだったが。

三人の顔は、ほんのりと赤味をさしていた。気持ちが紅葉しているのだ。
車窓から射し込む陽光は、三人の頭上に天使の輪をのせていた。

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総武線の車内にて㉖

2017.3.18(土)総武線各駅停車 千葉行き

那須からここまで時間はかかったけど、あんたに声を掛けてもらって、本当に
良かったよ。この電車に乗るたびにと言っても、総武線は滅多に乗らないけど
総武線とか、新小岩とか、佐藤さんの名前を目にするたびに、あんたのことを
想い出すだろうよ。

(ふうん。この著者は随分と自己評価が高いんだね。はじめは謙虚だったのに)

わたしたちの手話(会話)を見ていた電車内のひと達は感動して、一斉に立ち
上がり(スタンディングオペレーション)拍手をして欲しいと、わたしは思ったわけ
ではないし、実際にそんなことは、なにも起こらなかった。まったくの無風だった。

親しい人の突然のお通夜のように、車内は静まりかえっていた。

わたしの心の琴線に触れたこと(出会い)は、車内の人たちにとっては、露ほど
の関心もひかなかった。そんなことより、電車内を我が物顔で飛び回るハエの
ほうが、よっぽど気になるのだ。

まもなく、電車は新小岩駅に到着する。別れのときは刻一刻と近づいていた。
最初の会話を始めた以上、わたしは最後の会話をしなければいけない。

私は座席のお尻をズルっと滑らせ、前方に移動して、やや前屈みになった。
三人のろう者とわたしとの距離は、ほんの気持ち程度だが、それで接近した。
距離感の修正は、相手へのメッセージを強く伝えたいという気持ちと同時に
文字通りの親近感を表したものだった。

「もうすぐ新小岩駅です。わたし、この電車を降ります」と言った。「みなさん、
お元気で!(手話)」三人は春風のような爽やかな微笑みを浮かべた。

一口に微笑みと言っても、実にいろいろな微笑みがある。三人の微笑みは
先ほどまでの微笑みとは、少し種類の異なる微笑みに変わっていた。

フランス映画のラストシーンのように、嬉しさと寂しさが同居していた。


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総武線の車内にて㉕

2017.3.18(土)総武線各駅停車 千葉行き

わたしが三人のろう者(聴こえないひと)と話した(手話)時間は
ほんの僅かな時間だった。

三人はずーとわたしを見ていた。三人だけで話をすことはなかった。
もう少し丁寧に説明するなら、三人は自分たちの会話を中断したまま、
下手くそな手話を繰り出すわたしのことを注意深く、しっかりと、優しく
親しみを込めて見ていたのだ。

三人は、「なんだか、こういうのって、実に久しぶりに見たなぁ〜」という
表情だった。まるで、上野動物園のパンダを見るように。

三人から見られていることに対して、わたしは何かに例えようのない感情
の鼓動、息吹のようなものを感じた。それは喜びであり、興奮であり、自己
主張であり、あるいは尊重であり、同調であり、承認のようなものだった。

ようこそ葛飾区へ、電車は緩やかにブレーキを効かせながら新小岩駅の
長いホームへ、やや前傾姿勢で滑りこんできた。そのときだった。

右端に座るお婆さんは身を乗り出すような体勢になった。先程よりもあきら
かに強い視線を、お婆さんは投げかけてきた。わたしに何か言いたいこと
があるのだ。それは良いことかもしれないし、良くないことかもしれない。
わたしは呼吸を止めて、下唇を噛み、次のリアクション(手話)を待った。

それは質問だった。お婆さんは短く、勢いよく、簡潔な質問を私にした(手話)。
「あなたの名前は?」とお婆さんは言った(手話)。これには、私は正直驚いた。

たまたま電車で会った人と、ほんのすこしの間だけ話をした。話しといっても、
眉間に皴を寄せる人生相談ではなく、単なる挨拶、世間話の類だ。

もしかしたら、三人とわたしは、またどこかで合うかもしれない。合わない
かもしれない。いや、まず合わない。そんな人、その程度の相手の名前を
尋ねることに、一体なんの意味があるのだろうと、わたしは考えたのだ。

わたしは、しばしば誤った自己判断をする。名前に関して言えば、それを
謙遜と言えば聞こえはいいが、実際には間違えた分析結果だった。三人
が名前を尋ねたことは、ろう者(聴こえないひと)のあいだでは当たり前の
ことだ。または「三人のわたしに対する最大級の評価だよ」と誰かが言った
として、アボガド100円から130円値上がりのような不満な顔はしないのだが。

あんた、手話を勉強しているんだね。わたしたちに、一生懸命に勇気をふり
絞って、こうやって声を(手話)をかけてくれたこと。それはもう本当にびっくり
したけどね。いや、だからこそかな、本当に嬉しく思うよ。あんたの名前は?
そうそう、佐藤さんだね。佐藤という名前は、どこにでもある名前だけどね。

あんたの佐藤さんは、わたしたちは決して忘れやしないよ。

聴こえる人(健聴者)で手話ができるひと、勉強しているひとは本当に少ない
のよ。それに、そういう人が電車にいたからと言って、みんながみんなわたし
達に声を掛けてくれる訳ではないしね。

那須からここまで時間はかかったけど、あんたに声を掛けてもらって、本当に
良かったよ。この電車に乗るたびにと言っても、総武線は滅多に乗らないけど
総武線とか、新小岩とか、佐藤さんの名前を目にするたびに、あんたのことを
想い出すだろうよ。

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総武線の車内にて㉔

2017.3.18(土)総武線各駅停車 千葉行き

電車は新小岩駅へ向かっていた。私の斜め先の座席に座る
若い女性は、やや慎重さを含ませながら立ち上がり、走行中
の揺れを警戒して、ゆっくり歩き、ドアの前に立ち、少し目を細
めて、窓の外の流れる景色を注意深く鋭利な目で追っていた。

女性の目には、不審の色がありありと浮かんでいた。

次は「新小岩駅」とアナウンスされたことが、本当かどうかを確認
している様子だった。ちょっと油断して目を離したら新小岩駅では
なく、四街道駅になっていると心配しているのだ。相当に疑り深い
性格に違いない。引きこもりの蛇のような目つきだった。

女性は地球が丸いこと、地球が回転していることを信じない。
あるいは、それ自体を知らないのかもしれない。とくに聡明では
なく、とくに綺麗ではなく、とくに疑念の多い女性。

「もし良かったら、お茶でも如何ですか。わたしのことなら心配は
いりません。自分で言うのも何ですが、わたしは英国貴族のように
紅茶とチェスを愛する紳士なんです」と言ったところで、はなから
わたしを疑ってかかり、まったく相手にしないタイプだ。

その女性が歩いたから、または、肩より少し長い亜麻色の髪を手
ですいたから、その両方の原因かは分からなかったが、新しい風
は、わたしの頬をさぁーと撫でた。それと同時に鼻孔についたのは
高級美容院の高級トリートメントのような甘くて寂しい香りだった。

それは何かの終わりを暗示した。優しくて切なくて爽やかな微風だ。
夏の終わり、夜の田園地帯を彷徨うホタルのように寂しい気持ちを
込めて、その気持ちの半分は封印して、わたしは三人のろう者に
(聴こえない人)こう言った(手話)。

「わたしは、次の新小岩駅で降ります」

ほんの一瞬だったが、三人の目には高級黒豆のような潤沢な輝き
が宿った。その輝きは徐々に、喜びと苦しみが交錯した複雑な色彩
へと変わった。わたしに、じりじりとした息苦しさを感じさせた。

サウナ室で砂時計をじっと見つめるような三人の眼差しだった。

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